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語りの森を作った魔女

いばら姫~含世界性☔

よく降りますね...{{{(>_<)}}}
台風でもないのに、またまた洪水や土砂崩れが起きています。
みなさまのところはご無事でしょうか(⊙_⊙;)

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『昔話の本質ーむかしむかしあるところに』報告

第1章いばら姫ー昔話の意味と外形つづき

前回の最後のところでは、恵みと脅しの極端な対比が書いてありました。
わたしたちが人生で出くわす色んなことには、確かに二面性がありますね。
昔話ではそれが象徴的に描かれているんだと思います。

今日は、昔話は短いけれども、「世界を包括している」ことについてです。
《昔話の語法》のページでは、含世界性という言葉で説明しています。こちら⇒
難しいから、ちょっとずつ進めますね。

「いばら姫」の発端部を見ていくとこんな具合です。
冒頭から姫が15歳になるまでの所で、何が描かれているでしょう。

動物(かえる)ー人間(王、お妃)ー(泉、城)
植物(木の葉、いばら)は、ストーリー進むと出てきますね。
これらは世界を構成している基本的なものです。

目に見える自然としての
ストーリーが進むと、(つむを燃やす)や(城が眠りに落ちるところ)もでてきます。

人間の世界は、子どもで代表される。

物でいえば、
働く日の物(つむ)と、祭りの日の物(金の皿)があります。

感情でいえば、
不足(子どもがいない)、あこがれ(子どもが欲しい)、苦しみ(子どもが生まれない)、喜び(子どもが生まれる)、驚き(13人目の女が入ってくる)、希望(12人目の女が贈り物をしていない)、辛さ(呪いを聞いた王)、短気(13人目の女)、復讐心(13人目の女)、同情(12人目の女)、悲しみ(呪いを聞いた王)。

行為でいえば、
失敗(13人目の女を招待しなかった)、声高い弁舌沈黙慰めの言葉

此岸(人間の世界)と彼岸の世界(予言するかえる、願や呪いをかける賢い女たち)。

こんなふうにして、「いばら姫」というたったひとつの話でも、その発端から、世界のあらゆるものが登場します。世界を包括し(ひっくるめて一つにまとめ)ようという意思が、昔話には働いているようです。

リュティ氏は、このことを、次のように言います。
昔話は小規模な宇宙である。

はい、おしまい。
次回は、グリム兄弟の再話法についてです。

 

 

いばら姫~恵みと脅し👸

『昔話の本質ーむかしむかしあるところに』(マックス・リュティ著)報告

第1章いばら姫ー昔話の意味と外形

昔話は、なんだ、おとぎばなしか!ってバカにされたり、わお、おとぎばなしみたい!ってほめられたり、評価が両極端です。
また、いわゆる教養のある大人は、昔話は子どものものって思ってるけど、すぐれた作家は昔話からインスピレーションを得て創作する。
そして、子どもって、昔話年齢(だいたい5歳~10歳くらい)のときは夢中になるけど、それを過ぎると、現実的な話を好むようになって、昔話なんて見向きもしなくなる。

受け入れ方にこういう両極端があるのことは、昔話の本質的な何かと関係があるんだと、リュティ氏はいいます。だから、しっかり考えていかなくてはならないと。

昔話が子どもの生活の中で演じている役割や、本のない時代に何千年ものあいだ演じてきた役割、それを考えると、昔話は、人間そのものにかかわる特別な文学だといいます。

そこで、「いばら姫」を読んで、昔話の根本的な特徴をいくつか取り出してみましょうというのが、この章の目的です。

++++++++++

「いばら姫」のストーリーは知ってることとして進めますね。
おぼろ~って人は完訳で読んでね。

まずテーマ
おお~、最初から、でましたね!

グリム兄弟は、この話は「古い神話のかけら」で、「人生と世界に対する太古の直感的な見かたが、かわいらしい姿で残ったもの」と考えたそうです。

でね、いばら姫は、素晴らしい才能を授けられるのに、死のような眠りに落とされ、でも目覚めて新たな盛りを迎えて(王子との結婚ね)同時に周囲の世界も栄える・・・これは、死と復活を物語っていると、リュティ氏は言います。
それがテーマなんだ(*^▽^*)

冬、死んだように横たわっている大地も春になると若々しく美しい新たな命に目覚める。そして、盛りの夏~実りの秋~眠りの冬~と、永遠に繰り返される自然。
人間を取り巻く自然界のすがた、それがテーマ。

と同時に、いばら姫は15歳で眠りに落ちますね。つまり、この年頃の少年少女は、精神的な危機に遭遇する。そして、いばらの垣根を自分のまわりにめぐらして閉じこもる。経験ありませんか?ところが、時が来ると目覚めて、新たな生活を始める。
つまり、成長期の人間のすがたが、テーマ。

すごいね、自然界と人間がオーバーラップしてる。
人間も自然の一部だから。

昔話の人物には固有名詞がない。つまり、ある個人じゃなくて、だれにでも起こりうることで、時間も特定されてないから、一度きりとは限らない。
引用
この話は一人の娘が才能を恵まれ、脅かされ、麻痺し、救われるところを描いているばかりでなく、それをあらゆる人間に通ずる問題として描いている。
そして、こんな経験は、人生で何度も起こる。
で、結末なんだけど、実人生では失敗で終わることもあるけれど、昔話は、
死の眠りのあとには一層力強い新たな命がよみがえり、孤独の後には新たな形の接触や連帯がうまれる、という信頼で(聞く人の心を)満たす。

テーマ、はっきりしましたね。

そして、「いばら姫」には「恵みと脅し」が、形を変えて繰り返し出てくる。
*賢い女の贈り物=祝福と呪い。
*王の城=いばら姫を守る天国であり、牢獄でもある。
*100年の眠り=この世からの追放であり、保護でもある。
*いばらの垣根=人(他の王子)を殺すし、すばらしい花も咲かせる。
特に、いばらの垣根はあらゆるものにしみとおっている死と復活の両極性を一番はっきり表していると言います。

はい、今日はこれでおしまい。
次回は、「いばら姫」の含世界性についてです。

 

 

文字が縦に書いてある書物📚

バレアス諸島に伝わる「この世の光」って素敵な話。
『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』に入れてあるんだけど。
何年か前にここでも話題になったんだけどね。
文字が縦に書いてある聖なる書物っていったいなんだろうって。

幽霊は、それを読まなかったがために幽霊になったのよね。

民族学博物館まで文字を調べに行った。

で、先日「この世の光」を語ってくれたババ・ヤガーのメンバーが情報をくださいました。
トルコ系のウイグル文字が似ているんじゃないかと。
ウイグル文字が主に使われれたのは西ウイグル王国の時代(9~13世紀)。
確かに縦書きなんだけど、版図が中央アジアなのね。
天山山脈の南側。
まてよ。ということは、シルクロード!
ローマに通じる道!
ローマまで来たら、地中海を通ってバレアス諸島は目と鼻の先。
そのウイグル文字で書かれた本が渡った可能性はある。
たとえば『聖者伝』とか。仏典とか。
そしたら本と一緒に宗教も伝わるし、こっそり一部の人たちが信じ守ってきたという可能性はないかな。
はい。たんなる、想像です。でも、ファンタジック!

文字の現物を見たい人は、こちら⇒

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オンライン講座日常語の語り入門、申し込み開始しましたよ~
いまふたりです。
迷っているかた、思い切ってやってみませんかφ(* ̄0 ̄)

『昔話の本質 むかしむかしあるところに』📗

わたしたち、語りの森では昔話の語法について学んでいますね。
小澤俊夫先生のご本と、昔話大学での学びをもとに復習発展させてるんだけど、そのもとの理論は、スイスの口承文芸学者マックス・リュティ氏の説でしたね。
で、リュティ氏の著書の中に、『昔話の本質-むかしむかしあるところに』『昔話の考察-今でもやっぱり生きている』というのがあって、これは、理論だけではなく、個々の昔話を取り上げて、具体的に、昔話とは何かということが書かれているφ(* ̄0 ̄)

ステイホームしながら、この2冊を読み返したの。
いいことが書いてあるのよO(∩_∩)O
で、みなさんに報告したくなった(笑)
井戸端会議でぼちぼちまとめていきますね。

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【まえがき】

スイスのラジオ公共放送で、リュティ氏の昔話についての連続放送があった。それを元に、本にしてある。だから、専門書じゃなくて、一般向け。
お、わたしたちにぴったりね(*^▽^*)

引用
昔話は独特な世界文学です。
多くの昔話が世界の大半をめぐり、移り変わる時代を通り抜けてきています。
そういう話は何度となく異なった環境に適応して外形を変えてはいますが、構造、様式、モチーフなど、主要な点では元のままです。
この驚くべき不変性は、昔話が時を越え所を越えて人間の心に合致していることを示しています。

わたしたち、よく似た話が世界中にあるって、知ってますよね。それって、昔話は「人の心に合致している」から、なんだっていうこと。

昔話に出てくる人物には、人間は自分自身と外界に対してどんな態度をとることができるか、という重大な人間の可能性が反映しているといいます。

べたにいえば、生きる知恵を示してくれるってことね。

そして、昔話は、今では口から口へと伝えられることはないけれども、人気は衰えない。子どもにとっては心の糧だし、大人にとっては文学の原型だって書いてあります。

ところで。
「かしこい百姓娘」の類話に、こんな謎があるんだって。
「世界じゅうで一番速いものは何か」
答え、わかります?
この写真の後に載せとくね。

答え(^∀^●)
「考え。私たちはここにいても考えはアメリカに着いているから」
昔話には、思考と空想の自由がある。
なおかつ、一定の規則に従っている。
規則をはっきり理解することによって、単純ではあるが奥深い昔話の本質に迫る。
これが、この本の目指すところだそうです。
ふふふ。《昔話の語法》のページを、いちから読みたくなるね~

私の持っているのは、野村泫訳/福音館書店の2冊本。
いまは、『昔話の本質と解釈』として、一冊になっています。やはり野村泫訳/福音館書店。
読んで見てくださいね~(。・∀・)ノ゙

 

 

ほたる✨✨

住宅街のまん中に、細い川が流れていて、そこに蛍が飛ぶのです。
うちから歩いて10分ほどの所。
虚空蔵谷川っていって、引っ越してきた40年前は山の中だった。

大急ぎでご飯にして行ってきました。
うまくチャンスの日にぶつからなかったみたい。でも、二匹は確実に見た。
あと、2匹ほど、ん?錯覚か?ほたるか?
毎年の風物詩です。
去年は腰痛で行けなかったけど、今年は何とか行けました。

ほたるは、カワニナっていう巻貝のすむきれいな川にしかすまないのよ。

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今日の更新、《日本の昔話》
見てくださいましたか?

「たにし息子」
カワニナではない(笑)
岩手県の話なんだけど、北日本には、まとまった昔話がたくさん残ってる。
九州にも多いけど。
北と南では、ずいぶん話の雰囲気が違いますね。
それがおもしろい。

トップページの写真も見ていただけましたか?
いつもはジミーさんの撮影なんだけど、今日のはアナンシさんのフウランです。
フウランはとってもいい香りがするの。みなさん、においました?