「グリム童話よもやま」カテゴリーアーカイブ

グリム再読❓❓❓

『世界で読み継がれる子どもの本100』⇒こちらの2作目は「グリム童話集』

いまさらなので、再読はしてませんo(^▽^)o

著者コリン・ソルターさんのことばから。

普遍的なテーマーそれは、生と死、善と悪、愛と欲、そして見返りを求めぬ心。人びとが物語を語り継ぐようになると、こうした人としてのありようがさまざまに描かれた。このような民話は時代や国境を超え、心の琴線にふれる。子どもでも大人でも、わけへだてなく。

この言葉にそのまま共感するには、ちょっとおおざっぱかなあと思います。
ここでいう「民話」は、もう何千年と語り伝えられてきたし、それがどのように琴線に触れて来たのかは証明するものがない。
ただ、その民話を未来に向けて読むものにしたという点で、グリムさんはすごい。ソルターさんはそういうことをいってるのかな?

ここの情報で知ったんだけど、世界初の長編カラーアニメ映画って、ディズニーの「白雪姫」だったんだって。
1937年。(そら、日本、戦争で負けるわな)
これが、戦後日本に入ってきて、日本語吹き替え版が封切られたのが、1958年。
わたし、幼児期に、映画館で観てるのよね。
あざやかな色彩となめらかな動きに、ぼうっとなったことだけ覚えています。
そのあとは、毎日、近所の友だちとおひめさまごっこ!
グリムの改作であろうとなかろうと、とにかく幼い心をわくわくうっとりさせてくれました。

************

アイキャッチは、手作りのカップとスプーンとお皿

グリム童話はなぜ子どもの心をつかむのか👸🤴

グリム童話はなぜ子どもの心をつかむのか?

いまさらなんやねんって?

小学校の高学年で語っていると、がっつり聞かせたいときには、どうしてもグリム童話を選んでしまいます。
どうしてこんなに手ごたえがあるんだろう?
というのが、ずうっと疑問に思ってきたことです。

だって、200年も昔に編さんされたんですよ。現代の子どもたちに向く?
そう、向くんですよね。どうして?

あ、わたしのおはなし選びの基準は、自分の好みではなくて、子どもが食い付くかどうかにあります。
だから、わたしが好きだからとか語りやすいからとかでグリム童話を選んでいるのではないんですよ。

子どもの聞き方が深いからなんですよね~

高学年に語っていて特に手ごたえを感じるのは、以下の話です。
「かえるの王さま」
{いばらひめ」
「がちょう番の娘」
「鉄のハンス」
「金の鳥」
「忠実なヨハネス」

思春期の子どもたちにとって共感できる部分があるようです。
ストーリーに引きこまれつつ心の深いところで感動しているのが、聞いている表情から分かります。
かわいいなと思って語ってるんですが、グリムさんすごいなとも思うのです。

そのなぞを解き明かすべく、今読んでいるのが、
『グリム兄弟ー魔法の森から現代の世界へ』ジャック・ザイプス著/鈴木晶訳/筑摩書房/1991年刊

グリム童話は、口伝えの話をそのまま昔話集にしたのではなく、再話して紹介したんですね。
今では子どもたちの常識になっている「赤ずきん」や「おおかみと七匹の子やぎ」なども、みな再話です。口伝えそのままではない。
しかも大いに再話したんです。

その再話は、話のテーマにも及んでいます。
となると、グリム兄弟がどんな経緯で話を集め、どんな意図を持って再話したのかを知りたくなりませんか?

そこで、兄弟の生い立ちや経済状態、人としての生き方を知る必要がでてきます。
どんな人たちやったん?ってことです。
そして、人は、その時代の中で生きているんだから、時代背景も知らなくてはなりません。
どんな時代やったん?

これまで、グリム兄弟については、ざっとですが学んできていますが、あらためて、現代のわたしの聞き手との関りから知りたいと思いました。

この本はそれにヒントを与えてくれそうです。
うん、まだ第2章までしか読んでない。
何か見つけたら、ここで紹介しますね。
みなさんもぜひ手に取って読んでみてください。

****************

きのうのホームページ更新は《日本の昔話》
「地蔵じょうど」です。⇒こちら
語ってくださいね。

 

 

 

グリム童話、いいんだけどなあ🤗

4年生以上に語る機会がめっきり減ったので、これまで語ってきたレパートリーのうち、とくに語りごたえのあったグリムの話をみなおしてみようと、この1月から月1、2話のペースでもどしています。

でもね、子どもたちに語っていたときは手応えがよくて私自身も学ぶことの多かったグリムなんですが、いま、口に上らせると、なんか違和感があるんです。
こんなじゃなかったんだけどなあって。
夢中になって語れないんですよ。

その原因を考えました。

まず。
おはなしを選ぶとき、この話で子どもに何を伝えようかと、一生懸命考えます。皆さんも同じですよね。
グリム童話はそれがわかりやすいのです。
そりゃそうですよね。
グリムさんは、近代ドイツを作り上げるために、倫理的、教育的に再話したという経緯があるんですから。
200年も前の再話なのに、現代の日本に住むわたしでも、けっこう共感できるんですよ。子どもに伝えたいことが見える。
200年前のドイツと現代の日本。その程度なら、人間ってあんまり変わらないのかな・・・

おっと、話がそれそうや。もどって。

わたしが語ったグリムの話は、どれも、子どもたちの反応がとてもよかったです。
(だから、わたしも好きになった)
そして、子どもって、とっても正義感が強くて、まっとうで、賢いなあって、思いました。
このわたしの子ども観は、(主に)グリムを語ることで得たと思います。

ところがいま、それらの話を戻しながら感じる心の動きは、み~んな、過去の記憶なんですよ。
新鮮味がなくて面白くない。
かつて子どもたちといっしょに発見した主人公の人生のコアな部分は、もうわたしにはじゅうぶんなんです。

わたし自身のために語るには、グリム童話は良い子ちゃん過ぎるっていう感じかな。

きのうの語りクラスで、「靴をはきつぶすお姫さまたち」を聞かせていただいたんだけど、今の私には、グリムの「踊って踊ってボロボロになったくつ」ではなくて「靴をはきつぶすお姫さまたち」⇒こちらの主人公のほうが、魅力的。

おじいさんに親切にしていいことがあるという人生より、自分の勘と力を信じて、やっちゃえ~~~っていう生き方のほうに、惹かれます。
あと少しグリムの思い出に浸ったら、こんどは、そんな話を覚えたいなあって思っています。

おっと、大丈夫です、再話するときには、いろんな価値観の話をまんべんなく選ぼうと考えています。
語りの森は、みなさんに、できるだけいろいろな話を提供したいってスタンスでやっています。いま、ご自分にぴったりの、好きな話を選んでくださいね。

 

ろばの子~泉の水🤴

KHM144「ろばの子」は、グリム童話なんだけど、赤ずきんやいばらひめやおおかみと七匹の子ヤギのようには、一般に知られていないです。
グリム兄弟が200話の中から50話を選んで「小さい版」を編集したんだけど、それには載せられてない。だからということもあるのかな。

でも、「ろばの子」はとってもいい話なんですよ。

ひと口でいえば、子どもが成長するためには何が必要かがばっちりわかる。
しかも、子どものない王さまとお妃の間にやっと生まれた子がろばだったっていう、実際あり得ないファンタジーの世界でしょ。つまり、昔話がいかに子どもの育ちや人間存在の本質を語っているかってことがわかるのです。

ろばの子が生まれたとき、おきさきは、川に捨てちゃいましょっていうんだけど、王さまは、ろばだってわが子だっていって、将来王さまになるんだからって、大事に大事に育てるんです。

親の愛を一身に受けてすくすく育つ王子。
明るくて快活ないい子になります。
ところが、あるとき、たまたま散歩していて、泉の水に映った自分の姿を見ます。
ろばやんか!!
ろばの子は、お城を出て広い世界をさまよいます。

自分がろばだってわかったときの王子さまの心は、「悲しくなった」としか描写されません。
昔話は、内面を表さない。これ、昔話の平面性の表れね。
自分を人間だと思い込んでいて、というか、そんなことすら意識しなかった子どもが、じつはろばだったと自覚した。
これ、他人から言われたら、腹を立てたり反発したりするでしょうね。
でも、泉の水は、うそをつかない。
自分を客観的に見た。はじめて客観的に見た。

これは、人間の成長過程で、必ず起こることですよね。
おぼっちゃんが、現実を知る瞬間。
「悲しくなった」ではすみませんよね。でも、昔話は「悲しくなった」としか言わない。
とっても複雑な心のうちは、千万言尽くしても表現し尽くせないもの。
しかも、とってもナーヴァスな問題だから、ひとりひとり思いは違うし、他とは比べることができないし。

そこで、内面描写は思い切って削除して、出来事だけを述べる。
そのおかげで、聞き手は、主人公に起こった出来事を自分のこととしてとらえることができる。
それが、昔話の良さだなって思います。

さてさて。
幼いときに無条件で愛されていたことが、この王子に、ひとりで現実を生きる力をあたえてくれる。
そして、成長過程で出会った、よそのお城の王さまは、何を与えてくれたのか・・・
「ろばの子」、全文を読んでください。感動するから。

昔話の語法勉強会(2/6)では、テキストを詳細に読み解いていきます。
ろばの子にとってお姫さまの存在とかも考えますよ~

お申し込みはこちら⇒語法申し込み

ホレばあさん❄️

久しぶりにグリム童話よもやま話です。
最近「ホレばあさん」を子どもに語る機会がありました。
「ホレばあさん」については以前にも井戸端会議で取り上げています。⇒こちら
昔話雑学でもまとめてあります。⇒こちら
合わせて見てくださいね。

KHM24「ホレばあさん」 「ホレおばさん」とも

エーレンベルク稿では37「モルモット」。似ているけれど違う話です・
初版からは24番です。そののちも内容には大きな変化はありません。

話型は、ATU480「親切な少女と不親切な少女」
まんまですね~笑
類話はたくさんあります。
ロシア「がちょうはくちょう」(『おはなしのろうそく』)
ロシア「十二の月のおくりもの」(『おはなしのろうそく』)
フランス「井戸の底の贈り物」⇒こちら
イギリス「地のはての井戸」⇒こちら
アメリカ「ものをいう卵」⇒こちら

ルース・ポティックハイマー『グリム童話の悪い少女と勇敢な少年』(紀伊国屋書店)によると、グリムの「ホレばあさん」では、美しい娘は、パンを窯から出してあげたりリンゴの木をゆすって実を落としてあげたりして親切ですし、ホレばあさんの言いつけ通りに仕事をする働き者です。だからホレばあさんから贈り物をもらうんですね。醜い娘は不親切で怠け者なので、罰を食らいます。

わたしは、パンの焼け時やリンゴの熟し時を知ることができて、ホレばあさんが雪を降らせるのを手伝うことができる娘は、自然と交わることができる力を持っていると感じています。

それはさておき、主人公が地下の世界に行って、そこの住人から宝をもらってくるっていう形、めっちゃなじみがありませんか?
おじいさんが、ねずみあなに入っていって、ねずみから宝物をもらってくるのと同じでしょ?
しかも、欲張りじいさんもいて、同じことをして失敗しますよね。
ドイツの「ホレばあさん」と日本の「おにぎりころころ」が同じ形をしているなんて、不思議ですね~

さてさて、1月17日の昔話の語法の勉強会では、この「ホレばあさん」をとりあげますよ~