「グリム童話よもやま」カテゴリーアーカイブ

グリム童話「金の鳥」🦊

「鉄のハンス」が、し~んとして聞く話なら、「金の鳥」は、笑いやため息や悲鳴があがる話o(*^@^*)o

これも高学年に語ります。
高学年になると、だいたいどんな話でもあまり反応を見せない、静かに聞くんだけど、「金の鳥」はけっこう反応します。

KHM57「金の鳥」
再話比較勉強会やら昔話の語法勉強会で取り上げましたが、もういちど読んでみてください。
子どもを励まし、大人には子どもに対してどうあるべきか忠告してくれます。

ストーリーをまわすのは、きつね。
トリックスター(こちら⇒)です。同時に彼岸からの援助者ですね。
普通、昔話の中で、援助者は一回きりしか出てこない。用事がすめば即消えるんだけど、このきつねは、何度も援助に現れる。それが、聞き手の子どもの笑いを誘うのね。

主人公の末の王子は、とっても好感を持てる心優しい子なんだけど、とにかくつぎつぎ失敗するの。そのたびにきつねが現れて、「あなたは、いくら私が言ってもだめですねえ」とかいいながら、今度はこうしなさいってアドヴァイスしてくれます。
聞き手は、「あ、またしっぱいするぞ」「ほらやっぱり」「あ、またきつねや」の繰り返しを愉しむ。語っていても楽しいです。

なぜ失敗するのか、この話では、その原因が大事なのです。
価値観の問題。

最初にきつねに出会ったとき、二人の兄のように鉄砲で撃とうとはしなかった。
優しさ。
人間にとって、最も大切な基本的なものを彼は持っていました。

1回目の失敗
きつねは、金の鳥を粗末な鳥かごから金の鳥かごに移し替えてはいけないと助言する。
ところが王子は、金の鳥には金の鳥かごこそふさわしいと考える。
自分の価値観をもとに考えるのね。それで、失敗する。

2回目の失敗
きつねは、金の馬には金の鞍を載せてはいけないと助言する。
ところが王子は、金の馬には金の鞍こそふさわしいと考える。
失敗。

3回目の失敗
きつねは、王女が両親に別れを告げることを許してはならないと助言します。
王子は、王女がかわいそうになって、許してしまう。
失敗。
子どもたちは、ここでまた失敗するぞと予想します。ふつう、昔話なら3回目は成功するはずなんだけど、王子が優しいことを知っているので、失敗するだろうと。予想しててもやっぱり、あ~あとがっかりします。
それでも、きつねが何とかしてくれると思っているので、一夜のうちに山をどけたときには、おお~っと、感動します。
子どもたち、もうすっかり主人公になっていますねq(≧▽≦q)

4回目の失敗
首吊り台の肉を買うなと助言されていたのに、買っちゃった。めっちゃがっかりです。
王子が二人の兄さんを助けるからです。
たとえぐうたら兄さんでも、王子の優しさが、ふたりを放っておけなかったのです。
案の定、兄さんたちに陥れられて、井戸の底に落ちます。井戸のへりに腰を下ろしてはいけないと助言されていたのに。がっかりです。
でも、きつねが現れる。もう笑うしかありません。

大成功
王女は、王子が汚い服を着ていても、すぐに王子だと気が付いて抱きしめます。
これは、1回目2回目の失敗の原因となった価値観の転換です。
見た目ではなく中身が本物であればいいのです。

自立
王になった主人公は、きつねに懇願されて、きつねを殺します。
3回目4回目の失敗の原因となった価値観の転換です。
人間、本当の優しさは、情にほだされることではない。

わくわくしながら聞いていた子どもたちは、主人公とともに、この二つの価値観の転換を経験します。
いや、あとになって気づくのかもしれないけど。
ね、すごい話でしょ。

去年5年生に語り終えたとき、担任の先生がみんなの前で「私も、あんなきつねが欲しい」とおっしゃった。子どもたちも、うんうんとうなずいていました。
でも、ヤンは、思わず笑ってしまいました。
いやいや、先生。あなたが子どもたちのためにきつねにならなくっちゃ。

子どもが自分で考えて行動するとき、アドヴァイスはしても強制せずに一人でやらせる。
それで失敗しても、あきらめない。
これ、子育ての極意です。

1810年に、ヴィルヘルムがマールブルクの養老院のおばあさんから聞いた話。初版から入っています。
2版で、フィーマンおばさんの語りと混交しています。

ATU550「鳥と馬と姫」
類話は多いんだけど、ATU551「命の水」ととってもよく似ていて、両者を分けることができないんだって。
ヤンは何年か前、「金の鳥」と「命の水」を一日おきに語らされてまいった(笑)

『オットーウベローデグリム童話全挿絵集』古今社より「金の鳥」

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今日のレパートリーの解凍「かきねの戸」『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』

グリム童話「鉄のハンス」👱‍♂️🧔

息子が11歳になったときに、息子のために覚えた話。

金のボールで遊ぶ王子。まだ幼児ですね。
山男ハンスが、檻のカギをおまえの母親の枕の下からとってこいという。
王子はためらうが、3回目に鍵をとってくる。
ここでね、しびれた(笑)
母親を裏切ることで、幼児から一歩踏み出した。

少年は、自分の守り手であるハンスをも裏切ることで、金の髪という宝を得る。
同時に、森を追放される。
ハンスは、主人公にとって父性ですね。
ハンスは、少年を追放するけれど、「困ったことがあれば、この森に来て、『鉄のハンス!』と三回呼ぶとよい」といいます。

少年は旅をして、台所の下働き、庭師の弟子と、身を落とします。
「灰かぶり」の男の子バージョンですね。
ここからが、主人公の青年時代です。

青年は、ここぞというときに、ハンスを呼びます。
そして、騎士となって、主人の王のために戦い、勝利します。
社会的な役割を果たすわけね。
そして、いよいよ、お姫様を手に入れる。
ここでも3回、鉄のハンスを呼びます。まだ父親が必要なのです。

とうとう、お姫様が、青年の正体を見破ります。
これ、よくあるパターンですね。
主人公の本当の姿を見出すのは、配偶者でなければならないのです。
ここで、自立します。

ラスト、結婚式に、堂々とした王が登場します。
それは、青年が自立したことによって魔法が解けて、山男から王に戻った鉄のハンスです。

父母との葛藤の中で自立していく息子。
昔話は、子育てを脇からそっと支えてくれるものだと、言い切りたい!

ある6年生の男子のことは、忘れられません。
おはなし会の最中、先生に反抗してひとり離れてあっち向いていた彼が、みんなが出て行った教室に残って、ひとこと「鉄のハンス!」と呼んだ。
ああ、彼に魔法あれ!と祈りました。

いっぽう我が息子、高校卒業後、家を離れずっと一人暮らし。今は曲がりなりにも社会人。
この日曜日に、コロナ自粛以来はじめて、県境を越えて帰ってきた。が、家には入らず、お土産を届けて戻っていった。
「福井で釣ってきたメバル。煮つけがええで」
ああ、あとはお姫様やね。
むさくるしい子やけど、どっかにお姫様おらんかな。

KHM136「鉄のハンス」
初版は「山男」。その後改訂を重ね、6版で現在の形になった。
グリムさん、練りに練ったんですね。

ATU314「黄金の若者」
ヨーロッパをはじめ、世界中に類話があります。


『オットーウベローデグリム童話全挿絵集』古今社より「鉄のハンス」

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今日のレパートリーの解凍
「かえるの王さま」グリムの複数の完訳から

これは、メバルの煮つけ(笑)

グリム童話「がちょう番の娘」👸

グリム童話の中でも、とっても大人な話って勝手に思っています(✿◡‿◡)

KHM89「がちょう番の娘」

この話は、ドロテア・フィーマンが語った話。
グリムさんは、初版の第1巻を出した後、フィーマンおばさんに出会います。そして、素晴らしい語り手だと喜んで、初版第2巻から採用しました。「三本の金髪を持った悪魔」「六人男世界をのし歩く」「三枚の鳥の羽」などです。
グリムは、7版まで文章を改訂しましたね。でも、このフィーマンおばさんの話だけは、ずっとそのままだったんだって。それほど彼女の語りをかってたんですね。

ヤンにとっては、この話、けっこう難しい。好きな話なのに、ちゃんと子どもに届かない感じ。
それで、この機会に改めて考えてみます。

呪文に焦点を当てます。

1回目:血のしずく
娘が腰元の言いなりになったとき。
母親からお守りとしてもらった、白い布についている母親の血が、言うのね。
娘は自己主張ができなかった。それが、全ての不幸のもとになったんやね。
自己主張できなかったのは、体は母親から離れていても、心はまだ自立できてなかったから。

2回目:ファラダの首
娘ががちょう番に身を落とされたとき。
母親からもらった馬が、腰元によって殺される。その首を門にかけてもらって、語りかけると、首が応える。
不幸の真っただ中。
ファラダの首を門にかけさせるという行動に出る。ちょっと成長している。

3回目:娘自身
キュルトヒェンが娘の金髪を抜こうとしたとき。
風を吹かせてキュルトヒェンの行動を制する。
これって、自分の意志で、自分の力を使ってるよね。で、それを王さまが発見することで、娘は救われる。

そう考えると、娘が母親から自立していく過程が、呪文にあらわされているといえる。
でね、よ~く考えると、この娘、血と会話ができる。馬の首とも会話ができる。風を自由に操ることができる。
これは、昔話の一次元性の表れでもあるけれど、血と馬の首を生命の象徴、風を自然と考えると、そういうものと交流できる力が娘にはあった。

主人公=聞き手。

子どもはそういう本質的なものを持っていて、それに支えられながら、自分自身の力で、人生の様々な試練にぶつかっていかなくてはならない。そうやって、成長する。

お~、テーマがはっきりしてきたね(*^▽^*)

ここで、リュティ先生の登場。
口をきく血のしずくとか口をきく馬の首とかは、昔話の中では魔法でも何でもない、物語の要素にすぎない(ほら、一次元性ね)。けれども、意味を支える役割を果たしている。血のしずくと馬を失うことで、娘は自分の力の一部を失ってしまう。窮乏と成熟の時が始まる。

引用しますね。
この窮乏を描いたところが、一番印象の深い部分である。それだけに大詰めの転換がいっそう人の心を軽くし、喜ばせる。(娘が王女の服装に戻ることで)外見が破れ、人間が本質的なものへの道を見出す。これが、昔話が聞き手に描いて見せる発展の筋道である。その底には、現実の世界においてもそういうことが起こってほしい、という希望が潜んでいる。昔話は導きの星である。

すごいね、「昔話は導きの星」だって。

最後の腰元に厳罰が下されるところ。
昔話の孤立性のところで「自己への判決」として勉強しましたね。

心理学的には、こう説明されています。
(腰元は、)邪悪だからこそ残酷な刑罰を思いつくのである。外から科されたものではない。そこに込められたメッセージは、悪い意図は悪者自身を破滅させる、ということである。
ー『昔話の魔力』ブルーノ・ベッテルハイム著/評論社

ベッテルハイムは、こんなふうにも言います。
悪者は、自分ではない他のだれかになろうということしか思いつかない。一方、がちょう番の娘は、真に自分自身であることは、他人であるふりをするよりずっと難しい、だがそれだけが、自律性を身につけ、自分の運命を変える道なのだということを、学んだのだ

今日は、ちょっと重かったね~(●’◡’●)

おわびに、がちょう番の娘の銅像を紹介しようヽ(✿゚▽゚)ノ
15年前に撮った写真。

ゲッティンゲンの市庁舎の前の広場に、泉があって、そこにがちょう番の娘が立ってるの。
ゲッティンゲン大学の学生さんが学位をとったときにキスする習わしが今でもあるんだって。

これは、ゲッティンゲンの小学校の近くにあるプレート。
かつてナチスが本を焼いたことを示す焚書の碑です。
ハイネの「本を殺すことは人を殺すこと」と書いてある。

『オットーウベローデグリム童話全挿絵集』古今社より「がちょう番の娘」

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今日のレパートリーの解凍
「アナンシと五」『子どもに聞かせる世界の民話』矢崎源九郎編/実業之日本社

 

 

グリム童話「ヘンゼルとグレーテル」🍞🍕🍪

私のレパートリーで、一番新しいのが「ヘンゼルとグレーテル」
3月の学童保育のおはなし会が、コロナ自粛に突入する直前のおはなし会なんだけど、そのときのプログラムが「ヘンゼルとグレーテル」。

「ヘンゼルとグレーテル」は、前から語りたかった。
というのは、もう10年位前になるかなあ、おはなし好きの男の子が、授業のお話会でね、
わたし「最初のお話は、」
男子「ヘンゼルとグレーテル!!!」
っていったの。
その子、学童のおはなし会でも、「ヘンゼルとグレーテル!!!」
よっぽど聞きたかったんやろうね。
「じゃあ、今度やろうね」って言って、テキスト捜したんだけど、長い。単語が難しい。絵本ではやりたくない。
結局、約束を破ってしまった(;´д`)
それで、ずっと心から離れなかったのです。

何度もテキストを見ててね、冒頭の「飢饉」で引っかかってしまった。
子どもには説明しないとわからないし、かといって、ストーリーにとって、説明しないといけないほどの重要な意味はないように思えるのね。

去年、何気なく2版を見たら、「飢饉」がない!
「食べるものがないほど貧しい」きこり、というだけ!!!
え~~~!
ほんなら、「飢饉」って、グリムさんが後で付け足したんや!

で、テキストに手を入れることにした。

KHM15「ヘンゼルとグレーテル」
あらすじは皆さんご存じですね。
不安な人はお家にある完訳本を読んでみて。こぐま社にもあります。絵本はだめよ。

エーレンベルク稿では、11番で、題名が「兄と妹」でした。
初版以降、15番「ヘンゼルとグレーテル」

グリムさん、題名を「ヘンゼルとグレーテル」にしてよかったね。世界中の子どもたちが知ってるもん。題名をつけるのって大事だね。

1、母親。
エーレンベルク稿・初版・2版:実母
7版:継母
3版~7版の間に、継母に変えた。(資料がないので、いつ変えたのかは未確認)
ほら、また継母問題。
グリムさんは、実母が子どもを捨てるなんて道徳的、倫理的に問題があると考えたのかもしれない。
でも、現代の私たちにとって、むしろ継母にするほうが問題がある。偏見を植え付けるって意味でね。
それと、実母でも子どもを捨てる。社会的、心理的、両方の面で現実として受け止めなくてはいけないと思う。

2、歌
「ポリポリ、ポリポリ、ポーリポリ わたしのおうちをかじっているのはだれだい」
この魔女の歌というか会話文は、エーレンベルク稿からすでにあります。
「風だよ、風だよ。天の子だよ」
子どもたちの答え。これは、2版から入っています。
『グリム童話を読む事典』によると、1813年1月15日にドルトヒェン・ヴィルトが伝えた歌だって。詳細な経緯がわかってるんですねヽ(✿゚▽゚)ノ

3、帰宅方法
なにせ、3日間も迷子になってお菓子の家についたんですからね。どうやって帰ったのか。
エーレンベルク稿・初版:家に帰る道を見つけてちゃっちゃと帰った。まあ、昔話だから、それでもいいんだけど(笑)
2版以降:白いアヒルの背中に乗せてもらって川をわたった。川っていったら、異界との境界でしょ。白いアヒル、意味ありげですよね。

この3点に注目して、テキストに手を入れました。
16分で語れます。
秘密基地に入れてあるから、ババの人でほしい人はどうぞ。

この話は、グレーテルの成長の話だって、小澤先生がおっしゃっていました。
親の話を盗み聞いては泣き、森に捨てられては泣き、魔女に捕まえられては泣きしていたグレーテル。泣き虫のグレーテルが、魔女をかまどに押し込んで焼き殺してしまうって。

そうですね~
最後の川をわたる場面では、ヘンゼルに指示を出すほど。完全にリーダーシップをとっています。魔女を独力でやっつけたことが自信になったんでしょうね。
ヘンゼルが小屋に閉じ込められて何もできなくなった時から、グレーテルは、自分で考え始めたんじゃないかしら。
人生ではあり得ることですね。
子どもが成長する途中で、危機はあるけど、危機をチャンスにすればいいんだ。

うん。いい話だ(❁´◡`❁)

『オットーウベローデグリム童話全挿絵集』古今社より「ヘンゼルとグレーテル」

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今日のレパートリーの解凍
「にんじんとごぼうとだいこん」『日本・中国・韓国の昔ばなし集』(日中韓こども童話交流事業実行委員会)

 

 

グリム童話「七羽のカラス」💍

「七羽のカラス」はもうずいぶん昔から語っている話。
あら、1988年の記録があるから、32年前だ(T_T)
思い出した。
お話を始めて2年目。
文庫でお話会を始めたばかりで、子どもたちがなかなか聞いてくれなかった頃。
つぶし屋3年生のガキどもをとらえて放さなかった話。この時初めてお話の持つ力を実感したんだっけ。
そののちも、しょっちゅう語ってるから、エピソードはたっぷりあるよ。
図書館でなぜか女子ばっかり七人相手にやったときは面白かったなあ。
キリスト教系の学校で語るときの、冒頭の緊張感は素晴らしい。

それはさておき。

グリム兄弟は初版を出版してから7回改訂したって、前に書きましたね。
初版の前の手書きのメモも日本語に翻訳されている。
エーレンベルク稿とか手稿とか呼ばれます。

KHM25「七羽のカラス」
エーレンベルク稿では40番「三羽のカラス」となっています。え?三羽?
初版。25番「三羽のカラス」
2版。25番「七羽のカラス」
あと7版までずっと、25番「七羽のカラス」

グリムさん、初版を出した後で変えたんだヾ(•ω•`)o
比較します。

1、カラスの数が3から7に増えてる。

2、なぜカラスになったのか?
エーレンベルク稿・初版:息子たちは、教会で礼拝のときにトランプ遊びをしていた。母親が呪った。
2版以降:妹が生まれ、息子たちはその洗礼に使う水を汲みに行ったが、我先に汲もうとしたので、つぼを泉に落としてしまった。父親が呪った。

3、指輪
エーレンベルク稿・初版:妹が旅をしていると、カラスが一羽とんできて妹に指輪を投げ落とす。それはかつて末の息子に妹がプレゼントしたものだった。ちなみに、妹が旅立つときに持って行ったものは、椅子だけ。
2版以降:妹は旅立つとき、両親の指輪を持って行く。ほかに、パンと、水を入れたつぼと、椅子を持って行く。

違いはこの3つです。
あとはほぼ同じ。

『グリム童話を読む事典』(高木昌史編著/三弥井書店)によると、ヤーコプが1815年に入手したと思われる「ウィーンの物語」のものと、冒頭部分を差し替えたそうです。

もとは、息子たちに、完全に非があったんですね。
のちには、親の誤解で呪われた。息子は被害者。呪いが解けたきっかけが親の指輪だったのもうなずけますね。親の謝罪の意味があるんだ。
なぜ妹がつらい旅をしなくてはならなかったのか、2版以降では、自分の誕生がきっかけだったからですね。献身の意味が納得できます。

ウターさんは、「KHM25は、死と再生の物語である。ここで死は動物の変身によって象徴されている。この昔話においては、呪いと救済が中心テーマである。」と述べています。

ATU451「兄たちを捜す乙女」
女の子が、動物(鳥)に変身させられた12人(7人、3人、6人)の兄を救う」話。おもに3つの型があって、混じり合っているそうです。
グリム童話では、9「十二人兄弟」、49「六羽の白鳥」が類話です。

『オットーウベローデグリム童話全挿絵集』古今社より「七羽のカラス」

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今日のレパートリーの解凍
「七羽のカラス」『昔話絵本を考える』松岡享子著/日本エディタースクール出版部