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語りの森を作った魔女

いばら姫の語法 感想5

秋も深まってきて、すがすがしいお天気が続きます。
秋は、大好きな季節です。
そこはかとなく、どこへ行くともなく、旅に出たくなります。

いばら姫の語法勉強会に感想をお寄せくださったみなさま、ありがとうございました。楽しみに読んでくださっているみなさま、ありがとうございます。今回が最後になります(❁´◡`❁)

Fさん

語法は難しいですが、学び続けることで より子どもたちの心に届く語りになったらうれしいなと思います。

そうですね、語るための語法。わたしもそう思って学んでいるし、それを皆さんと共有できたら嬉しいと思っています。

今回、『原作にはない繰り返しの文章を 小澤先生が加えられた』というお話を初めて伺い、興味深く思いました。
確かに それによって絵がよく見えますし、グッと集中してくるようでした!語法に則った再話を実感しました。
小峰書店の「いばら姫」で語ってみたいと思いました。

百年の後に王子が城のらせん階段を上がっていく場面ですね。
同じ場面を同じ言葉で繰り返すだけなのに、聞き手がいかに主体的に物語に入り込んでいくかを実感するところです。
ここ、ちょっと震えますよ。
語法おそるべしです。

それから、「いばら姫は寝ているだけの主人公」という言葉が、心に残りました。そう言われれば、確かに、多くの主人公とタイプが異なります。

姫は、目に見えている部分では[寝ているだけ]で何もしていません。でも、王子は噂を聞いて、「その姫」に会いたくてたまらなくなります。
〈姫の存在そのもの〉が、王子の心を強く動かし、内なる勇気を引き出して行動させ、王子を成長へ導いているように思えました。
この主人公(いばら姫)は、目に見えない精神的な部分で 他者に大きな影響を与えているのだと感じられました。

そうか、そうか、そういうことか!!!
Fさん、ありがとう(^///^)

すると、日常においても、そういう存在は決して特別なものではなく、まわりにたくさん認められるなと思い至りました。(自分自身、反省したり感謝したりするきっかけを頂きました。)

誰もが様々な役割を担っており、互いに影響し合いながら暮らしている…。
そして、自分が自分になる道を(模索しながら)進んでいるんだと、いまの自分には感じられました。

そうですよね。
自分が自分になる道。
なんかちょっと、涙が出そうです。

昔話は深くて楽しいです◎
学びの場を作ってくださり、いろいろなよいものを分かち合ってくださってありがとうございます。
心から感謝しております。

こちらこそ、感謝しています。
おはなしは、語ることで聞き手から教えられます。
勉強会も、ヤンにとっては参加してくださる皆さんから学ばせていただいてます。
参加者の皆さん同士でも共感しあうこと、学びあうことがあればうれしいです。

オンラインだからこそお会いできる人たちがいます。
コロナ禍を逆手にとって、つながりを拡げていきたいです。

 

 

 

 

初めての~😍

みなさん、生まれて初めて子どもたちにお話を語った時のこと覚えてますか?
先輩とペアになってちょこっと語らせてもらうって経験は、ヤンにはなかったので、おはなしの選びからなにから完璧にひとりだったから、なんだかわあ~っと空飛んでるみたいな感じで終わったことを覚えています。

でね、先日、初級クラスのかたからメールをいただきました。
はじめて子どもたち対象に語ったっていう報告です。
なんか、なつかしくって、うれしかったので、紹介させていただきます。

ハロウィンのイベントで、もともとのプログラムにストーリーテリングはなかったんだけど、思い切ってやってみたんだって。
おはなしは「みじめおばさん」。死神が出てくるし、季節もハロウィンにぴったりね。

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私は子どもたちに向かっておはなしを語るのは初めてだったので、実際にやってみて、なんて楽しいんだろう! と最高な気持ちになった反面、反省点がそれはもうたくさんありました。

まず学んだのは、たくさんおはなしのストックがないと実際の状況に対応できないということでした。
イベントには絵本+「みじめおばさん」だけのつもりで挑んだのですが、全4回ある読み聞かせ時間に2回参加してくれた女の子がいて、その子に同じものばかり聞いてもらうのもなんだかなと思って、唯一即興で語れると思えた「カメのピクニック」を急遽追加で語ったりしてみました(許可なくごめんなさい。。)。
でも、年齢的なものかなと思うのですが、その場の子たちに「カメのピクニック」のオチが通じなかった…。
腑に落ちない顔で帰らせることになってしまいました。
もっと小さな子に向けたおはなしも準備していればととても反省しました。
全体的に小学校低学年~中学年の子が多く「みじめおばさん」もしっかり通じたとは言えないのですが、それでも分かりやすいポイントではニヤニヤしてくれたり「ええ~?」と声を上げてくれたりしたので、これなら「みじめおばさん」だけにしていた方がよかった…と、今冷静に振り返ると思います。
場の顔ぶれに合わせて適切な判断をする必要があるんですね。
おはなしは聞き手ありき、という入門講座でのお話が身に染みました。
「カメのピクニック」でモヤモヤして帰らせてしまったあの子が、いつか、もっと楽しめるおはなしの会に出会えることを祈りつつ、申し訳なさで胸が痛みます。

子どもに語るのって、大人に対して朗読するのとはまったく違って、責任感との勝負にもなるんですね。
大人はどんなものを聞いても、まあつまらなければつまらなかったなと思って次の楽しみを見つけてくれますが、自分で出会いを選べない子どもたちにはおはなし会で楽しい思いをして帰ってもらわなきゃいけない、それは子どものためにも、昔話のためにもだ、ということがわかってしまって、なんというか……やばい世界に足を踏み入れてしまったな(笑)と……、今さらながら実感しました。

そんな感じで2日間が終了しました。
本来は絵本読み聞かせだけのイベントだったのですが、語りにも挑戦して本当によかったです。成功したとは言えませんが、とてもいい経験でした。

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ね、子どもに語るって、めっちゃエキサイティングでしょ。
どう反応してくるか想像がつかないものね。
でも、勇気を出して第1歩を踏み出してよかったですね~
いま入門講座やってるけど、そうやって、ひとりひとりが一歩踏み出して行く、その背中を押したいと思う。
世界が変わるもん。
ヤンも、最初の一歩があった。その最初の一歩をいっしょにやろうって、言ってくれたKさんに、感謝、感謝しています~

責任感との勝負!
そうね、責任感、ヤンはとっても大切にしています。
過去から未来につなぐ媒体としての責任。
だから、おはなし会のたびに深く反省しています。
ただ、それに押しつぶされないように。
生き生きと空かけるようにすすんでいきたいな。

さてさて、「みじめおばさん」、きっと喜んでくれてたと思いますよ~
なれない場所では、子どもたちって、おとなしいものですからね。でもちゃんと反応してくれてたんだものね。
「かめのピクニック」のほうは、まずは「缶切り」が分からないとどうにもならんのよ。これを語り始めたころは、タブは一般的じゃなかったから、「かんきりをわすれたわ」って母さんガメが言ったとたんにみんな、「ええ~っ」ってのけぞったもんです。
いまは、おはなしの前に、「ねえ、みんな、かんづめ空けるときどうやって開ける?」ってとこから始める。
時代は変わりますねえ~

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きょうのおはなしひろばは、「まめとすみとわら」。
岩手県の伝承から再話したんだけど、グリム童話と同じ話です。
けど、すみとかわらとか、子ども分かるかなあ・・・
時代は変わる・・・・

 

いばら姫の語法 感想4

受講されたかたの感想、続きです~

Eさん

短く言うと、昔話と語法に感謝。昔話の研究者、リュティさん、小澤さん、ヤンさんに感謝です。それに尽きます。
もう少し長く言うと…世界中に散らばっていった、もしくは発生した昔話が語法によって貫かれている、そのことによる人間の性質の普遍性を強く感じました。
そして、昔の人の聞いて覚える能力も今とは比べ物にならない程、高かったんだろうなと思います。

昔の人の聞いて覚える能力かあ。
情報がほとんど耳からの言葉だけの時代を、人類は長く生きてきたんだものねえ。
聞く力だけでなくて、五感が鋭かったでしょうね。生き抜くために。
今は文字あり、映像あり。紙も捨てるほどある。もったいない。
簡単に伝えられるから、伝えることの重さも実感しにくいし、あんまりたくさんの情報が入ってくるから、覚えようにも覚えられない。何が覚えるべき大事なことなのかもわからない。
でも、聞いて覚える能力は手放してはいけないと、本能的に思います。
子どもはいい耳してるもの。楽しみながら鍛えていきたいと思う。
あぁ、わたしはもうおばあちゃんやけど、あきらめたらあかん、な。

語法から外れてしまった話は、聞き手の記憶に残りにくく、伝えたい気持ちが弱まったり、短い話になったり、消えてしまったりする。そんな残っている昔話を全部集めて、ギュッとしたら人間ができあがるわけですね(含世界性)。
人類への秘かなる応援話なんだなと、ヤンさんのお話を聞いて嬉しくなりました。昔話の口伝えは、ほとんど途絶えかけているのかもしれません。ありがたいことに今は、原話や再話テキストを手に取ることができるので、口伝えをこれから新たに始めるくらいの気持ちで、語法を駆使して語りや再話をしていけたらなんて楽しい人生だろうと思いました。

好きなことをして、それが人類の歴史とかかわっているを思うと、ほんのささやかなことでも、うれしいね。がんばろね。

最初はハテナ?な語法ですが、勉強し続けることで、テキストに対する引っ掛かりがなくなりました。例えば、平面性の表れね、と納得して語れるようになり、自分の好みやこだわりを手放すことができるようになってきたと感じます。
ヤンさんや先輩方は大変な努力されてテキストとにらめっこをしてきたことと思います。私は、ほとんどヤンさんの再話テキストを選んで語ってきたので、そういう部分の努力を全くしてきていません。まだまだ、自覚していない事がたくさんたくさんあると思うので、語法を分かって再話をすることで、語りを磨いていきたいなと思いました。ありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございます。
あと、おひとり、お楽しみに~

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いま、来年度の語りの森の予定を立てているところ。
なんかもう1年が過ぎ去った感じ。
まだ総会は無理やろなあU_U

 

10月のおはなし会🌰

10月25日(火)

幼稚園 4歳児

ろうそくぱっ
おはなし「ギーギードア」『おはなしはたのしい』たなかやすこ
ろうそくぱっ

9月は、ほら、おはなし会当日に階段でこけたでしょ。
だから、7月以来のおはなし会になりました。
2か月も空いたら、子ども、成長するね~!
みんな、トミーになって、「わあ~~~!」って叫んでくれました。
ああおもしろかった!

幼稚園 5歳児

ろうそくぱっ
おはなし「わたしがテピンギー」同名絵本より
絵本「いました」五味太郎/ブロンズ新社
ろうそくぱっ

「わたしがテピンギー」は、今回が初出だったので、おそるおそるでした。
やっぱり今でも初めて語る話は緊張します。
ここでこう返ってくるだろうとか、こういえば分かるかなとか、手探りだからね。でも、そのぶん、新鮮です。
わたし「井戸の周りにいる女の子たちは、みんな赤い服を着ていました」
子ども(爆笑)
わたし「どの子がテピンギーだい?」
子ども「顔見たらわかるやん!」
子ども「顔知らんねん!」

テピンギーは、内容が結構シビアなので、五味太郎で締めました。
「ねました」でとっても嬉しそうに笑っていましたよ。

***********

言い訳
月曜に高校の保育が始まったのと、火曜に幼稚園おはなし会があったのと、水曜に図書館の絵本講座2回目があったのとで、いばら姫の感想がまだお二人分、報告できてませ~ん。
お待ちあれ~~~

 

 

いばら姫の語法 感想3

すっかり秋らしくなって、うれしいなあ。
きんもくせいの香りも終わってしまいましたが、空気が澄んで空が高い。

語法勉強会の感想のご紹介です。

Dさん

正直なところ、最近になって、昔ばなし大学で学んだ語法が、語ることにどう役に立つのかなと少し懐疑的な思いがありました。
心に描いたイメージを素直に自分の声に乗せて語る時、目の前に映像が浮かんできてそれをそのまま聞き手に届ける。それだけではダメなのかな?知識が必要なのかなと思う事がありました。
でも、今日受講して、やっぱり聞かせてもらって良かったと思いました。

昔話は不思議の連続、あり得ない事が次々と起きて、聞き手の心を奪い力強く結末へと導いてくれます。
これには語法がなくてはならないと。
耳で聞く文学だからこそ、語法の大切さが理解できました。語法をおはなしの展開に沿って解説して下さり、とてもわかりやすかったです。

理論が実践にどう役に立つのかっていうのは、理論を一生懸命理解しようと頑張っているとその渦中ではわからなくなってしまうことって、ありますよね。泥沼になって(笑)
おっしゃっているような「目の前に映像が浮かんできてそれをそのまま聞き手に届ける」ことが、語り手の仕事ですよね。でもそれ、とっても難しいと思います。
というのは、語り手に表現力が必要なだけでなくて、聞き手に語彙力と高い想像力が不可欠だからです。
語り手は自分の表現力を高めるために努力をする、これは当然なんだけど、聞き手の語彙力や想像力はどうすればいいでしょう?聞く力のある子どもだけをターゲットに語りますか?いやいや、そううまくはいかないし、そんな子は自分でどんどん本を読むでしょうね。
だれもが努力しなくても楽しんで聞けるおはなしが、求められるんじゃないかと思うのです。
そうなると、だれもが努力しなくても自然に楽しめる、想像できるテキストが必要になってきます。
時間の流れに沿って聞いているだけで、すうっと物語を思い描けるような言葉の連なりを語り手が口にしてくれたら、子どもはストレスなしに聞けますよね。
それが語法にのっとったテキストだと、ヤンは思うわけですよ~

また私は、「モリー」の様に自分で行動して幸せを掴みに行く主人公が好きで、どうしてもそんなお話を選びがちです。はらはらわくわくする様な。
でも、振り返ってみれば私自身も、気力と行動力でがむしゃらに突き進む時もあれば、局面で立ちすくんでしまって誰かの励ましや示唆によって進むべき方向を見いだす事ができたりと、いろいろです。
本当に昔話は、人生そのものだと感じました。
これからは、好きなタイプのお話ばかりでなく、違うタイプのお話も意識して選んでレパートリーに加えて行きたいと思います。

自分の中にいろんな自分がいる。当たり前のことだけど、たとえば、正直な子、明るい子、親切な子、考え深い子でなくっちゃという気持ちでがんじがらめになることって、あると思うんですよね。
でも自分の中の負の部分を、自分も周りの人も認めると、楽になる。
昔話はそういうことをしてくれるんじゃないかな?
Dさんの感想から、そんなことを考えさせていただきました~

さてさて。
わたしにとってもリュティ理論は、文芸論を超えて哲学としての魅力をたたえております。みなさんも、ご自分の生き方と照らし合わせておられるようで、仲間やなあと思えてうれしいです。
あともう少し感想をいただいているので、お楽しみに~

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今日は、中学校の2学期のおはなし会についてのミーティングでした。
決めることは少しだったので、よもやま話から、コロナ後のおはなし会の在り方のような話になりました。
大人も子どもも、コロナで確実に人との距離が大きくなっている、それに反比例してオンラインを便利に使いこなすようになっている。
でね、若いお母さんにおはなしの大切さを伝えられるようなおはなしの場がもてないか、という意見に、ちょっと、かなり感動しました。

そんなおはなし会なら、コロナ収束していない今でも、すこうしずつ、実践していけますよね。
みなさんの行動力に期待します。

え?
ヤンはね、もう35年も一直線にやってきたからねえ。
その一直線の先、つまり現在、やりたいことがある。ありすぎて困っている。
なにかって?わかってるでしょ!
よい再話(^///^)
そのために学びたいことがいっぱいある~