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語りの森を作った魔女

弱り目に祟り目😅

今年の夏は暑かった。
やっと秋らしくなりましたね。

だいたいが夏の暑さに弱くって、ひいひいいいながら過ごしていたんですよ。
そこへ、息子がお盆休みに帰省してきた。
「誕生日おめでとう~」ってね。
「ありがと~」と、みんなでランチ。ケーキも食べて、古希の母はご満悦。
ところがその晩、息子が高熱を出した。
足の痛い母が、おかゆを持って、階段を上ったり下りたり上ったり下りたり・・・

はい、新型コロナに感染でした。
もちろん、わたしも夫も、ウイルスをいただきました。ふんっ。

暑さにやられたところへコロナ。
弱り目に祟り目。
泣きっ面にハチ。
踏んだり蹴ったり。
3日ほど続いたわたしの高熱は、解熱剤でおさまったが、微熱が何週間も続き、わたし、もう治らへんのと違う?と、かなりメンタルもやられました。
微熱がおさまっても、倦怠感と咳・のどの痛みは尾を引いて、やっと昨日くらいから、気持ちが前を向いてきました。
まだ、喉は本調子じゃないです。

最近のコロナはかかっても軽症だから心配ないよって、聞いてたんだけど。
そんなこと言うたんだれや!
まいりました。
みなさん、コロナをおろそかに思って軽く見てはいけませんよ。
しっかり予防してください。

わたし「しんどかったですわ」
看護師さん「けど、免疫力、今が最強やね!」

最強のわたしですが、日常の感覚にもどれるかどうかが心配です。
来週の入門講座とおはなし会、できるやろか?
ストップしていた各科の病院通いが、来週からだだだだだと続くんやけど・・・

以上、ご報告です。
ご心配、ご迷惑おかけしました。
みなさまの温かい励ましとサポート、ほんとにありがとうございました。

風がはこんだ物語🐎

ジル・ルイス文/ジョー・ウィーヴァ―絵/さくまゆみこ訳/あすなろ書房

世界じゅうにたくさんの難民たちがいる。
平和の祭典であるオリンピックでもそれを思い知らされました。

この絵本に描かれているのは、故障してしまったボートで海を漂う人たち。
幼い子ども二人を抱きかかえている夫婦。
小さな白い犬を抱いた老人。
おとなになりかけの暗い影を顔にやどした二人の若者。
そして、胸に長いケースをかかえた、主人公の少年。
たまたま同じボートにのりあわせただけの、おたがいに見知らぬ人たちです。

戦争や紛争のために、日常を追われて逃げて来た人たちです。
ひとりひとりがその日常をぽつりぽつり語ります。

主人公の少年は、ケースを開けてヴァイオリンを取り出します。
そして、弾きながら、スーホの白馬の物語を語ります。
それは、自由の物語。

11月に赤羽末吉の勉強会をするんだけど、これは、その準備をしていて見つけた絵本なんです。
モンゴルの昔話「スーホの白い馬」の、がっつり深い解釈とでもいうのかしら。

8月15日、敗戦の日に、戦争はぜったい嫌!とのメッセージとして紹介しました。

 

ねずの木🌳

グリム童話の「ねずの木」
子どもには語ったことないんですけど。
かなりショッキングな話なので、ちゃんと伝えられるか自信がなくてね。
でも、わたしはふしぎと心ひかれるのです。

お母さんがぼくを殺し
お父さんがぼくを食べた
妹のマルレーンがぼくの骨を絹につつんで
ねずの木の下に置いた

「ねずの木」は、『グリム童話集」の初版から入ってるんですね。
残酷だと批判された話は、グリムさんは削除したりほかの話と入れ替えたりしているのに、「ねずの木」は、ちゃんとそのまま入れている。

なんでかな?

グリムさん自身は、口伝えの話の理想形だって考えていたらしいんだけど。

それにしても、みんなから批判されなかったのかな?
こんなんひどい話や!って。
当時の人たちは、この話をどう受け止めてたんやろか?

と、好奇心に突き動かされて、調べました╰(*°▽°*)╯

昔話には類話ってもんがある。類話が広く伝わっていれば、それは人気がある証拠やね。「ねずの木」はどうやろか?
・・・・あるある!
いっぱいある!
しかも歌だけ独立して伝わってたりする!
日本にも、類話じゃないけど、お母さんに殺されて、鳥に生まれ変わって、殺人を暴露する歌を歌う話、全国にいっぱいある!

なんで、なんで?

主人公は殺されて骨になり、妹の愛によって生まれ変わる。
生まれ変わる?
調べていったら、古代エジプト神話にまで行きついたのよ。

おもしろい!

ブログでは書ききれないです。
今月27日の勉強会にぜひ、来てください。
暑いけど。
詳細はこちら⇒

「ねずの木」だけじゃなくて、時間があれば、奈良の民話「ホトトギスのきょうだい」も語るので、聞いてね。

 

 

 

ヘンゼルとグレーテルの語法その後その1👦👧

子どもたちに人気のグリム童話「ヘンゼルとグレーテル」
先日の勉強会のあと、参加者のみなさんから感想をいただきました。
人の数だけ語りがあるわけですが、勉強会で受け取ったことも、おひとりおひとりが違っています。
その違うところが、興味深いし、とっても大事だと思うので、いつもここにご紹介する次第でございます。

では、いってみよー

Uさん
この度も、深い学びの時間をいただきありがとうございました。
結論は「自分を拠り所にする」ということですね!
広く読まれるメルヒェンとして、グリム童話が今も残っているという事は、グリム兄弟の編纂のおかげなんだなとも思われました。その時代の人々に受け入れられることを拒んだら、誰にも好まれず、なくなっていたかもしれません。
エーレンベルク稿が本来の語りのテキストなのですが、それから200年以上の時を経た人類の精神的な在り方が全く違うものになっているので、その限られた言葉の中で、当時の聞き手が受け取っていた同質のものを、今の私たちが受け取ることは不可能なんだと思います。現代人に合った言葉に変えたり、付け加えたりするための再話のヒントが昔話の語法にあるのだという事が、深く納得できたように思います。人類にとって普遍的な大事な事を、再話の力で繋いでいく可能性を見出せるのだと思います。
また、語法の勉強と共に、2版と7版の比較をして頂いたことで、言葉による表現の違いで、受け取るものが大きく変わってくることも感じる事が出来ました。特に人物の心情描写は聞き手の感情を引っ張ります。悲しい、腹立たしい、嬉しい、そういう感情は、聞き手の中で自然と想起されることが、聞き手の自由なんだと言っていただいて、その通りだなと改めて思いました。聞き手の情操を育てる。それに適ったテキスト選びや再話が、とても大事なことだなと思いました。自分の好みを捨てよということではなくて、語法を知ったうえで、自分の感性や直観で選ぶおはなしを大事に語っていこうと思いました。

Sさん
まずは、語法の勉強会、ありがとうございました!
このお話には、あまり多くの語法が入っていないという事もあり、むしろ後半お話に出てきた、2版と7版の違いについての研究発表のように受け止めました。どちらにしても大変興味深く聞かせていただきました。
お話を当たり前のように「聞いて伝える」時代から、お話は「読むもの」として定着していく時代の流れの中、グリム兄弟も読み手の要求に合わせて文章に手を入れて行かざるを得なかったのだろうと推察します。しかしながら、何度も手を入れながらも、昔話そのものが持つ大切な事は決して損なっていないところはさすがと言えると思います。
「聞く事」と「読む事」の違いを改めて考えました。お話を聞く機会のないまま大人になった人が、語り聞かせを体験して「絵が見えた!」と目を輝かせる姿を何度か見せてもらいました。
自分の新たな能力に開眼する瞬間!その聞き手の能力を引き出す、つまりお話の中に聞き手をいざなうには
・語法にのっとったテキスト
・語法を理解した上での、語り手のお話への解釈
・語るに至るまでの積み重ねの時間
が必要なのですね。
人と人が作り出す事ができる、真に豊かな時間と言えますよね!

Eさん
「ヘンゼルとグレーテル」は、いちど3年生に語ったことがあるのですが、そのときは、整理されたテキストテキストを覚えたので、今回『語るためのグリム童話1』には余分な部分、特に登場人物の心理描写が多いと気づかされました。
今までの語法の勉強会と大きく違った点、2版と7版の比較、勉強になりました。(整理されたテキストがあるので、こんなふうに手を入れるんだと分かりました)
以前語ってた時の子どもたちの反応は満足のいくものではありませんでした。グレーテルが自分の力で魔女をやっつけ、そこから成長する姿はもっと元気よく語ればよかったと思いました。
来週、3年生のおはなし会に参加するので、今回の勉強会で学んだ事をふり返りながら、子どもたちといっしょに楽しみたいです。

ない!ない!😱

どこやろ?

え?

どこいったん?

USBメモリがなくなった(⊙x⊙;)

ババ・ヤガーの名簿やら記録やら会計報告やらの入ったやつと、
語りの森ホームページ関連のもんが全部入ったやつと、
音声、しかも貴重な音源やら種々の講演会の記録のやつと。
なにより、再話テキストがすべて入ったやつと。

ちっちゃな袋にまとめて入れてたんやけど、袋ごとなくなった。

あああああ

わたし「ないねん」
夫「どこでなくした?」
わたし「それがわからへんから、ないねん」

ふたりで狭い家の隅から隅まで探した。
ひきだしやら、せんたくかごやら、ごみばこやら、ひっくり返して探した。
どうでもええもんばっかり出てきて、かんじんのもんが出てこない。

夫「最後に見たんはいつ?」
わたし「きのうの夕方か夜」
夫「ほんなら家の外には出てないな?」
わたし「ふん」
夫「自分の行動を思い出してみ」
わたし「・・・・毎日同じことしてるわ。あれはきのうのことか、一昨日のことか、わからへん」

しばらく探したけどなかった。

わたし「もうええわ。ババ・ヤガーも語りも再話もホームページも、みんなおしまいや・・・」
夫「新しい人生やな」

けっきょく、なぜかいつも使ってるお出かけリュックの中にしまってあった。

うん、あってん!

よかったなって?

夫「あらためてぼくが捨てたろか?」