読書週間ですね〜
最近読んで、発見のあった本をご紹介します。
『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』内山節著/講談社
日本人は、1965年を境にして、きつねにだまされなくなったんだって!
哲学の本でね、ちょっとむつかしい。
むつかしい本は、自分に分かるとこだけ、分かるように読む(笑)
でね、日本人の自然観について、自分がちょっと誤解していたってことを発見し
たのですよ。
本の趣旨とは違うかも(笑)
自然に対する恐れってありますよね。
人は、雷が落ちるとか、台風が来て洪水が起こるとか、地震が起こるとか、津波
が来るとか、そういう天変地異を恐れてきた。
人間に害を及ぼす自然の脅威を恐れてきた。
たしかにそれもある。
でも、自然を畏れるということは、もっと深いところに根があるのではないか。
と、気づいたのです。
かつて、ほとんどの人がお百姓や猟師や漁師であったころ、人々は、自然から頂
いたものでわが命をつないでいることを、認識していた。
(現代人はこの意識、薄いですよね。豚はパック売りされてるし、キュウリは
まっすぐで同じ大きさだし)
だからこそ、自然は神様だった。
山の神、海の神、田の神、などなど。
いっぽう、自然界の生き物たちは、田畑を耕すことはなく、つまり自然を作りか
えることなく、自然のものをそのままいただいて命をつないでいる。
必要以上に狩りをしたり、ましてそれを蓄えて、お金に換えて売買するなんてこ
とはない。
それが生き物の自然な在り方だと、人々は知っていた。
知ってはいるが、われわれ人間は、そのようには生きていない、生きられない。
自然の恵みによって生かされているのに、自然を操作したり搾取しないと生きら
れない人間。
そのことへの罪の意識が、「畏れ」として現れたのではなかったか。
だから、自然を神としてまつり、敬い、畏れたのではないか。
現代人はあまりにも自然から離れてしまっているから、この「畏れ」を知らない。
と、まあ、このように考えたのですよ。
そこで、小澤俊夫先生が、昔話は人と自然とのかかわりを語っている、とおっ
しゃったことを思い出したのです。
その視点から昔話を読みなおしてみようと思っています。
再話されたものではなく、なまの資料をね。
まだ自然に囲まれて生きていた人たちのなまの昔語りを。
読書週間、いいね〜
ヤン