「日記」カテゴリーアーカイブ

お願いだから、テキストを大切に💦

おはなしに対するときは、「自分」を無しにしないといけないのです。
とくに、子どもに語り始めたら。
自分で楽しんでいるだけなら、好きにやってたらいいんですけどね。

選ぶ基準は、自分ではなくて「子ども」
選んでしまったら、自分は「テキスト」の主人になってはいけない。
謙虚に、謙虚に、テキストに対していくのです。
もし、テキストの中で自分に分からないことや矛盾を感じることやらが出てきても、それは、自分が未熟だからだと考えるのです。
そして、勉強する。
それでもなおかつ解決しないときは、先達に教えを乞う。

私自身は、テキストに手を入れます。
「子ども」のために手を入れる。
ただ、どう手を入れるかについては、これまでの語りの経験(同じ話を数えきれない回数語る経験)と、学んできた語法と再話の知識を総動員して手を入れます。

ババヤガーで学んでいるみなさま、どうか、気軽にテキストに手を入れないでください。
そのまえに、もっともっと勉強して、子どもに語る経験を積んでください。
経験というのは、言い換えると、失敗してくださいということです。
テキストに忠実に覚えて、自分にできる精いっぱいのやり方で語って、それなのに失敗する。何度やっても失敗する。その経験をたくさん積み重ねてください。
そこではじめて、テキストの不備が見えてくるのです。
そうしたら、手を入れてもいい。
その手を入れるときに昔話の語法と再話の知識を使うのです。(ババヤガーで語法と再話の勉強もしてるでしょ)
ただし、あまりにも手を入れる箇所が多い場合は、そのテキストは捨てる!

あああ。責任感じて、もう勉強会を本気でやめたくなってるヤンより

 

 

今日は何の日?📚

はい、憲法記念日~

祝祭日が続くと、今日は何で休みやったかなあってわからなくなる(笑)
小学生くらいのときは、学校で先生から教わってたけどね。
「明日は憲法記念日でお休みですよ」とか、「お彼岸ですよ」とか。
学校では今もそうなのかな?
みなさんどうでした?

で、日本国憲法が作られた(発布された)のが11月3日の文化の日で、実際に行われ始めた(施行された)のが5月3日の憲法の日、って先生が説明してくださった。
小学校低学年でも、それを知ってなんだか自分が偉くなったような気持がしてたな。しかもその気持ちは毎年更新されたし。

でも、この歳になったら、もうそんな新鮮味はない(笑)
そのかわり、ああ、長いことこれのおかげで暮らしてこられたなあって、感慨深い。
改めて全文を読むと、人間っていいなあ、こんないいこと考えられるんやなあって、感動する。

憲法で言っているとおりに世の中が動いているわけではないけれど。
むしろ、なんで、ちゃんとやってくれへんのやって、腹が立ったりするけれど。
それでも、こんないいことをちゃんと書いて頭にのっけている国に住んでることは誇り。

このところ、地球のあちこちの戦争の情報が私の日常にバンバン入ってくるので、改めて第九条を声に出して読みます。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

これのおかげで、わたしは戦争で傷ついたり死んだりしなかったし、夫や子どもたちを戦場に送らなくてすんでいます。
ありがたいことです。
え?「わたし」さえよかったらいいのかって?
そう、世界じゅうのすべての「わたし」が戦争の禍から逃れられればいいのです。

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きょうのおはなしひろばは「むかでとなめくじ」
めっちゃ短い笑い話です。

 

 

朗読と音楽と語り

今日の新聞に、詩人の谷川俊太郎さんの言葉が載ってたんだけどね。

詩の朗読は音楽の演奏と同じで、場の雰囲気とかが自然に読み方を決めていくって。
ハチャメチャでもいいって感じで読んだほうが、言葉が生き生きするんだって。

それで思い出すのは、ずいぶん前に谷川さんと元永定正さんの講演会があってね。
講演会といっても壇上で難しく話すスタイルではなくて、お二人を囲んで座談会風の講演だったの。
そこで、お二人がコラボされた絵本を何冊か、谷川さんが読まれたのですが、リズムありメロディーありで、とっても楽しかった。
私も子どもたちに読んだことのある本だったし、ほかの人が読んでいるのを聞いたこともあったんだけど、そのどれとも違う。
それで、ちょっと衝撃だった。あ、こんなふうに読むんだって。私、間違ってたかなって。
そしたら、そのとき、谷川さんが、みなさん、好きなように読んでくださいっておっしゃった。
何の決まりもないし、どんなふうに読んでほしいとも思っていないって。

それがまた衝撃だった(笑)

でも、それ以来、詩の絵本とか、ナンセンス絵本とか、今まで苦手だったジャンルの本を子どもたちと楽しんで読めるようになったのよ。

絵本の言葉を読み手の感性でうけとめたらいいんやね。
それを子どもたちに「どう?」ってさしだして、子どもたちが「こう」「そう」って答えてくれるから、じゃあ、「こう」って、読んでいったらいい。って感じ。

それは、物語絵本にも通用すると思う。

そして、それは、ストーリーテリング、語りそのものでもないかな。
作者のさしだす言葉の力を信じて、自分の読みこむ力をつけていきたいなと思った雨の朝でした
(❁´◡`❁)

 

時間の贈り物🎁 またはメモ2

ゴールデンウィークの中休み(って言うか?)
ちょっと雨が降って、落ち着きます。
といっても、毎日がゴールデンウィークのヤンには、あんまり生活に影響ないんですが。
それでも暇なので、ちょっと真面目に考えたこと、書きますね。

おはなしを語ることは、時間を贈ることだと、以前にここで書いたの、覚えてますか?
忘れた人はこちら⇒時間の贈り物

さてさて。
ヤンはおはなし会のとき(=講師じゃないとき)はメモを取りません。
家に帰ってから、日記に、思い出しながらプログラムを書きます。
でね、ときどき、思い出せない話があるの。

これかなりシビアな話題なんだけど・・・書いていいかな???

たしか、もう1話あったんだけどなあ。
わたし居眠ってたんかなあ。

一生けんめい、参加者の顔を思い浮かべます。
そこでやっと、あ、〇〇さんが語ってはった!って思いだす。

何の話を語らはったかなあ。
やはり思い出せない。
その人が語ってる姿ははっきり覚えてるんだけど、話を思い出せない。

なぜか?

〇〇さんが語っているとき、わたしにその世界が見えてなかったからに違いない。
知っている話だと(この歳になるともうたいていの話は知っています)、あ、あれね、と思って聞きはじめはするんだけど、その世界にいざなってもらえない。語り手がテキストをなぞっているだけなので、語り手の心とわたしの心が共振しないのです。
これって、語りとは言えないです。
おぼえたテキストを右から左へと口に出してるだけだから、世界が見えない。
これで子どもに「聞け!」といっても聞けるはずがない。苦行です(笑)
子どもはえらい迷惑や。いやいや、おはなし嫌いになったら罪悪や。

きついこと言ってごめん。
でも、これ、ほんとのことで、自戒を込めて言ってるのです。

でね、たとえ仲間うちのおはなし会でも、たとえ勉強会でも、目の前に仲間=聞き手がいる限りは、語るということは贈るということです。
じゅうぶんに時間をかけてつくりあげたおはなしを、贈りあいたいんです。
それでこそ、語る意義がある。
語るということは相手がいるということです。
その相手に失礼にならないように、また、自分が恥ずかしくないように、ちゃんと時間をかけたものを手渡したいです。
上手じゃなくても、とちゅうで間違えても、それが贈り物かどうかは、聞く人が聞けばわかります。特に子どもは敏感ですよ。

え?
ヤンが思い出せないのは、歳のせいやって?
そうかもね~
というか、わたしの集中力の問題かも。

おまけ。
ヤンはいつのころからか、講演を聞いているときでも、よほどのとき(引用の書籍名とか)でなければ、メモを取らないでじっと講師の眼を見ています。
よいものを吸収するためにめっちゃ集中しています。
後ほど思い返して思い出せないようなことは、(今の)自分に必要ないことやからです。
この方法は、小澤俊夫先生から学びました。

 

雨の日曜日🌂

いつもの時刻に目が覚めたんだけど。
あれ?
頭痛い。
のどが痛い。
ーもちろん、膝もいたい。

きのうの図書館でウイルスもらって来たんかなあ

朝食のコーヒーを口に入れて、あつっ!
思い出した。昨日の朝も、コーヒーであつってなった。やけどしたんやった。

ねえ、口内炎とか上あごのやけどとかしたら、頭痛がしません?
わたしは、口内に故障があれば、頭から首から肩から痛むんですよ。
今日はのどまで痛い。

というわけで、きょうは、絶好のゆっくり休日なのだ。
雨降ってるし、なんにもせんでもいいし(と、かってに決めこむ)

そんなわけで、ブログ書いてる。
FMはピアノ曲を流してくれてるし。

こんな静かな日々を過ごせるときが来るなんてね、昔は、思わなかったよ。

新しい昔話集『プレッツェモリーナ』は、いったん初稿ができて、もう一度見直してるところ。今週中には、校正に出せるかな。
これも、気持ちがゆったりする要因やな。

読みかけのSFもあるし。
おいしいもんも買ってあるし。

意味のないことばっかり言ってないで、ここでちょっと予告です。

6月の昔話の語法勉強会は「ヘンゼルとグレーテル」をとりあげます。
それから、去年、昔話の残酷性の勉強会やったでしょ。あれの補講します。テーマは”「ねずの木」を読む”。たぶん8月の末頃ね。
もうひとつ、絵本の勉強会で赤羽末吉をとりあげようかと、いまいろいろ調べちゅう。これは、11月。
今秋もおはなし入門講座あります。

さて、筋トレも適当にやって、きょうは、ほんまの日曜日を過ごします。
世界情勢を考えると、ありがたいことです。