時代の転換期のような気がする。
こんなとき、おとなは子どもに、何を、どんな態度で示せばいいんだろう。
昔話を再話したり語ったりするのに、深く考えこんでしまう。
ふと、エーリッヒ・ケストナーが読みたくなった。
ケストナーは第2次大戦前から詩や小説や子どもの本を書いていたんだけれど、自由主義者だったので、ヒトラーが執筆を禁止した。それでも、ケストナーは亡命しないでドイツにあって、物語の構想を温めながら時のすぎるのを待ってたのね。
自分の本が焼かれるのを見物に行ったりしたんだって。
二つの世界大戦の時代と、それを経験した戦後、大きな時代の転換期に、児童文学を書き続けたケストナーが、いま読みたくなった。
本箱には、古い版のケストナーが何冊かあってね。
『エーミールと探偵たち』や『サーカスの小人』は小学5,6年生のとき、夢中で読んで、手あかがついてる(笑)
あのころ、まともな図書館が身近に無かったからね。買ってもらったわずかな本を覚えるほど繰り返し読んだ。ケストナー作品もそのひとつ。
ヒトラーが倒れ、戦後最初に出したのが『ふたりのロッテ』。まずはこれを読もうと思った。ケストナーがどんなメッセージを子どもに発したのか、考えたかったから。
本箱の『ふたりのロッテ』の奥付を見たら、1976年になってて、挟んであるしおりがカード型のカレンダー。なつかしいなあ(笑)
これは、子どもの時に読んだんじゃなくて、大学の児童文学の授業で薦められて買ったんだった。
どおりでストーリーをしっかり覚えていないわけだ(笑)
で、覚えてなかったので、めっちゃ新鮮に読んだ。
夢中でひと晩で読んだ。
ケストナーは子どもを子ども扱いしないで、対等の人格として、おとなの問題も子どもにとって大きな問題だと認識して、誠実に、自分なりの答えをまっすぐに子どもに提示していた。
大きな愛にユーモアをまぶして。
ふたごのロッテとルイーゼは、両親が離婚したときに、別々に引き取られたので、お互いの存在を知りません。いまは9歳。
ところが、夏の子どもの家のキャンプで、偶然出会い、自分と同じ姿かたちの相手にショックを受けます。そこから物語が始まります。
でね、物語の進行中に、一か所だけ、作者の言葉が出てくるの。
引用
あなた方を肩ごしにのぞくおとなが・・・、わたしはその人に、この世の中には離婚した両親がたいそうたくさんいること、そのためにいっそうたくさんの子どもが苦しんでいること、また他方、両親が離婚しないために苦しんでいる子どもがたいそうたくさんいることを、話してやりましょう!しかも、そういう状態のもとに苦しむことを子どもらに強いているとしたら、そういうことについて、すじ道のとおった、わかりよい形で、子どもらと話をしてやらないのは、あまりに気が弱すぎるばかりか、道理にそむくことでしょう!
『ふたりのロッテ』高橋健二訳/岩波少年文庫
まじめでしょ。でも、愉快でユーモアにあふれてるのよ。
さてしばらくはケストナー漬けかな(笑)
おっと、学校の先生から、「最近のロッテがおりこうさんでなくなった」と指摘されたお母さんの独白「母おやというものはーたとえほかに、どんなにたくさん心配があったってー何よりも、子どもが子どもの天国からあまり早く追い出されないように守ってやる義務があるんだわ!」も感心しました。