おはなしに対するときは、「自分」を無しにしないといけないのです。
とくに、子どもに語り始めたら。
自分で楽しんでいるだけなら、好きにやってたらいいんですけどね。
選ぶ基準は、自分ではなくて「子ども」
選んでしまったら、自分は「テキスト」の主人になってはいけない。
謙虚に、謙虚に、テキストに対していくのです。
もし、テキストの中で自分に分からないことや矛盾を感じることやらが出てきても、それは、自分が未熟だからだと考えるのです。
そして、勉強する。
それでもなおかつ解決しないときは、先達に教えを乞う。
私自身は、テキストに手を入れます。
「子ども」のために手を入れる。
ただ、どう手を入れるかについては、これまでの語りの経験(同じ話を数えきれない回数語る経験)と、学んできた語法と再話の知識を総動員して手を入れます。
ババヤガーで学んでいるみなさま、どうか、気軽にテキストに手を入れないでください。
そのまえに、もっともっと勉強して、子どもに語る経験を積んでください。
経験というのは、言い換えると、失敗してくださいということです。
テキストに忠実に覚えて、自分にできる精いっぱいのやり方で語って、それなのに失敗する。何度やっても失敗する。その経験をたくさん積み重ねてください。
そこではじめて、テキストの不備が見えてくるのです。
そうしたら、手を入れてもいい。
その手を入れるときに昔話の語法と再話の知識を使うのです。(ババヤガーで語法と再話の勉強もしてるでしょ)
ただし、あまりにも手を入れる箇所が多い場合は、そのテキストは捨てる!
あああ。責任感じて、もう勉強会を本気でやめたくなってるヤンより