「児童文学を読む」カテゴリーアーカイブ

影を呑んだ少女🏰

朝台所の窓を開けたら、きんもくせいの香り
待ちに待った香り
体育祭 マスゲーム 初恋の香り

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読書の秋、本を一冊ご紹介します。
『影を吞んだ少女』フランシス・ハーディング作/児玉敦子訳/東京創元社

YA(ヤングアダルト)本です。
最近どちらかというと、こういう児童文学のほうが好みになってきました。
大人の文学と決定的に違うのは、結末。
結末に希望があると信じて読み進められるのでなければ、耐えられなくなってきたのよ。

といいつつ、これの前に読んだのは、児童文学じゃなくて、アフリカ難民と旧東ドイツの問題を扱ったドイツの小説。これもよかった。おすすめです。
『行く、行った、行ってしまった』ジェニー・エルペンディック作/浅井晶子訳/白水社
トーマス・マン賞を受賞しています。

で、『影を吞んだ少女』
中世イギリスを舞台にしたファンタジーです。
王宮に力を持つフェルモット家の人々は、代々、死霊を憑依させることができる体質です。フェルモットの当主は、代々のご先祖様の霊を呑みこんで体の中に持っています。ひえ~~
こわいでしょ。
こわいのよ。
何か事が起こると、当主の体の中で、ご先祖たちがああやこうやと相談をぶつのですよ。
当主が年とったり病気になったりで死ぬと、その口から、霊たちが煙のようにたなびいて出てくるの。そして、次の当主に乗り移っていく。

表現がリアルやから、めっちゃ想像してしまって、恐いの何の(⊙x⊙;)
こわいのよ。
おもしろいのよ~~~

主人公は、フェルモット家の若者と一般の娘との間に生まれた女の子、メークピース。
自分の出自も分からないまま、フェルモット家に拉致されて暮らし始めます。そこで、代々の暗い秘密を探り、兄を助けて自分も脱出しようとします。結局は火薬でお城を大爆発させるんだけど、スリルまんてん。
次々に現れる登場人物が、敵か味方か分からないんやから。
おもしろいのよ。

主人公も半分はフェルモット家の体質を受け継いでるから、霊を呑むことができる。
最初、瀕死のクマをいたわるんだけど、クマが死んで、クマの霊が乗りうつるの~~~
あと、フェルモット家のご先祖のひとりが知らない間に憑依していたり、医者の霊と兵士の霊は、自分の意思で吞み込むの。

ピューリタン革命とか背景を知っているともっと面白いかも。
テーマは、まあいろいろに読み取れると思うけど、わたしは、自分の運命に果敢に立ち向かう少女の成長に心震わせました(❤´艸`❤)

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昨日のおはなしひろばは新潟県の昔話で「かえる女房」
日本の異類婚の話を、いくつか紹介してみようかなと思ってるところ。

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きのうは市立図書館主催の絵本の読み聞かせ入門講座第1回。
緊急事態宣言が明けたその日から講座やなんて、効率的やね~笑
久しぶりに対面で講義したので、疲れました。ほら、何を着て行こうかとか考えんならんしね。でも、楽しかった。
講座は全5回で毎週あります。

 

 

 

エリック・カール

絵本の勉強会のグループから、毎年恒例の講演会を頼まれています。
11月なので、きっとコロナもおさまりかけてるんじゃないかと、はかない希望を持っているのですが・・・
いまは図書館が閉まったり開いたりと不安定なので、早めに準備をしています。

今年5月に、エリック・カール氏がお亡くなりになりました。
明るくさわやかな色調の絵で、単純なすっきりしたストーリーの中に、深いテーマがあらわされていて、好きな絵本作家です。

日本で出版されたものは50冊に満たなくて、ぜんぶ市の図書館にあるので、少しずつ楽しみながら読んでいます。

え?
そうです、エリック・カールといえば『はらぺこあおむし』。
もりひさし訳。偕成社刊。

『はらぺこあおむし』は、エリック・カールの第2作目の絵本なんだけど、日本でつくられたんですよ。
ほら、あおむしが食べた穴があいていたり、ページの大きさが違っていたりするでしょ。それで、アメリカの印刷所や製本会社はそんな本は作れないって二の足を踏んだのですって。
たまたま、エリック・カールの担当の編集者が日本に来て、サンプルを偕成社の社長さんに見せたら、うちでやりましょうってことになったそうです。
へえ~でしょ(@^0^)

そのエリック・カールの担当編集者アン・ベネデュースがこんなことをいっています。

エリック・カールは、自分が子どものとき、学び、創造することにどれほどの喜びを見出したかを覚えている。だから、子どもというものが、自分の世界を探検したがっていること、自分で発見し、学ぶのを楽しむものだということを信じている。それで、彼の作品は、美的に楽しめるだけでなくて、ほんとうに興味を持つ価値のある何かを学ぶ機会を、子どもに提供する。

自分の中にある子どもを思い出すこと、その重要性は、ケストナーも言っています。
ほんとうに思い出すことができたら、子どもの、未来に向かって生きようとする力を信じることができるのだと思います。
大人はみなそうでありたいです。その努力を続けたいです。
子どもは未来だからねo(〃^▽^〃)o

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おはなしひろばは、インドの昔話「はす」。
インドにも竜宮があったんや~!
短いし、きいてね(笑)

 

 

『飛ぶ教室』🧑

エーリヒ・ケストナーの作品で、なぜかこれだけが家になかった。
それで、図書館にリクエストした。
ネット予約だったし、よく確認しないで申し込んだ。
来たのは、ケストナー作/最上一平文/矢島眞澄絵/ポプラ社

え?
読んだ。
これって、ケストナー?
めっちゃがっかりしてあとがきを読んだら、「完訳も読んでほしい」と書いてあった。
つまり、抄訳だったんだ。

もし子どもが、抄訳から読んだら、ケストナーのおもしろさはわからないと思う。
気を付けて。
たしかに高橋健二訳は、今では言葉が古くて、楽しむには読書力が必要です。
それでも、抄訳はあかんやろ。

それに、挿絵はやっぱりヴァルター・トリアーでなくちゃ。
好みで言ってるんじゃないよ。ケストナーにとって、トリアーは相棒だったんだから、言ってるんですよ。ケストナー作品を最も理解した挿絵だってこと。読んでいて、挿絵から学ぶことも多い。

それで、リクエストしなおした。
こんどは、池田香代子訳/岩波少年文庫。
池田さんの文章は、高橋さんより読みやすい。

ごめん、長い前置き~
でも、『飛ぶ教室』にも長い前置きが二つもあるのよ(笑)

『飛ぶ教室』は、1933年刊。
ヒトラーの独裁が進み、ケストナーはじめ反ナチスの作家たちの本が燃やされた直後に書かれました。第二次世界大戦前夜です。
これまで報告してきたように、ケストナーは、子どもを子ども扱いしない大人です。そのケストナーが、この時代に何を書いたか。

直接、戦争やナチズムについて書いていません。
ふつうの生活、ふつうの子どもたちの少年期を切り取っているだけです。
でも、いま、わたしたち、ふつうがどんなに難しいか、わかるでしょ。
登場人物たちも、そうなのです。ふつうが難しい。
そして、そのひとりひとりの生活と感情を丁寧に拾い上げています。
ひとりの感情は、もうひとりの思いにつながり、それはまたもうひとりにと、連鎖していきます。
人と人とが関わることの美しさと哀しさと力強さがあります。

わたし、子どもの時、この本読んでこんなに泣いたかなあ。
井戸端会議で報告しようと付箋つけながら読んだんだけど、付箋、多すぎ(笑)

そのたくさんの付箋の中から一か所だけ、抜粋します。
「まえがき」から。
生きることのきびしさは、お金をかせぐようになると始まるのではない。お金をかせぐことで始まって、それが何とかなれば終わるものでもない。こんなわかりきったことをむきになって言いはるのは、みんなに人生を深刻に考えてほしいと思っているからではない。そんなことは、ぜったいにない!みんなを不安がらせようと思っているのではないんだ。ちがうんだ。みんなには、きでるだけしあわせであってほしい。ちいさなおなかが痛くなるほど、笑ってほしい。
ただ、ごまかさないでほしい、そして、ごまかされないでほしいのだ。不運はしっかり目をひらいて見つめることを、学んでほしい。うまくいかないことがあっても、おたおたしないでほしい。しくじっても、しゅんとならないでほしい。へこたれないでくれ!くじけない心をもってくれ!
(略)
へこたれるな!くじけない心をもて!わかったかい?出だしさえしのげば、もう勝負は半分こっちのもんだ。なぜなら、一発おみまいされてもおちついていられれば、あのふたつの性質、つまり勇気とかしこさを発揮できるからだ。ぼくがこれから言うことを、よくよく心にとめておいてほしい。かしこさをともなわない勇気は乱暴でしかないし、勇気をともなわないかしこさは屁のようなものなんだよ!世界の歴史には、かしこくない人びとが勇気をもち、かしこい人びとが臆病だった時代がいくらもあった。これは正しいことではなかった。
勇気ある人びとがかしこく、かしこい人びとが勇気をもつようになってはじめて、人類も進歩したなと実感されるのだろう。なにを人類の進歩と言うか、これまではともすると誤解されてきたのだ。

うん、確かに、ケストナーは大人に向けても書いている。
あのヒトラーの時代を生き抜いたケストナーからのメッセージやね。

ケストナー作品には素敵な大人が登場するけれど、今回も、まるで主人公たちの未来の姿のような大人が出てきます。その大人たちの生き方や言葉にも感動しました。

うう、何でもいいから、とにかく、読んでおくれ~

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いのち。
せいいっぱいのことを。

 

 

『エーミールと三人のふたご』👨👨👨

ケストナーって有名だけど、作品はそんなに多くないのです。
『エーミールと三人のふたご』は1934年に出ました。
ヒトラーのもとでは出版できなかったから、スイスで出版されました。

子どものとき、ふたごなのに3人ってどういう意味?って興味津々で読み始めたのを覚えています。
ケストナーにはそういう茶目っ気というか、ユーモアがあって、それが魅力です。

今回の再読で発見したこと。
おばあさんの役割(笑)

主人公は『エーミールと探偵たち』のエーミールです。
お母さんが、エーミールの将来を考えて再婚しようと思い悩みます。お相手はあのイェシュケ警部です。
お母さんは、エーミールの気持ちに従おうと考えます。
エーミールはイェシュケ警部のことは好きなのですが、これからもずっと自分はお母さんと二人で暮らしていくと思っていたし、大きくなったら自分がお母さんを助けて幸せにするんだと心に決めています。
でも、そのことをお母さんには言えません。イェシュケ警部との結婚がお母さんの希望だと思うからです。

悩むエーミールに、わたしなら何というだろう、黙って寄り添うだけだろうか、などと考えながら読みました。

終盤、助け舟を出したのは、お母さんの母親、エーミールのおばあさんでした。
森の中でおばあさんは、エーミールに話しかけます。
エーミールの思いも、お母さんの本心も知ったうえで、おばあさんは、事実と真実を話します。
真実は、長く生きてきたからこそ分かる真実です。

ここで泣いちゃった(笑)

ぜひ読んでみて~

それから、おばあさんが初めて海を見たときの描写が素晴らしい。

グスタフが、エーミールに近よりました。「すばらしいじゃないか」と、彼はいいました。
エーミールは、うなずくだけでした。
彼らは並んで、だまったまま、じっと海を見つめていました。
エーミールのおばあさんは、そっといいました。「これで、こんなおばあさんになるまで生きてきたわけがわかったよ」

日々を大切にして、おばあさんになるまで生きてきたわけが分かるようなことが、これから、ひとつでもふたつでもあれば幸せだな。

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今日のHP更新《外国の昔話》
インドの昔話「はす」
きっと皆さんあまり聞いたことないと思います。

 

 

おすすめ📖点子ちゃんとアントン

去年の秋にエーリッヒ・ケストナーの『ふたりのロッテ』『五月三十五日』『わたしが子どもだったころ』について書きました。
え?ほんま?と思う人は、「ケストナー」で検索してみてください(笑)
そののちも断続的にケストナーを読んでいます。
ほとんど子どもの頃に読んだので、再読ね。

『エーミールと探偵たち』『点子ちゃんとアントン』と続けて読んで、大人の私がふと気になったのが、ジェンダー。
料理は女の子の役割というのが前提として書かれている。
エーミールのいとこのポニーも点子ちゃんも、自立心があって積極的で勢いのある少女なんだけどね。
お茶の用意をするのはポニーの仕事。
アントンが、病気のお母さんに代わって料理をしているのを見て、点子ちゃんが「あんたがお料理するの?」と驚きます。

そんな時代だったんですね。
『エーミールと探偵たち』は1928年刊、『点子ちゃんとアントン』は1931年刊ですから。
でも、ケストナーは、アントンが料理することについて、「病気のおかあさんがきちんきちんと食事できるように世話してやるのは、誇りとするにたるじゃないか」と書いています。

時代の風潮とケストナーの人生観・価値観がよくわかる一例でした~

それから、『点子ちゃんとアントン』の「はじめに」で、ケストナーは虚構について書いています。
じっさいあったかどうかということは、どうでもいいのです。その話がほんとうだということが、かんじんなのです。ある話が、じっさいにも、その話のとおりにおこるかもしれないなら、その話はほんとうなのです。わかりましたか。それがわかったら、みなさんは芸術の重要な法則を理解したというものです。また、わからなかったとしても、べつにさしつかえはありません。

以前にも書きましたが、ケストナーは、子どもを子ども扱いしない大人です。こんな文章を読むとうれしくなりますね~