おんちょろちょろ🤗

語りの森の昔話集の第1巻おんちょろちょろが売切れました\(@^0^@)/
みなさま、応援してくださってありがとうございました!

私家版なので、そんなにたくさん印刷していないけど、口コミとホームページだけなのに完売できたのは、とっても嬉しいです。

昔話のもとの形を変えないで、しかも口に乗りやすく、聴きやすい再話を目指して昔話集をスタートさせました。
再話した話を子どもたちに語ることで、どうすれば子どもに受け入れてもらいやすいか、検討と反省を繰り返して作業しています。
わたしのかわいい聞き手たちに向けての再話といってもいいでしょう。

いかがですか?
覚えやすい、語りやすい、聴きやすい再話になっているでしょうか???
今見直すと、まだまだ下手くそやなあと恥ずかしくなります。いつか改訂版が出せたらなあって思っています(いつのことやら)。

もし読みたいけど手元にないというかたがいらっしゃったら、地元の図書館でリクエストしてみてください。国会図書館にありますので、取り寄せで読めるはずです。

どうか、たくさんの子どもたちが、おんちょろちょろを楽しんでくれますように。
みなさま、語ってくださいね。
口に乗りにくいところは変えていいからね~

現在、第5巻に向けて準備しています。
第4巻のおもちホイコラショは幼い子向けでしたが、第5巻は、いろいろ取り混ぜる予定です。
コロナで、聞いてくれる子どもがいないので、エア語りで再話検討しています。

 

ちょっと自慢していい?
各話の原典を書いた人、つまり原話の著作権をお持ちの先生方から、語り口が美しいよい再話だって、おほめいただいてるの~

 

 

 

『エーミールと三人のふたご』👨👨👨

ケストナーって有名だけど、作品はそんなに多くないのです。
『エーミールと三人のふたご』は1934年に出ました。
ヒトラーのもとでは出版できなかったから、スイスで出版されました。

子どものとき、ふたごなのに3人ってどういう意味?って興味津々で読み始めたのを覚えています。
ケストナーにはそういう茶目っ気というか、ユーモアがあって、それが魅力です。

今回の再読で発見したこと。
おばあさんの役割(笑)

主人公は『エーミールと探偵たち』のエーミールです。
お母さんが、エーミールの将来を考えて再婚しようと思い悩みます。お相手はあのイェシュケ警部です。
お母さんは、エーミールの気持ちに従おうと考えます。
エーミールはイェシュケ警部のことは好きなのですが、これからもずっと自分はお母さんと二人で暮らしていくと思っていたし、大きくなったら自分がお母さんを助けて幸せにするんだと心に決めています。
でも、そのことをお母さんには言えません。イェシュケ警部との結婚がお母さんの希望だと思うからです。

悩むエーミールに、わたしなら何というだろう、黙って寄り添うだけだろうか、などと考えながら読みました。

終盤、助け舟を出したのは、お母さんの母親、エーミールのおばあさんでした。
森の中でおばあさんは、エーミールに話しかけます。
エーミールの思いも、お母さんの本心も知ったうえで、おばあさんは、事実と真実を話します。
真実は、長く生きてきたからこそ分かる真実です。

ここで泣いちゃった(笑)

ぜひ読んでみて~

それから、おばあさんが初めて海を見たときの描写が素晴らしい。

グスタフが、エーミールに近よりました。「すばらしいじゃないか」と、彼はいいました。
エーミールは、うなずくだけでした。
彼らは並んで、だまったまま、じっと海を見つめていました。
エーミールのおばあさんは、そっといいました。「これで、こんなおばあさんになるまで生きてきたわけがわかったよ」

日々を大切にして、おばあさんになるまで生きてきたわけが分かるようなことが、これから、ひとつでもふたつでもあれば幸せだな。

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今日のHP更新《外国の昔話》
インドの昔話「はす」
きっと皆さんあまり聞いたことないと思います。

 

 

昔話の解釈ー死人の恩返し7💀

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む
第4章「死人の恩返し」最後だよ~

リュティさんは、「死人の恩返し」の類話として、旧約聖書外典の「トビト書」を取り上げています。

「トビト書」は、紀元前150年に書かれたものだそうです。
ひえ~、今から2170年以上前だよ~

『昔話の解釈』では、旧約聖書外典「トビト書」と訳されていますが、これはユダヤ教での呼び方。カトリックでは旧約聖書続編「トビト記」です。ちなみにプロテスタントでは聖書としてではなく文学として扱われているようです。
えっと、当然、ユダヤ教がいちばん古いですね~

昔話と比較します。

敬虔なトビトは、アッシリアの暴政のもとで殺された同族のユダヤ人をひそかに葬ります。そのお礼として、神が、トビトの息子トビアに、大天使ラファエルを人間の姿に変えて旅の道連れとして送ります。一世代ずれてますね。

トビアが旅に出るきっかけは、かつてトビトがいとこに預けたお金を取りに行くことです。
スイスの類話では父親が貸した利子の取り立てでしたね。
イタリアの類話では父親の遺産を増やす、つまり投資でした。
似てますね。
アンデルセンと、スイスの類話では借金を踏み倒した死人を助け、ノルウェーの「旅の仲間」では、ワインを薄めた死人を助ける。
やっぱりお金が関わっています。

トビアが結婚することになる娘は、悪霊に取りつかれています。これまで7人の求婚者が悪霊に取り殺されているのです。それをラファエルが救い出す。
ノルウェー「旅の仲間」では娘はトロルに呪われていました。
この話型では、後半のテーマが娘の魂の救済でしたね。
同じです。

旅の終わりに、ラファエルは本当の姿を現します。
ノルウェー「旅の仲間」でも、援助者が、実は私はあなたに葬ってもらった死人だと、正体を明かしますね。
しかも、どちらも、財産の半分をお礼に渡そうとするが援助者は一円ももらわないで去っていく。
わ~、同じだ。

リュティさんは、個々の細部まで何とよく似ていることかといいます。しかも、驚くべきことに、リュティさんは、旧約聖書外典の話は昔話を作り変えたものだといいます。つまり、昔話のほうが古いって!

そう考えるポイントは、登場人物の関係にあります。
トビトが助けるのは見知らぬ死人ではなく同族の者です。援助者は同族の者の姿で現れます。その援助者は特定の信仰体系の中にはっきりと位置付けられた大天使です。
つまり、あらゆることが民族の結合と家族の結合の中に組み込まれているのです。
昔話はもっとシンプルで、登場人物相互のあいだは、固定した永続的関係は存在しないというのが、昔話です。こちら⇒《昔話の語法》
それを宗教の中で関係づけているということです。同族とか天使とか。
ほら、昔話をある土地の出来事として伝説化するのと同じ、っていったらちょっと乱暴かな。でも、そんな感じですね。
つまり、シンプルで普遍的な昔話のストーリーを宗教の中に取り込んだという説です。このやりかたって、仏教説話にもありますね。

トビト書は死んでいる援助者の昔話が西暦紀元より数百年も前にすでにそんざいしていたことを、証している。この昔話は今もなお生きている、というのは、神秘的な登場人物を通して人間の魂が陥る危険と救済の可能性を反映しているからである。

はい、おしまい。

つぎからは、第5章「賢いグレーテル、仕合せハンス、賢いエルゼ」です(ง •_•)ง

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きのうのはなしひろばは、「かしこいグレーテル」
わたしにとっては、因縁の「賢いグレーテル」です(笑)
あ、大好きな話よ~

 

 

昔話の解釈ー死人の恩返し6💀

今日の京都府南部は風が強い。
洗濯物がはたはたと飛んでいきそう(ToT)/~~~

新型コロナ
地震
大雪・大雨・熱署

世の中が恐怖と不安でひっくり返ってるときに、希望のかたまりであるはずの五輪で、いったいなにがどないなってんねん。

さておき、昔話に人間の生きる知恵を見つけよう。

最近、ブログがめっちゃまじめやねんな。
膝が痛いので乗って行った自転車をスーパーに忘れて、重い荷物をぶら下げて帰ったこととか、書く気になれへんねんな。
「薬飲んだか?」が唯一の会話になりかけてる老夫婦の話とか。

六年生男子に呼び止められて、「おはなし会楽しみやったのに」と何度も訴えられたこととか。修学旅行も運動会もまともに無くて、それでもおはなし会が楽しみやった、なくて残念やったと言ってくれる子ども。ありがとうね。

さてさて、昔話に生きる知恵を見つけよう。
マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第4章「死人の恩返し」つづき

死人の恩返しの類話は死人が助けられる前半と、死人に助けられる後半に分かれていましたね。
今日は、その後半のテーマが「救済」であることについて。
援助者である死人が、主人公に代わって(あるいは、主人公とともに)お姫さまを救い出します。主人公はそのお姫さまと結婚して幸せになるのね。

ノルウェーの昔話「旅の仲間」では、お姫さまは、自分自身から、取りついている悪霊から、解放されなくてはなりません。
お姫さまはトロルの呪いに取りつかれていますね。死人はそれを見破り、トロルの首をはねます。
でもそれだけではまだ救済にはならなくて、主人公はお姫さまの体にくっついているトロルの皮をはぎ、お姫さまの体をむちで打ち、ミルクで湯あみさせます。
この過程は、魂の浄化の過程です。浄化されるという心理的真実が、目に見える形であらわされているんですね。
昔話は、心の真実をストーリーやモティーフであらわします。
登場人物の行為は残酷に見えるかもしれないけれど、人の心の救済という重い真実に比べれば、バランスがとれていると思います。

類話によっては、お姫さまの体の中に巣食っている蛇から解放しなくてはならない話もあります。

おーい、お偉いさんがたに巣食っている女性蔑視という蛇も退治してやれよ~
(失礼(ಥ _ ಥ))

はい、ここまで。
つぎは、旧約聖書外典の「トビト書」と昔話の関係についてです。

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今週はHP更新《外国の昔話》
イタリアの古~い昔話「ペトロシネッラ」
語ってくださいね~
「ラプンツェル」と読み比べるとおもしろいよ~

 

 

 

おすすめ📖点子ちゃんとアントン

去年の秋にエーリッヒ・ケストナーの『ふたりのロッテ』『五月三十五日』『わたしが子どもだったころ』について書きました。
え?ほんま?と思う人は、「ケストナー」で検索してみてください(笑)
そののちも断続的にケストナーを読んでいます。
ほとんど子どもの頃に読んだので、再読ね。

『エーミールと探偵たち』『点子ちゃんとアントン』と続けて読んで、大人の私がふと気になったのが、ジェンダー。
料理は女の子の役割というのが前提として書かれている。
エーミールのいとこのポニーも点子ちゃんも、自立心があって積極的で勢いのある少女なんだけどね。
お茶の用意をするのはポニーの仕事。
アントンが、病気のお母さんに代わって料理をしているのを見て、点子ちゃんが「あんたがお料理するの?」と驚きます。

そんな時代だったんですね。
『エーミールと探偵たち』は1928年刊、『点子ちゃんとアントン』は1931年刊ですから。
でも、ケストナーは、アントンが料理することについて、「病気のおかあさんがきちんきちんと食事できるように世話してやるのは、誇りとするにたるじゃないか」と書いています。

時代の風潮とケストナーの人生観・価値観がよくわかる一例でした~

それから、『点子ちゃんとアントン』の「はじめに」で、ケストナーは虚構について書いています。
じっさいあったかどうかということは、どうでもいいのです。その話がほんとうだということが、かんじんなのです。ある話が、じっさいにも、その話のとおりにおこるかもしれないなら、その話はほんとうなのです。わかりましたか。それがわかったら、みなさんは芸術の重要な法則を理解したというものです。また、わからなかったとしても、べつにさしつかえはありません。

以前にも書きましたが、ケストナーは、子どもを子ども扱いしない大人です。こんな文章を読むとうれしくなりますね~