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ヤン について

語りの森を作った魔女

日常語で語ろう🤗

《日常語で語ろう》リニューアルしました。
スマホでも見やすくなったので、訪れてくださるとうれしいです。
自然な語りを目指しています。

今日のレパートリーの解凍。
「世界でいちばんきれいな声」『おはなしのろうそく11』東京子ども図書館
こがもが、どんな声にも驚きとあこがれを持っていること、いいなあと思います。
自分以外の何かを素直に受け入れる力が、本来、あるんだなあと思います。
そんなふうに生きていけたらいいな(✿◕‿◕✿)

《絵本のこみち》📚

絵本のこみち、リニューアルしました。
出版社が了解している本については、表紙絵をつけました。
活用してくださるとうれしいです。

今日のレパートリーの解凍
「おおかみと七匹のこやぎ」『語るためのグリム童話集1』小澤俊夫監訳/小峰書店

昔話集のアンケート、皆様の参加を心からお待ちしています。ほんとに。

 

 

 

 

グリム童話「千枚皮」👸

あんまり語ることはないんだけど、好きな話でね。
自分のために覚えた話。

KHM65番
一度読んでみて。

イギリスの「イグサの頭巾」のほうが有名かもしれない。

ATU510B「ロバ皮」
ATU510Aっていったら、シンデレラ話ですね。「灰かぶり」とか。
この二つはとっても近い関係にあるんですね。

女性の成長の話。
自分に言い寄る父親から逃げ出し、台所女に身を落とす、お姫様。
舞踏会で絶世の美女の姿に戻り、台所でまたみすぼらしい姿になる。その3回の繰り返しは、「灰かぶり」と同じ。

それでね、お城の台所って、どんなか知ってますか?
自分なりのイメージはあったんだけどね、こんなサイト見つけた。
ドイツのハノーファーのマリエンブルク城。チャペルや台所もあるから、ぜひ見てください。
じっと見てたら360度回転するからね。で、オレンジ色の丸いマークを見つけてぽちっとしたら、お城の中に入れるから。

こちら⇒

ハノーファーっていったら、グリム兄弟がここのゲッティンゲン大学の教授でしたね~


『オットーウベローデグリム童話全挿絵集』古今社より「千枚皮」

 

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今朝のレパートリーの解凍
「ひなどりとねこ」『子どもに聞かせる世界の民話』矢崎源九郎編/実業之日本社

 

休校が明けて、また子どもたちの前に立った時、前より賢くなっていなくっちゃ。
がんばろ~ね。

あ、書籍案内から好きな話をコメントしてね~

よろしく~~~

グリム童話「おいしいおかゆ」🥣

ゴールデンウイーク最終日ですねえ。
今年は、どっこも行けないし、家にいるといっても、子どもたちはもう2か月も家にいるわけだし、奇妙な連休。
みなさまどうお過ごしですか?

今朝のレパートリーの解凍。
「おいしいおかゆ」『おはなしのろうそく1』東京子ども図書館

KHM103「おいしいおかゆ」
(KHMっていうのは、グリム童話の何番目の話かっていうこと。キンダー―ウント―ハウス―メルヒェンの頭文字ね。キンダー―ウント―ハウス―メルヒェンっていうのは、グリム童話の正式名で、訳すと、子ども―と―家庭―メルヒェン)

グリム童話の中でも、超短い。でも満足感のあるお話。

ATU565
話型名は「魔法のひき臼」
そう、「塩吹き臼」と同じ。類話なの。

塩吹き臼:貧しい男が悪魔からなんでも出てくるひき臼をもらう。
おいしいおかゆ:貧しい女の子が、森のおばあさんから、おかゆの出る鍋をもらう。
塩吹き臼:兄が臼を盗むが、どうやって止めればいいかわからない。
おいしいおかゆ:母親が、ひとりで使うが、どうやって止めればいいかわからない。
塩吹き臼:海の底でいつまでも塩を出している。
おいしいおかゆ:町の人たちは道の上のおかゆを食べながら帰った。

ね、なるほどでしょO(∩_∩)O

ヤンは、幼児に語ることが多いんだけど、ずうっと前に高学年でバカウケして、最近2年生でやってみたら、やっぱりバカウケしたφ(゜▽゜*)♪

テキストは『おはなしのろうそく1』なんだけど、「、」で文章がつながっていて、イメージできないうちに次に進むのね。それで、ヤンは「。」で区切って語ってます。ほかの完訳本や『語るためのグリム童話』とかも、区切ってあるねヾ(•ω•`)o

はい、おしまい。


「おいしいおかゆ」『オットーウベローデ グリム童話全挿絵集』古今社

木下順二の『日本民話選』🐵🦀

『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論 上』報告つづき

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第4章昔話《昔話の再話について》
「木下順二の『日本民話選』」

今回は、戦後の昔話の再話が、戦前に比べて様変わりしたとして、木下順二をとりあげています。

木下順二〈きのした じゅんじ〉(1914-2006)

木下順二は、巖谷小波や楠山正雄と根本的に違っていると、瀬田先生は言います。
1、語りということを非常に大切にしていること。
これは、木下順二が劇作家であることからきています。
2、昔話の精神を心得ていて、定着させようとしていること。

『日本民話選』(木下順二 岩波少年文庫1958年)
作者あとがきから、木下順二の再話についての考えがわかります。
民話は口承であるが、書き留める方法としては、学問として正確に記録する方法と、文学として再話する方法がある。自分は、前者を利用して、文学として再話する。
そして、ジェイコブズについてこう書いています。
農民特有の魅力的な語り口を生かし、内容は、教訓など解釈をつけず、文学的密度の高い作品だと。
そのうえで、再話と再創造の違いをこう書きます。
再創造とは、民話を素材としてはいるが、解釈にも表現にも、作者自身のものを自由に駆使した作品。戯曲「夕鶴」など。

瀬田先生は、先にまとめたように、木下順二の仕事を認めてはいますが、『日本民話選』の昔話は、再話ではなくで、再創造だと反論しています。

「ツブむすこ」
・・・
とうとうむすめはあきらめて、もうこのうえは、むこうの田の中にひとところだけある、底の知れない深いどろぬまの中へ、身をしずめて死んでしまおうと心をきめた。・・・
むすめがいきなりふりむいてそのりっぱな若者の顔を見ると、それがあの、今までさがしにさがしておったツブむすこの姿だということが、さあっと水がみちてくるようにむすめにはわかった。
・・・

これを瀬田先生はこう言います。
根本からいって、これは小説だ。昔話の素材と技法を借りた別のものだ。
ね、よくわかるでしょう。

そして、
オリジナルを意識して加える限り、再話ではなく再創造だ。それはそれでいい。年長の子ども向けの小説(文学)として認めよう。
だが、再話はきっと別の方法で果たされねばならない。
というのです。

では、瀬田先生の再話観。
ある特定の再話者の顔や声や身ぶりが物語のなかにはいりこまないもの・・・
話す者と聞く者とのあいだで受け渡される昔話の、徹底的に非個人的な性質。それはひるがえって再話する立場から見れば、表現の刻印は鮮明におさなければならないが、話者の自己の刻印をおしてはならないこと、その無名性に通ずると思います。

そして、再話に何より肝心なことは、よい原話をさがすこと。それには文学の鑑識眼を基本に持たねばならないことだと言います。

最後に、木下順二の文体について、「どこの方言でもないひとつの方言主義」といい、これを批判するでもなく賛同するでもなく、話し言葉と書き言葉の合成は難しいと言っています。どっちやねん。
小澤先生は、木下順二のこの方法を、痛烈に批判されています。
どこの方言でもない方言など存在しないと。
そう考えると、この文体も木下順二の再創造ということになりますね。

はい、ここまで。

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『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論』の上巻もそろそろ終わりに近づきました。
取り上げられている文献を確認しながらの報告を続けてきましたが、図書館が休館しているので、限界に達しました。
できることなら、大阪国際児童文学館か国際子ども図書館に入りびたってリポートしたいものです。
それまで、この報告は、いったん終わります。

もう毎日書くことがないなんて、さびしいなあ。

児童文学か昔話関連で報告してほしいこと、なにかあればリクエストしてください。

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今日のレパートリー解凍は「さんびきのくま」ジェイコブズ

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みなさん、アンケートお待ちしてますo(^▽^)o