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語りの森を作った魔女

孤立するということ

う、シビアな話題、と思ったあなた。
ご期待にお応えしましょう。

集団の中で孤立するというと、ひりひりするような感覚に襲われます。
はみ出しっ子になりたくない、無視されたくないと思うからです。

わたしは子どものころ、ときどき、孤立しました。
いつも、やりたいことへの情熱が強かったので、まわりの空気を読むゆとりがなかったからです。
気がつくとひとりになっていたってことが、ままありました。

大人になるにつれ、情熱はますます強くなりましたが、類は友を呼ぶ。いっしょにやると面白いという仲間ができました。
それに、表面上うまく付き合うすべも知りました。

いまは、やりたいことをやって孤立するのと、自分をごまかしてうまく人とつき合うのと、どっちを取るってきかれたら、迷わず孤立ですね~

いまHPで、「昔話の語法」で孤立性について書いています。読んでくださってますか? (→こちら)
昔話の主人公は孤立的存在である。だから何とでも結びつくことができる。
とっても逆説的な考え方だけど、わたしにはよくわかるのです。孤立した経験が多いので。
わたしはひとりの人間として自立しているって常に自覚していて、大事なことに直面すると、ぎゅっと凝縮されたように心が孤立するのです。
そんなときは、たとえば相手がどんな人であれ、自分と同じ平面上に立っていて、一対一で向き合うことができるのです。

孤立するのはつらいです。
でも本質的なものを手に入れるためには、ひとりにならなくっちゃ。

小正月 

ここ山城南部は、京都府でも比較的温暖な地です。
京田辺は、降水量が少なく、暑さも寒さも厳しいところで、そのおかげで、とってもいい玉露ができます。京田辺の玉露は全国の品評会で何度も賞をとっています。

今朝起きると、めったに降らない雪が積もっていました。雪はまだ降り続いています。

葉ボタンに積もった雪。

 門の入り口のお地蔵さまと熊。熊は目にもお腹にも雪が積もっています。はらってあげようとしたら、このままでいいって言われました。たくましい熊です。

あしたのHP更新では、雪の絵本を紹介します。昔話の語法もね~

みなさん、雪で転んだり、下敷きになったりしないように、気をつけましょう。

え~らいこっちゃ!!

気がついたら9日や!
スタートが切れない!
おしりが重い!
あしたは4歳さんの「ねずみのすもう」や。じつは日常語新作。まだ覚えてない~!
あかん、ダッシュしても間に合わへん、「大工と鬼六」にしとこう。
7日の「がちょうはくちょう」をもどした段階で日常生活に戻るはずやった。
なんでや~
勉強するのはええよ。本読むのはええよ。再話するのもええよ。
けど、内にこもってどうする?
語りっちゅうもんは、体育会系やで。
ほら、立って、声出して!
あかん、お尻が・・・!

きのうの夕方、ウォーキング途中に小学生の女の子ふたり、ひとりはリフォームしたばかりの木製のベランダに、ひとりはその下の植え込みに立って、楽しそうにしゃべっていた。
わたし「なにしてんのん?」
子ども「ロミオとジュリエット!」
わたし「(無邪気に)わあ、ほんまや~!」

そのときに思い出すべきだった。今年は1月から小学校の授業があることを。
あかん、ブログ書いてる場合やない。

両手いっぱいの 

両手いっぱいの・・・
とくれば、感動もんの話かと思ったあなた。
ご期待にお応えいたしましょう。

一昨日、大阪にでかけた。
阪神デパートは幼少のころからのなじみの百貨店だ。
が、きょうは、その隣にあるA銀行から出発する。
少し西に歩いて四橋筋につきあたり、渡辺橋にむかって南下しようとしたとき、目に留まったのがヒルトンホテルだ。

ああ、あの日もホテルランチを予約していた。
ここ、この建物だ。
キタからミナミまでホテルが乱立していていちいち名前は憶えていなかったが、ここだ、まちがいない。

わたし「ここや!」
夫「ここや!」
わたし「ここのランチビュッフェ、よかったね」
夫「ソフトクリーム」

時は数年前にさかのぼる。

おいしいもんいっぱい載せたお皿を前に、気持ちよく座っていると、むこうから夫が呼んでおる。
「はよきて!」
わたし(はずかいいなあ。ヒルトンやで)
夫「はよ、はよ」

いってみると、夫が両手いっぱいにソフトクリームを受けておった。
わたし「なんでそんなとこに入れてるのん」
夫「知らんがな、止まらへんねん!」

わたしは、レバーをカタンとあげて、すぐさま大皿をとってこようとした。
夫は両手を前に出してテーブルにいそいでおる。
わたし「あかん、こぼれてる!待って~」

すぐにウェイトレスが駆けつけてくれたが後の祭り。
床をモップで拭いてくれてはるすがたを、わたしは正視出来なかった。

目の前には山盛りのソフトクリーム。
ウェイトレス「(笑いをこらえながら)どうされますか?」
ふたり「食べます」

それからしばらくはソフトクリームを見るのも嫌だった。
それいらい、夫はこわくて自分でソフトクリームをとることができない。

で、一昨日にもどる。
渡辺橋から中之島公園を西の端まで歩いてリーガロイヤルでランチビュッフェを楽しんだ。
ソフトクリームがあるかとわくわくしたが、なかった。
夫がデザートにとっても上品にイチゴソースをかけたアイスクリームのお皿を運んできた。
わたし「お、うまいやん」
夫「入れてもろてん」

リーガから国際美術館へ、歩く。
ベネツィア・ルネッサンスの絵画を堪能した。
主題の背後に描かれている山や畑や農夫に心ひかれた。
ガラス越しでなかったので、それらを丹念に見ることができた。
偉大な神や奇跡を描きながらも日常を生きる名もなき人の姿を忘れない、その精神がうれしく、親しみを感じた。

美術館の隣には科学館。
わたし「なあ、プラネタリウム、入ろう」
夫「あかん、夜になる」
わたし「プラネタリウムって、いつでも夜やで」

しかたなく淀屋橋まで遊歩道を歩く。
めずらしく空気がきれいで、ふり向くと大阪の夕日が美しかった。
わたしは大阪人だと、しみじみ思った。

ね、感動もんだったでしょ~

  ヤン

🎍 新春に 🎍

おだやかに新年を迎えることができました。
地球の上で起こっている様々な困難を思うと、奇跡のような迎春です。
感謝を氏神さんに伝えて、今年も無事にと祈るばかりです。

わたしの両親は、戦後夢中で働いて、昨日より今日、今日より明日と、希望を抱いて前へ前へと進んでいった世代です。
その世代に育てられながらも、わたしは若いころ、歴史の進歩とは何かということを考えました。企業戦士的な生き方や、上昇志向に疑問を持った、そんな新しい世代でした。
いま、災害や戦闘の情報が生々しく耳目に入ってきます。その時代に、若い世代は、個人の生き方をどうとらえているのでしょう。

人は進歩するのではなく、同じところをぐるぐると歩いていて、うまくいけばちょっと変化するかも、というのが、わたしがたどり着いたとりあえずの人生観です。
どうせぐるぐる歩くなら、すこしでも面白いものを見ながら歩きたいし、美しいものに涙しながら歩きたい。
犬に吠えつかれたり、暴走車にひやりとしたり、自分の掘った穴に落っこちたりはしますけどね。
それでも、この時代この場所に生きているからこその奇跡のようなおだやかな人生だと思います。

お話を聞く子どもたちに、わたしはかつての自分の姿を重ね合わせます。
時代は変わっていても、物語を愛する子どもの姿は変わりません。
普遍。
もしかしたら、世界中の子どもたちの、時をこえて変わらない姿なのかもしれません。
わたしの人生にもし意味があるとすれば、それかな。

今年も子どもたちといっしょに、同じところをぐるぐる歩きたいと思います。うまくいけば、なにか新しいことが見つかるかもしれません。

みなさまにとって、よいお年になりますように。
そして、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

追伸:ババの初級・中級・日常語・再話のみなさま、秘密基地にメッセージがありますよ~