「日記」カテゴリーアーカイブ

弥生3月🎎

厳しかった冬ももう終わりになるのでしょうか。
京都府南部、きょうは、暖かでよい天気です。
梅もずいぶん花を開いています。

わたしは、指を切る やくそくする
わたしのおはなしは もう長くはない
はっぱはひろく 道はせまい
死んでいなければ 生きているでしょう
・・・「美しいテレジーナ」イタリアの昔話

新しく覚えたおはなしの結末句です。
結末句って、ナンセンスで、意味がよくわからないヾ(≧▽≦*)o
でも、なんども練習しているうちに、見えてくるものがあって、いま、この結末句がわたしの心境をぴったり表してるなあって思います。

コロナの3年で、あたらしいおはなしを覚える必要がなくなって、けっこうのんびりやってきたんだけどね。
年齢を考えると、体力的にいろいろ衰えてきてる実感があります。
それで、脳力も体力の一部かもと不安になって、昨年末から新しいおはなしを集中的に覚え始めました。
「うるわしの王女マリア」⇒こちらが覚えられたから、ほっと安心。
安心したら、もっと覚えたいってうずうずしだして、語りの場もないのに、覚えています(って、前に書いたかも~笑)

思い返せば、人生の時間の半分以上を語りに費やしてきました。
子どもに語ることを中心に、おはなしおばさんたちに向けても、おはなしなんて全く興味のない人たちに向けても、語りの回数は数えきれません。
どうしてそんな道を歩いてきたのか、よくわからないけれど、聞き手が喜ぶ顔が見たくて、それだけが歩き続けるモチベーションでした。

そんなこんなで、レパートリーは250話を超えました。
そして、もしかしたらこれがわたしの最後の話かもしれないと覚悟する歳になったのです<(_ _)>

わたしのおはなしは もう長くはない

たいしたことは何もしなかったけれど、それでも、語りという世界を見つけることができたのは、幸せです。
この世界は、過去から未来へ、町内から地球の果てに永遠に広がっています。
永遠を感じながら、ひとり、道を歩いています。

はっぱはひろく 道はせまい

わたしはそのうち無に帰すわけですが、語りの世界は永遠であってほしいと祈ります。

死んでいなければ 生きているでしょう

これまでずっと、選話の基準は「わたしの聞き手たち」だったけど、いまは、「これを最後の話にしていいのか?」です(≧∀≦)ゞ

いま、つぎのおはなしを覚えています。
イスラエルの「幸運の種まき」という話。
機会があれば聞いてくださいね~

 

たまには食べたい🍔

広告が入ってたんですよ╰(*°▽°*)╯
ケ〇タッキーのが1枚と、マ〇ドナルドのが3枚(同じのね)。
今週は町に出るしなあ、ぺーちかの帰りに買って帰ろ。
どれにしよっかな~

めったに食べないから、ほぼお祭り気分。

いつも広告をちぎって財布に入れるんだけど、めったに町に出ないから、買おうと思ってチケットを出した時には、たいてい期限切れ。
おねえさんが、「あ、これ、〇×までで、もう使えないんですよ、すみません」って、マニュアルにない対応をしてくれるのです。

ぜったい忘れんとこうと強く念じて、財布に入れた!

で、安心して、コーヒー飲みながら本を読み始めたのね。
思わず噴き出した。
こんなことが書いてあったのよ。
「糖分と脂肪たっぷりのジャンクフードの魅力に勝てないのは、狩猟採集民の先祖から受け継いだ遺伝のせい」

やった!
ジャンクフードを食べる時って、なんとなく罪の意識ない?
体に悪いもん食べてるって。
でも、これって、わたしのせいじゃなくて、遺伝のせいなんや~

ホモ・サピエンスは、1万年前はほとんど農耕か牧畜を仕事にしていて、その前は何万年も狩猟採集民だったんだって。人類の脳は、その狩猟採集生活に適応したままだそうです。

ほんまかウソか知らんけど。
おもしろいなあ。

え?その本?
ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』の漫画版。河出書房新社
『サピエンス全史』自体は、珍しく購入して少しずつ読んでるんだけどね、漫画版が出たのを知って図書館で借りた。めっちゃ分かりやすい。

ふふ、おけんたいで、チキンとポテトたべよ~

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今日の《日本の昔話》更新は「からすとたにし」
春になって暖かくなったら、ぼんやり語ってください(^///^)

おには~そと👹

ああ、節分やったなあと、のんきばあさん、巻きずしをまきました。
自分で作ると自分の好きな味にできるので、食べすぎるo(*°▽°*)o

のりはお正月の残りがあるし。
高野豆腐も、お正月の残りがあるし。
干しシイタケとかんぴょうと三つ葉を買ってきて。
あとは卵を焼いて。
よしよし、これだけあればオッケーや。
と、ところが、や。
お米が五分づきやった!
もち米でもあれば少し混ぜて、もっちりするんやけど。
ぱさぱさのご飯で巻くのはけっこう難しいよ。やってごらん。
って、だれもやらんわな。

自分と夫が食べるだけやし、目つぶってたべたら、具が真ん中に入ってなくてもわたらへんし。

ああおいしかった。食べすぎた。

子どもたちに、写真を送ったら、ふたりとも、「わー」とだけ返信してきた。
ええねん、母の味を忘れたか、恩知らずめq(≧▽≦q)

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今日のおはなしひろばは「おにのめん おふくのめん」
大好きな話です。

 

 

昔話は愛😊😊😊

あ、そうそう、語法は愛だっていつも言ってるけど、昔話自体が愛なんですよねO(∩_∩)O

え?いきなり、なんでって?

今気に入ってる話があるんだけどね。
イタリアの話でね、おばあさんと孫娘がふたりで暮らしてるの。
よくあるパターン。
で、その娘に王子さまがちょっかいかけてくるのよ(^///^)
娘はどうしていいかわからない。
そしたら、おばあさんが、教えてやるの。
連鎖譚だから、なんどもなんども、王子さまはちょっかいかけてくるし、たんびにおばあさんが教えてやるの。

そのときのおばあさんのセリフがいいのよ~
「ばあさんというのは、半分魔女みたいなもんだからね、なんでも知ってるんだよ」

おばあさんに教えられながら、娘は(王子さまも)成長して、結ばれる。
そのおばあさんのまなざしが、愛以外のなにものでもない。

だから、主人公は娘なんだけど、ヤンは主人公ではなくておばあさんの側で語ってるわけ。

でね、本来昔話は、聞き手がいて語るでしょ。聞き手がいないと語りにならないし、もちろん伝承されない。
そこが小説と違うところね。
小説家だって読み手の存在は大きいけれど、たぶん小説家は、まず自分の心の中に下りていってそこからみずから物語をつむぐと思うのね。
でも昔話の語り手は、自分の記憶の中に下りていって、それを聞き手に差しだす。
だから、そこには自分ってのはなくて、つまり自意識がなくて、まるっぽ聞き手への思いなのね。しかも、語ってくれた人の愛に裏打ちされてる。

わかるかな~
うまいこと言えへんで、ごめん。

おばあさんは、孫娘がかわいくてたまらない。
だからこの話を語った。
語り手と聞き手の関係が、物語の登場人物の関係に重なってるな、と気がついて、愛やな、と思って、この話が気に入ってるの。
まだ題をつけていないんだけど、そのうち、《外国の昔話》で紹介するね。

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明日から2月。
2月は、たまってる再話を放出するね。
週1回の更新では、なかなかはけなくって、たまるばかり。
毎日更新する予定(*^▽^*)

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ヤンの読書日記、更新しました。
アメリカの奴隷制度について知りたいなあ。

 

 

いっき読み~🌞

世の中、戦争や感染症や経済危機や、心配事であふれてるけど、いい本もいっぱい出てる。
いい本に出逢ったら、こころからほっとする。
いっき読みした本が2冊o(*^@^*)o

『私の体験』松居直著/福音館書店 2022年
図書館で予約して、手に入ったと思ったら、もう次の予約が入ってて、読めるかなって思ったんだけど、掃除やおさんどんは後回しにして、いちにちで、いっきに読んでしまった~

安野光雅さんの挿絵がすてきなの。
安野さんの描くプーさんとかq(≧▽≦q)

あ、なかみはね、福音館の月刊誌「母の友」に連載されてたエッセイをまとめたもの。2009~2011年のぶん。

絵本の好きな人、おはなしのおばさん、ボランティア、そしてそして、子育て中の親たち、これは必読だよ。
11月に亡くなった松居直さんの遺言みたい。

私自身は、上の子妊娠中に、何気なく観てたテレビに、福音館書店の社長だった松井直さんが出演されててね。
子どもを本好きにしたかったら、赤ちゃんの時から読んであげてくださいって、おっしゃってた。
ヤンは、子どもができたら、自分とおんなじ趣味で話ができたらいいなと思ってたので、本が好きな子になってくれたらと思ってた。それで、この話聞いて、「おっ!」って思った。で、実践した~

結果、子どもより、わたしのほうが子どもの本に夢中になった(*^▽^*)

『私のことば体験』は大正15年に京都で生まれた著者が、人とことばによって育てられ成長し、戦争の時代を生きて、子どものための本屋になる過程をつづったもの。
時代を超えて、子どもにとって大切なものは変わらないと感じます。

本文から、宝石のような言葉たちをいくつか抜粋して紹介しますね。

ことばは教えるものではありませんから、読むことよりも聞くことのほうが大切です。絵本の絵を見ながら人に読んでもらうというのは、本当に力になるんです。

子どもの本の出版というのは未来志向だと思うんです。どういう人間に育つように絵本を、あるいは本を、児童文学を、子どもたちに渡していくかということ。今だけを見るのではなくて、子どもたちの気持ち、内面が、これからの時代どういうふうに育っていくべきかを、しっかりと考えて編集していかなければいけない。

とくに小学校に入る前までの子どもにとって本というのは、語り手のものだということを、覚えておいていただきたいと思います。著者を知っている読者は意外にいないけれど、読んでくれた人のことは、声や表情、手の動かし方までちゃんと覚えている。そこに意味があるんです。手渡してくれた人のこと、一生忘れないですよ。それが、本の、そしてことばの命です。

ヤンは地域の大人として子どもの育ちに関わってるけど、絵本や本だけでなくて、ストーリーテリング=語りにも同じことがいえると、何度もうなづいてしまった。
ね、お話は上手下手じゃないっていつもいってるでしょ。声の良しあしでもない。あなたであること、それが大事(❁´◡`❁)

あ、いっき読みしたもう一冊のほうは、またこんどね~

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きょうは、《外国の昔話》を更新しましたよ~
マケドニアの昔話「ライオンとねずみ」
語ってね~~