グリム童話、いいんだけどなあ🤗

4年生以上に語る機会がめっきり減ったので、これまで語ってきたレパートリーのうち、とくに語りごたえのあったグリムの話をみなおしてみようと、この1月から月1、2話のペースでもどしています。

でもね、子どもたちに語っていたときは手応えがよくて私自身も学ぶことの多かったグリムなんですが、いま、口に上らせると、なんか違和感があるんです。
こんなじゃなかったんだけどなあって。
夢中になって語れないんですよ。

その原因を考えました。

まず。
おはなしを選ぶとき、この話で子どもに何を伝えようかと、一生懸命考えます。皆さんも同じですよね。
グリム童話はそれがわかりやすいのです。
そりゃそうですよね。
グリムさんは、近代ドイツを作り上げるために、倫理的、教育的に再話したという経緯があるんですから。
200年も前の再話なのに、現代の日本に住むわたしでも、けっこう共感できるんですよ。子どもに伝えたいことが見える。
200年前のドイツと現代の日本。その程度なら、人間ってあんまり変わらないのかな・・・

おっと、話がそれそうや。もどって。

わたしが語ったグリムの話は、どれも、子どもたちの反応がとてもよかったです。
(だから、わたしも好きになった)
そして、子どもって、とっても正義感が強くて、まっとうで、賢いなあって、思いました。
このわたしの子ども観は、(主に)グリムを語ることで得たと思います。

ところがいま、それらの話を戻しながら感じる心の動きは、み~んな、過去の記憶なんですよ。
新鮮味がなくて面白くない。
かつて子どもたちといっしょに発見した主人公の人生のコアな部分は、もうわたしにはじゅうぶんなんです。

わたし自身のために語るには、グリム童話は良い子ちゃん過ぎるっていう感じかな。

きのうの語りクラスで、「靴をはきつぶすお姫さまたち」を聞かせていただいたんだけど、今の私には、グリムの「踊って踊ってボロボロになったくつ」ではなくて「靴をはきつぶすお姫さまたち」⇒こちらの主人公のほうが、魅力的。

おじいさんに親切にしていいことがあるという人生より、自分の勘と力を信じて、やっちゃえ~~~っていう生き方のほうに、惹かれます。
あと少しグリムの思い出に浸ったら、こんどは、そんな話を覚えたいなあって思っています。

おっと、大丈夫です、再話するときには、いろんな価値観の話をまんべんなく選ぼうと考えています。
語りの森は、みなさんに、できるだけいろいろな話を提供したいってスタンスでやっています。いま、ご自分にぴったりの、好きな話を選んでくださいね。

 

2 thoughts on “グリム童話、いいんだけどなあ🤗

  1. 毎月一話ずつグリム童話を語ってもらうようになって、聞いている側としてはとっても嬉しいです。
    たしかに、いい子ちゃんすぎるかもしれませんが、わたしはまだそこもいいところだと感じられます。
    わたしは、グリム童話よりもアジアの昔話に時々出てくる〝敬虔な気持ち〟や、〝親孝行〟が、ちょっと度が過ぎるというか押しつけがましく感じてしまいます。
    話としては好きなんですけど、子どもに語ろうという気にはなれないですね。
    ほんと、話としては十分納得してるんですよ。

  2. ジミーさん、コメントありがとうございます。
    おなじ話でも、そのときの自分の立場とか年齢(人生経験?)によって、訴えてくるものが変わってくるなあって思います。
    子どもに語るのが前提なら、グリムはピカイチやと思います。けど、自分や大人に語るんやったら、もっとダメな子ちゃんの話がないかなあって探してしまう(笑)

    たしかに、敬虔な気持ちとか親孝行って、押し付けられるもんじゃないからねえ。それを前面に出して語るのは、わたしも気がひけます。
    けど、ジミーさん、アジアのどの話のこと言ってるの?

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