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第15回昔話の語法オンライン勉強会「白雪姫」

こんにちは。6月だというのに気温30度の日もあり、真夏なみの暑さに家の中では山下清画伯のような格好でおります。
気温の話は置いといて、さっそく昔話の語法勉強会の報告です(^^♪

「白雪姫」の話は子どものころから知っていましたが、昔話大学を受講するころからグリム童話を真剣に読むようになって、自分の知る話とグリム童話の「白雪姫」がずいぶん違うことが分かりました。
語法勉強会は当然グリム童話の「白雪姫」ですから、まず違いを書いておきますね。
☆女王は実母のこと
一般に知られているのは、女王が継母で魔女なんじゃないでしょうか。でもグリム童話の初版と2版は実母です。2版の時に批判があったのでそれ以降は継母になっています。
☆七人のこびとのこと
グリム童話では各自に名前がありません。これは、7人だけれども昔話の語法的にはひとくくりに考えるからです。絵本やアニメは目で見ますが、語りを聞くときは耳だけですから各自に個性があるとややこしくて聞いていて分かりにくくなります。こびとが登場する場面では、ほかにもっと大事なことがあり、そちらに注目しなくてはなりません。
☆毒リンゴだけではないこと
白雪姫が殺されるのは1回ではなくて、毒リンゴの前に2回あります。1回目は絹のひも、2回目は毒のくし、そして3回目が毒リンゴです。凶器がクレッシェンドしています(笑) 語法通りです。

さて、上記を踏まえたうえで、今回の勉強会の中でジミーが勝手に選んだ(笑)超々大事なところだけのピックアップです。

「白雪姫」は、実母が子どもを殺そうとする壮絶な話というとらえ方をするのではなく、リュティ先生によると〝子どもの側からこの話をみる〟と理解しやすいです。
つまり、子どもにとって母とはいつもいつも優しい存在ではありませんよね。時には怖い存在ですし、理不尽なことを言ったりされたりする存在でもあります。子どもはいつかそういう母に向き合い、乗り越えなければならないわけです。
白雪姫の実母は、その理不尽な母の頂点に立っています。なんせ、自分が〝雪のように白く、血のように赤く、黒檀のように黒い髪の子ども〟が欲しいと思ってその通りになったのに、その子が7歳になったら殺そうとするんですから。こんな理不尽はありません。だから、最後には罰を受けなければなりません。自分を殺そうとする存在ですから、いなくならなければ身の安全は保障されないわけです。これが、ざっくりした「白雪姫」の全体像です。

次に3回の繰り返し、(絹のひも、毒のくし、毒リンゴで殺される)場面です。なんで3回もおんなじ失敗をするのか? 〝白雪姫は馬鹿なのか〟という説があったそうですが、リュティ先生は昔話の語法でそれを否定されました。この3回の繰り返しは、それぞれのエピソードが孤立的に語られることによって、それぞれ別物であります。それぞれのエピソードに連続性はないのです。同一犯による連続殺人ではないのです。女王も、それぞれ変装が違います。絹のひもの時は行商人のばあさん、毒のくしの時はまずしいばあさん、毒リンゴの時は年とった百姓女です。昔話では外観を変えればそれは別人という法則があります。いや、笑うところではなくて本当にそうなんです。だから、経験知がないのではなくて、1回1回が白雪姫にとっては新たな経験です。そして、白雪姫はこびとにその都度〝だれもうちの中に入れてはいけない〟と言われているので抵抗します。一生懸命言いつけを守ってけなげです。でも、とびらを開けて買ってしまうんです。欲しいから。この気持ち、よ~~く分かります。分かりますよね! ね!!(もうええって)
そして、3回目には本当に死んでしまいます。頑張ったのに残念です。が、やがて王子があらわれて白雪姫を生き返らせてくれます。あ、キスなんかしませんよ。たまたま、喉につかえていた毒リンゴが取れたんです。王子は大喜びで城に連れて帰って結婚します。昔話は主人公の幸せのために一直線に進みますから、語法通りに白雪姫は幸せになります。こんなにうまいこと行っていいのか? というのは愚問ですね。いいんですよね、昔話だから。

でも、白雪姫は3回も失敗を繰り返し、一度死んだからこそこの幸せがあったのだと読むこともできます。そうしましたら、やっぱりこの話は感動巨編ですね。
そうじゃありませんか? 死ぬような経験を乗り越えて幸せになるんですよ。言い換えると、どんなに苦しいことがあっても、最後に幸せになるのが昔話である! もう、王子さまでも王さまでもどんどん出て来てほしい気持ちになりますよね。
そして、悪者は最後はいなくならなければなりません。

あと、語るときに意識するべきなのは、いくつも出て来る一致です。狩人が白雪姫を逃がしてほっとした時にちょうど目の前にいのししの子がかけてくる場面、白雪姫が女王に殺された後に7人の小人が帰って来る。そして、留守の間に重大な事件が起こる不在のモチーフは、ストーリーを前に進めるための重要な役割を担っているということ。

他にもヤンさんの講義ではいろいろな語法の説明がありましたが書ききれません。最後に、ジミーが勝手に決めた(笑)ヤンさんの講義の今回の肝、「白雪姫」は何を語っているのか? について書いておきます。先にも少し書いたとおり、白雪姫は3回失敗しますが、その時々で精いっぱいの対処をします。目の前のことに精いっぱい対処してそれが失敗に終わったとしても、あとで考えるとそれは幸せへの過程であったことがわかることがあります。失敗だと思っていたことが、時間がたってみるとプラスに変換していたということがあります。その場合、その失敗があったからこそ今の幸せにつながった、失敗は必然だったということです。結果オーライです。カッコよく言うと、昔話は実人生や人類の歴史の根本的な骨組みを語っているということです。どうです? 一気に格調高くなりましたね?! まあ、格調高くてもなくてもどっちでも好きな方でいいと思うんですが、語るときはこのことを忘れずにいたいと思います。

わたしはこの話を語りますが、子どもたちはおおかたが3回の繰り返し部分の内容は知らないようで興味を持つようです。反対に、冒頭の実母であるところは特に反応はなくてすんなり聞いています。冒頭は聞き手も設定を頭に思い浮かべなければならないから、そんなことは気にかけてないかのようです。
今回語法勉強会でこの話の語法を押さえられ、とてもよかったです。今まで意識していなかった個所をいろいろ考えられるようになりました。話の長短は関係ありませんが、とはいえ長い話はまず滑らかに滞りなく語らなければならないのでそれに初めはとらわれがちです。でも、その先が本当は長い道のりなんですよね。今回勉強させてもらって、またその長い道のりを少しずつ歩いて行けそうです。

きれいにまとまったところで、報告を終わります(`・ω・´)ゞ
今後の昔話の語法勉強会は、夏にオンラインで「がちょう番の娘」、冬に対面とオンラインで「お月お星」、中止になった対面の「白雪姫」がいつできるかな~という予定です。またみなさんといっしょに勉強できる日を楽しみにしております(^o^)/

第12回語法勉強会「まほうの鏡」🐟🐦🦊

12月18日の金曜日、語法勉強会がありました。
人数制限をしましたので、いつもより人数は少ないです。
久しぶりにお会いした方々と、お互い話したいことは山ほどある中、会場の設営とともに机といすを消毒し、ひたすら準備を手伝ってくださったみなさんにまず感謝です<(_ _)>

今回の話はギリシャの「まほうの鏡」(『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』)です。
主人公は狩人です。ある時狩人は海辺で魚を助けます。魚はお礼にうろこを一枚くれて、助けが必要になったらうろこを燃やせと言います。次に狩人はわしのひな鳥を助けます。親鳥がお礼にしっぽの羽を一枚くれました。さらに、きつねを助けます。きつねは背中の毛を一本くれました。
狩人は、ある国につきました。その国のお姫さまは、なんでも見えるまほうの鏡を持っていました。お姫さまは、かくれんぼをして三日たってもみつからなかった人と結婚する、みつかった人は打ち首にする、というおふれを出していました。狩人は挑戦しました。
まず、魚を呼んで口の中に隠してもらいました。もうちょっとのところで見つかってしまいました。でも惜しかったのでお姫さまは許してくれました。また狩人は挑戦し、わしを呼んで背中に乗せてもらい天の果てまで行きました。が、また見つかってしまいました。狩人はもう一度挑戦します。きつねを呼んで、お姫さまのいすの下まで穴を掘ってもらい、みごとにかくれおおせ、お姫さまと結婚しました。

まず最初に、語法とは何かですが、昔話の語法とは、昔話が持つ独特の言葉の選び方やつながり方のことです。
国語の時間に勉強した文法のように、昔話にも耳で聞いて分かりやすように言葉の選び方やつながりに法則があります。
昔話の語法を学ぶことで、語りがより聞き手にわかりやすいものとなるために、がんばって勉強しましょう(^_^)

テキストに沿って、冒頭部分から順に文法指摘をしてもらいました。
とても全部は書けないので、昔話の抽象性についてまとめてみます。

昔話は、物事や登場人物の気持ちを詳しく説明したり描写したりしません。
抽象的に語ります
どういうところが抽象的なのかというと、名指すだけというのがあります。
たとえば「森」と語る場合、針葉樹林なのか広葉樹林なのか、大きいのか小さいのか、するどい山かなだらかなのか、連なっているのかとか、小説のように森自体の描写はしません。そうすると、聞き手には、聞き手のイメージする山が即座に出て来ます。描写があればそこに注意が行ってしまいますし、聞き手のイメージと違えば修正しなくてはなりません。そんなことは話を先に進めるための妨げになります。
ストーリーを速いテンポで進めるというのもあります。
狩人は、獲物が取れずにひと晩森の中で寝ますが、ただ「森の中でねました」とあるだけです。木の下で寝たのか、木の上に登ったのか、ご飯は持ってたのか、全く説明せず、次の行では、「朝になって、海辺までやって来ると、…」ねたらすぐ朝です。もう、話が進んでいます。余分な文章が全くありません。ぜんぶそぎ落とされています。
昔話の場面は1対1で構成される
これも、小説と大いに違うところですね。耳で聞いて分からないといけませんから、登場人物が多いと分かりにくいし、覚えてられません。語るときも、登場人物が3人以上いるととっても語りにくいですよね。
三・七・九・十二・丸い数を好む
これは、「三びきの○○」「三枚のお札」「三つのねがい」など、タイトルにすでに出ているものも多いですね。話の中にも、特に3は、しょっちゅう出て来ます。3人兄弟・姉妹とか、「まほうの鏡」のように3日以内に見つけなければいけないとか。こういう数字が出てきたらいかにも昔話らしいです。また出て来た!と思うと、かえって安心するように思います。
正確さ
この話でいうと、きつねが正確にお姫さまのいすの真下に穴を掘ったことです。ピンポイントです。少しもずれていません。ずれていたら話が成立しないやんか、というまさにその通りなんです。「ヘンゼルとグレーテル」で、森で迷った二人がたった一軒の小さなお菓子の家にちゃんとたどり着くとか、「白雪姫」が、いばらを踏んで目暗めっぽうに森を走っていたら、小人の家についたとか。よく考えると、確率的には非常に小さくて、昔話の主人公たちはほぼ遭難で終わってしまいそうです。でもちゃんとつくんですね。不思議ではなくて、抽象性の表れなんです。
物理学を無視している
これは、狩人が魚ののどの中に隠してもらうところです。どんだけ大きな魚なんだよ、クジラ級?と思って語る必要はありません。最初に魚が出て来た時のイメージは、そんなに大きな魚ではないと思います。仲買人が競り落とす巨大マグロとかではなくて、スーパーに並ぶくらいの魚をイメージしてるんではないでしょうか? そのイメージでいいんです。その小さい普通の魚が狩人を飲みこんで隠すのです。物理学を無視して。ここで、大きさの整合性を追求する必要は話の筋からいうとありません。はあ、なんとうまく処理されていることでしょうか。
属性にぴったりの隠し方をする
これは、魚は狩人を飲みこんで深い海の底へもぐります。わしは背中に乗せて天の果てへ飛んでいきます。きつねは穴を掘ります。無理なこと、むちゃなことをしていませんね。聞いていて、まったく違和感ありません。「なんで○○が✖✖なんてするの?!」と聞き手が思う暇があってはいけません。その「なんで?!」は、話の筋には全く関係ないので、邪魔なだけです。話をスムーズに進めないといけないんですからね。
そういうわけで、昔話の語法というのは聞き手にわかりやすいために成立しているので、抽象性についての説明も、どれをとっても耳で聞いて分かりやすいためなんだと改めてお勉強できました。

語りの森HPの昔話の語法のところでは、検索機能がついています。そこで、抽象性とか気になるフレーズを入れるとさっと該当箇所が出て来ますので、気になったその都度に調べてみるのがいいかと思います。
語法は確かに難しいです。
あるいは私が覚えられないだけですけど、何度もこの勉強会で違う話を解説してもらうと、薄紙を一枚ずつ重ねるようにではありますが、少しずつ分かってきた…、ように…、ちょっとは思います(笑)
同じ内容を1月19日にオンラインでやってくださいます。
こちらは人数制限ありませんので、お問合せのところで詳細をご覧いただき、お申し込みください。

いよいよ年の瀬も迫ってきましたね。みなさん、お体に気を付けられて、どうぞよいお年をお迎えくださいませ(^o^)/

研究クラスの報告(^_^)

今年初めての研究クラスがありましたので報告します(^_^)
なんかね、新型コロナの感染拡大防止のために勉強会がなくなって、元々研究クラスは年に3回でしたから、今年の3月が中止になり、1年ぶりに勉強会をしたんですよ。
広い部屋に少人数で、机やいすを消毒してね、それをやらないと始まらないから。
ほんとに、生活が一変してるから、勉強会も嬉しいやら、戸惑うやら。
そんな中で、一年ぶりに勉強するのは、グリムのKHM55番「ルンペルシュティルツヒェン」です。
レポートでは、主にテキストの比較類話集めをします。
今回は、エーレンベルク稿と初版の比較、7版と2版を基にしたテキストの比較の二つもされていました。
名前を言い当てる話といえば、日本の昔話の「大工と鬼六」が思いつきます。
それにくらべて「ルンペルシュティルツヒェン」は、主人公の娘の命がかかっているとか、子どもを取られるとか、「大工と鬼六」の、〝目玉をくれ〟とは違ってシリアスなような感じを受けます。
しかし、名前を当てる話の類話を見ていくと、名前当てを聞き手といっしょに楽しむ話だというのが分かります。
類話をあたれば、何が大事か話の核を見つけられるんだとお勉強しました(^_^) 類話の数が少ない話もありますので、絶対見つかるわけではないと思いますけどね。 わたしは、自分ひとりでは見つけられないと断言します(笑)
となれば、このおはなしの後半の、いろいろなドイツの名前が出て来る会話の掛け合いをシンプルにリズムよく語る、というのが語りの練習の時の気を付けるところかなと思いました。
わたしは、この話は絶対に覚えられないから、研究クラスでレポートを読ませてもらい、とてもうれしいです。
なぜ覚えないかというと、まず〝ルンペルシュテュルツヒェン〟が言えない(´;ω;`)
そこか!?
そして、リッペンビースト、ハンメルスバーデ、シュヌールバインを次々と言えない(´;ω;`)
またそこか!?
でも、そこなんです。
言えなかったら、どうしようもないですからね。
その努力をする時間で、他の話覚えるわ!という開き直りです<(`^´)>

そして、ヤンさんの語りは、「海の水はなぜからい」でした。
これはヤンさんの再話です。
明日、外国の昔話にアップされるそうなのでみなさんお楽しみに。
この話は知ってる人も多いと思いますが、再話でどんな文章・輪郭になっているのかを確かめましょう(^^)/

呪的逃走話の読み合わせは時間切れでできませんでした。
読みあわせていくのは楽しいけれど、1話が長~~い!
ということで、今後は各自読んできて結果を勉強会で合わせることになりました。
次回は、多分・恐らく・さすがにもう大丈夫だろうと来年の7月に行うことにしました。
レポートの当番はフレッシュ!ルーキーのUさんです!

どうか、早くワクチンができますように。
みなさんもどうぞお気をつけて、お元気で(^_^)

ウェブおはなし会№7🎑

先日、電車で席を譲られました。
替わってくれたのは、多分同年代の男性でした。
感謝して座りましたが、実は筋肉のために立っていた方がいいんだけど…とは言えませんでした(笑)
とはいえ、なんだかショックでした。

ずいぶん朝夕はすごしやすくなりました。
前回はまだ暑かったですが、今回は暑さでフーフーいうことなく、ウェブおはなし会が行われました(^_^)

プログラム
「めしを食わないよめさん」『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』 語りの森
「お月さまの話」『おはなしのろうそく25』 東京こども図書館
「導師、川をわたる」 語りの森HP →こちら
「化け物問答」 語りの森HP →こちら
「かん太さまのいびき」『くしゃみくしゃみ天のめぐみ』  福音館書店

今回は5話、どれもみんな楽しく、おもしろく聞かせていただきました。
(個人的には、時間切れでヤンさんの語りがなかったのが淋しいですが)

10月から、ババ・ヤガーの通常クラスが少しずつ始まりますので、ウェブおはなし会はひとまずこれにてお休みになります。
通常クラスも少しずつコロナの感染の状況を見ながらのすすめ具合になりますので、もしかして通常クラスがまた開催できないようになれば再開になるかもしれませんが…。
今後のことはすべて様子を見ながらになります。
感染の様子を見ながらということは、どちらさまも同じであろうと思いますが、いまこの状態がしばらく続くとして、おはなし会の開催が、どういう形でなら行えるのか、それについて少し時間を取って話をしました。
あるいは、公共の場所に集まるのではなくて、オンラインでおはなし会を準備するとして、技術的なことや広報的なことについて、どんな取り組みが考えられるか、他の地域はどんなことをしているのか。
気になること、分からないことがいっぱいです。
そんな中で、知恵を絞って子どもたちにおはなしを届けることが大事なんだと、私たち語り手は熱意をもってるんですよね。
その熱意が、おはなし会がなくてもしぼまないように、自主練して行かないといけないですね!

ウェブおはなし会№6🐞

こんにちは。
まだまだ暑いですね。
ぼーっとしながら化粧をしてて、下地をぬって、ファンデーションを塗り忘れるのはわたしだけでしょうか?
わたしだけですか?
そうですか、どうもすいません<(_ _)>

今週の火曜日、6回目のウェブおはなし会がありました。
プログラム
「七人さきのおやじさま」『世界のむかし話』瀬田貞二訳/学習研究社
「だんごどっこいしょ」『日本の民話6 』大川悦生/ポプラ社文庫
「アリョーヌシカとイワーヌシカ」『まほうの馬』高杉一郎,田中泰子訳/岩波書店

おはなしが少なめだったこともありますが、参加したみんなでこれからの勉強会のことについて話しあったり、それぞれの情報を持ちあったりする時間を持ちました。
2学期から、そろそろ幼稚園のお話会が始まるという話がチラホラ…。
暑さとコロナ自粛により疲弊している、そして孤立している語り手たちですが、予防を万全にして、コロナの中でも少しずつ前に進もうと思った会でした。
次回は、9月15日。
それで、ひとまずオンラインによるおはなし会はストップします。
今回の参加は12人でした。
次回も、たくさんのご参加をお待ちしています^_^)