「昔話あれこれ」カテゴリーアーカイブ

こんな本📖

 

ジミーさんに紹介していただいて読んでみた。
『ひどい民話を語る会』
京極夏彦・多田克己・村上健司・黒史郎
角川書店 2022年

妖怪好きの上記の四人がひどい民話について語ってる対談(?)です。

ヤンは、日本昔話集成や日本昔話通観を毎日読んでいる身としては、知っている話がバンバン出て来ておもしろかったです。

「ひどい」民話といっているのは、いわゆる話型を持った昔話とはズレた話で、昔話が、きちんとした構造を持っているのに対して、ゆる~い、ある意味不完全な構造の話(これを民話と、この本では呼んでいます)。そのなかでも、下ネタの話が次々出て来ます。

ここで紹介されている話は、ヤンはほぼ再話に使っていませんね(笑)
「くさかった」くらいかな?
わざわざ次に伝えたいと思わなかったので。

京極夏彦さんは、「おわりに」で、これらのひどい民話は、ただのウケ狙いで、いろり端の一夜限りのその場しのぎの、アドリブだらけの、口がすべっちゃっただけの、適当な与太話だったのかもしれないといいます。
そして、そんなどうでもいいものが後世に伝えられるなんて素晴らしいと。

ヤンは、それらを再話はしていないけれど、資料として読むことで、かつてのいろり端の濃厚な空気を感じることができて楽しいと思っています。
おはなしってそうやよな~って思うのです。

昔話資料を読まなくても、この本を読めば、どんな「ひどい民話」があるか分かりますので、ぜひ読んでみてください。そして、興味があれば、1冊でも2冊でも原資料を手に取ってみてください。
語りの現場の臨場感に浸ることができます。

ヤンは、そんな語りの場をゆる~く追求したいなと思っています。

ツクツクホーシの声が、涙が出るほどうれしい今日この頃。
早く秋になれ~~~~

 

 

おとぎ話が神話になるとき🦁

本の紹介です。
ジャック・ザイプス著 吉田純子・阿部美晴訳 紀伊国屋書店 1999年

おとぎ話っていうのは、昔話とか民話とか、妖精物語とかのことです。

わたしたちは、グリム兄弟が、彼らの意図・目的があって、口承や書承の物語を再話したって知ってますよね。それは、近代国家の成立っていう、時代の要請でもあった。
ところで、ディズニ―は、グローバルな資本主義の意図のもとに、グリム童話等をアニメ化した。
そうやって、おとぎ話は、時代によって変化させられてきた。
その流れの中で、本来の物語の力はどこへいってしまったのか?
というようなことを考えさせる本、だと、思う。

本の帯に、こう書いてあります。

おとぎ話を殺したのは誰?
ーグリム兄弟やディズニーがかけた呪文を解き、物語の力を取り戻すためにー

ストーリーテリングというのは、物語の言葉でその場の人びとをひとつにまとめて、経験から生まれた知恵を伝えるもの。
ううむ、むずかしいな。少なくとも、それは語られてこそ生きる物語ってことかな?
ちょっと手に負えない部分もあるので、現段階で紹介するのは無責任かと思うけど、みなさま、読んでみてください。そして、考えたことを教えてください。

目次を紹介します。
1おとぎ話の起源
2ルンペルシュティルツヒェンと女の生みの力の衰退
3ディズニーの呪文を解く
4アイアン・ジョンについての神話を広める
5アメリカの神話としてのオズ
6現代アメリカのおとぎ話

4~6で紹介されている作品で読んだことのないものがあるので、ちゃんと読んでから、もう一度勉強したいと思っています。

画像は、「オズの魔法使い」の表紙絵です。

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猛烈に暑いって思ってたら、こんどは猛烈に雨が降っています。
各地のみなさま、どうぞお気を付けください!

今日のおはなしひろば更新は「阿波のせいざえもんと京の古金屋でんべえ」です。いい話です。聞いてくださいね。

 

6月のおはなし会🐌

6月23日(月)

こども園 4歳さん 1クラスずつ2回

ろうそくぱっ
おはなし「三匹のくま」『語りの森昔話集4おもちホイコラショ』
ろうそくぱっ

てっぱんの三匹のくま。
長さを感じずに楽しんでくれました。
今年の4歳さんは、よく聞ける学年やなあと思います。
おばあさんが、くまの家に侵入すると、「どろぼうやん」「悪(わっる)~」
「ぶつぶつもんくをいいました」の繰り返しにお腹をかかえて笑いながら、「さて、くまたちは、もうおかゆが冷めたころだと思って」というと、シンとします。
どろぼうのおばあさんがどうなるか、恐くなるようです。
めっちゃ集中してたひとりの男の子が、そうっと何気なく部屋から出て行きました。「え?」って思いながら見てたら、廊下から聞いてるのですよ。

 

6月25日(水)

こども園 5歳さん 1クラスずつ2回

ろうそくぱっ
おはなし「アナンシと五」『子どもに聞かせる世界の民話』矢崎源九郎編/実業之日本社
おはなし「くらいくらい」『語りの森昔話集』
ろうそくぱっ

ハトの奥さんの「それから・・・」の間(ま)で、「五!!!」って叫んでしまう子が、何人もいます。
どう語ったらええのか、勉強さしてもらってます。
ただ、アナンシが「五!」といったとたん、「あ!」って気づいてくれるから、まあいいか(笑)
ラストはアナンシが死んじゃって、みんな満足。うれしそうでした。
「もっかい!」のリクエストにお応えして、「くらいくらい」をやりました。
「前もしたやん」っていったんだけど、それでも聞きたいようです。
「ぎゃあ~~~~」といって終わりました。

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いま読んでる本に、ストーリーテリングと読み聞かせや読書との違いについて書いてあってね、ストーリーテリングは、聞き手と語り手とがギブアンドテイクで作って行くものってあったんです。
だから、本で読んだり、朗読で聞いたりするのとは根本的に違うのね。
「ぎゃあ~~~~」で終われるのが、ストーリーテリングなんですよ。

 

生きぬいて、モリー💃

今日は沖縄慰霊の日です。
毎年体験談に接しては、恐怖と悲しみと憤りに胸がいっぱいになります。

今年は、敗戦80年ということで、東京や大阪や日本国じゅうでの空襲や、さまざまな戦争体験がニュースや新聞に、写真とともに載っています。
がりがりにやせて真っ黒な顔の子どもたちの表情。

ひるがえって、現在進行で行われている戦争。
やはり、がりがりにやせて真っ黒な顔の子どもたちの表情。

この責任は、わたしにもある、と自分に言い聞かせても、それなら何ができるのかと、絶望的になります。

今月の語りクラスで話題に出たんだけど、「かしこいモリー」の王さまが「盗む」という言葉を使うのはよくないから、「とる」にしたらいいのではないかという考えについて。わたしの考えを聞いてくださいね。

「大男の刀(財布・指輪)を盗んで来たら」を「大男の刀(財布・指輪)をとってきたら」にする人がるけれど、どうなんだろうっていう意見です。
でもね、たとえ言葉を「とる」に変えても、盗んでくることに違いはありませんよね。
言葉の表面だけ言い換えても実質は変わらない。それって、ごまかしなんじゃないかなと思うんです。それか、わたしは盗まないという自己満足。

モリーは、親に捨てられた子どもです。親は、食べさせることができないから、どうしようもなくて捨てちゃった。捨てたくなかったでしょうね。
捨てられたから、モリーは、ふたりの姉さんといっしょに、まっくらの森の中をひたすら歩いた。
生きるために。
がりがりにやせて、真っ黒な顔をして。

そんな弱い存在が生き抜くためには、どうすればよかったんでしょう。
知恵を使って、大男の娘たちの金の鎖と自分たちのわらなわを取りかえたところで、モリーに何の罪があるでしょう。
そして、絶大な富と力を持つ王さまが、盗んでおいでといったとき、「やってみます」以外の答えはなかったと思います。
自分が幸せになるために。

そして、わたしは、モリーに幸せになってほしいです。

わたしは、モリーに何もしてやれない。
けれども、もし不幸にも、目の前の子どもたちががりがりにやせて真っ黒な顔になったとき、モリーを思い出してくれたらと思います。

目の前にいる子どもだけでなく、その先を生きる子どもたちみんなに、モリーのように生きてほしいと思います。
だから、わたしはモリーを語ります。

豆の木に登っていったジャックも同じです。
人食いの巨人、しかも宝物をいっぱい持っている巨人から、盗んでくることを悪ということはできません。
それでもなんでも生き抜いてほしいと、わたしは思います。

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今日の更新は《日本の昔話》「海行こう、川行こう」です。
悲しいテーマのお話ですが、カラっと語れば心に響きます。
語ってくださいね~

 

 

ありがと~!三匹のくま🐻

先週のおはなし会でのこと。

初めて参加したという1年生の男の子。
このあいだ、学校でおはなし会があったという。

わたし「へえ~、何小学校?」
男の子「T小学校」
わたし「へえ~~~」

わたしが体調不良で助っ人をサボった学校ではないか!

男の子「あの時、来た?」
わたし「行ってへんなあ」

こういうとき、いつも、子どもがおはなし会をどう受け止めたのか、知りたいと思う。けれども、子どもに「面白かった?」とか「どうやった?」とか尋ねるのは間違い。子どもは大人の顔色を見て答えるからね。ほんとのことを知りたかったら、こう尋ねないとだめなのですよ。⇒ 「何のお話やった?」

わたし「何のお話やった?」
男の子「三匹のくま」
わたし「ああ、大きいでっかいくまの話やな」
男の子「うん。小さいちっぽけなくま(手で小さいことを見せる)」
わたし「そうそう、小さいちっぽけなくま~笑」
わたし「ひとつだけ?」
男の子「ほかにもあった」
わたし「何の話?」
男の子「・・・・わすれた」

1時間の授業の中で、ほかにストーリーテリングもあったし絵本もあったし手遊びも、ブックトークもあったのに、この子の心に残ったのは、「小さいちっぽけなくまの話」

そっか~。
うれしいなあ。
はるかむかし、イギリスで語りつがれ、ジェイコブスさんが活字で広めた「三匹のくま」。
語りの森昔話集に再話できたことが、うれしい。
その再話を語ってくれたことが、うれしい。
T小学校で20年あまりおはなし会をつづけてきたこと、いまは心強い後輩たちが引き継いでくれていることが、うれしい。

そうやって、人から人へ、語り継がれるわくわくする想い。

その子は、「三匹のくま」のことを「小さいちっぽけなくまの話」といった。
ほらね、子どもは一番小さい主人公のくまに心を寄せてることが分かるでしょ。
小さいちっぽけなくまの小さいちっぽけな声のおかげで、おばあさんはにげていったんだから。

全国の語り手さんたち!
わたしたち、ひとりひとりの小さな小さな活動が、人類の歴史のあったかいぶぶんを育んでるんですよ~
がんばろうね!!!