「昔話あれこれ」カテゴリーアーカイブ

おはなしが育つ🐴

今週の大人のためのおはなし会(16日金)にむけて、「馬方やまんば」をもどしています。
・・・出典は『日本の昔話5』おざわとしお再話/福音館書店

この話は、2004年に小学5年生に向けて語ろうと、「母の目玉」とセットで覚えました。
もう22年育ってきたんやなあ、と、感慨深い。
幼児から大人までたくさんの人に語ってきました。

前半は、馬方がやまんばに追いかけられる、いわば鬼ごっこの場面。
手に汗握るドキドキは、自分も子どものころ経験してるから、しぜん、リアリティが生まれる。で、子どものドキドキと、馬の足を切って投げるという現実にはあり得へんけど、夢の中やったらあるよなあって、子どものやっぱりリアルな驚きが、語り手を乗せてくれる。
語るたびに子どもといっしょにドキドキしてびっくりするうち、おはなしはわたしの中でしかと根を張る。

後半は、いろりの上の梁にかくれる、いわばかくれんぼうの場面。
前半が「動」なら後半は「静」・・・このはなし、構成がうまいなあ

ここでは、いろりに火をおこすこと、甘酒をあたためること、背あぶりすること、もちを焼くこと(以上やまんばの行動)と、梁にかくれること、屋根から茅をぬいてそれを使って飲み食いすること(馬方の行動)を、語り手がリアルに想像できることが、話の肝になる。
とすれば、語り手の想像力と表現力が試されるわけね。

もう何年も前に民族学博物館のツアーで白川郷に1泊したことがある。
ほんとは2泊のはずが、1泊で切り上げになったわけは、道中雪が降り始め、着いたときには大雪で、12月にこんなに降ったことがないといって、地元の人たちが、雪対策に大忙しで、お客の相手はしていられないから帰ってくれといわれたから。
大雪の中、小さなバスで荘川のほとりを走るの、恐かったよ~

それはさておき、とりあえずその晩は合掌造りの大きな家に泊まったの。
寒かったから、いろりの周りにみんなで集まって、地元の人たちと会談。
おおきないろりでね、めっちゃ大きな薪を放りこんで、火をたく。その煙いこと!暖かいこと!
寝る前にくるりとうしろを向いて背あぶりすると、芯まで温まって、ひと晩じゅう暖かいのよ。

あのときの外気の寒さと、いろりの暖かさ、外界と遮断された静けさが、「馬方やまんば」の後半を語るとき、わたしの中に再現されるの。
何度も何度も語り、伝えているうちに、それはわたしの中に根を下ろす。

レパートリーの1話1話に育ちがあって、それが楽しい。それが語り手の幸せやと思います。

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きのうのホームページ更新は《外国の昔話》
「相棒」です。
真面目なような笑いばなし?

 

 

再話の言葉⛄

お正月気分からそろそろ抜け出さねば(^///^)
と、今年の抱負などを書いてみようかなと。

じつは、年女なんですよ。
それでね、あと何回、「年女」をやるのかって考えたらね、せいぜい1回やね。

じゃあ、それまでにやっておくことはないのか?
やり残したって後悔しないためにはどないしたらええのんか。

で、今年の抱負、なのです。
そりゃもう、「やりたいことをやる」の一択でしょ!
やりたいこと3選
その1おいしいもんを食べる
その2旅する
その3再話

その1その2は置いて、その3について書きますね。
なにしろ、ここは語りの森やしね。
(ところで、語りの森は月に3万人のアクセスがあるって、知らんかったよなあ?ヤンも知らんかった!)

再話しようと思ったら、原話になる話をさがす。
それがおもしろい!
1話1話に、むかし生きた人の人生の記憶があるから。
めっちゃありがたい。
嬉しいことも悲しいことも、そうやなあ、おんなじやなあって、しみじみする。

再話しようと思ったら、自分の言葉に直していく。
原話で言わんとすることを、わたしならどんな言葉で人に伝えるのか、考える。
まずは、ストーリーが分かるように。つぎに語彙が通じるように。
だれに語る?ってことをいちばんに、言葉を置いていく。

言葉を選ぶとき、外国の話は案外やりやすいの。
いったん翻訳されてるからね。
翻訳者には申し訳ないけれど、もとの語り手はほんまはこう語ってたんと違うん?って思うことがいっぱいある。その基準は、自分の語りにあるのよ。つまり、自分が語り手やからわかる部分が大きい。
それで、ばんばん、言葉を変えていく。

言葉を選ぶとき、むずかしいのは日本の昔話。
もとの語り手の心があって、その心はもとの語り手の土地の言葉でしか表せないって思う。
わたしの言葉に置きかえてもいいものか、そんなおこがましいこと、していいのか?
けど、そうしないとつぎの人へ伝えられないんよね。もともと、昔話は言語を越えて伝わってるわけだし。赤ずきんはもとドイツ語やよ?
で、ああ、わたし下手やなあって思いながら言葉をつむいでる。

いま再話してるのは、山梨県の雨畑集落の伝説なんだけど、人間が自然を畏れつつ、自然に手を入れながら生きていた頃の、人々の心が伝わる話。
むずかしい。
でも、現代人が、受け取ってつぎへ伝えていかんとあかんと思う。くま騒動の答えかも知れんと思ってる。

四苦八苦しながら、再話の言葉をさがしています。

まだまだ読みたい資料がいっぱいあって、再話候補のコピーが山ほどあって、楽しくてほくほくしている年女でした~

 

 

はじまりの話💫

《外国の昔話》に新しいコーナーを設けました。
〈はじまりの話〉です。
〈動物たちの話〉〈まほうの話〉〈人間たちの話〉〈おかしな話〉のあとに〈はじまりの話〉というバナーを入れたので、そこをポチっとしてみてください。⇒こちら
すると、「はじまり話リスト」のページが開きます。⇒こちら

すると、まずは台湾の「太陽を射る」が掲載されています。どうして月が生まれたかという話です。
つづいて、アラスカの「ワタリガラスが星と月と太陽を盗んだ話」があります。空に星と月と太陽が生まれたわけが語られます。
次にインドの「月のうさぎ」が載っています。
「月のうさぎ」は、お月さまでうさぎがお餅をついている話のもとになった話です。このうさぎは、お釈迦様の前世のすがたです。

というわけで、この世が生まれたころ、地球に人が住み始めたころのことを物語る話を集めています。世界じゅうの民族が、そんな原初の話を持っています。
人びとのとても豊かな想像の翼を感じます。

日本じゅう、世界じゅうに、貴重な美しい物語がちりばめられています。
この世での時間が許される限り、届けていきたいと思います。
願わくば、みなさんの手で次の人たちへ語り継いでくださいますように。

 

どこへ行きたいんだろう🚶‍♀️

古い雑誌を取り寄せました。
『季刊民話』民話と文学の会
その創刊号で、1974年12月1日発行。
全96ページの薄っぺらな冊子です。
編集後記に、創刊号を作るために、奥丹後、会津、出羽とよく旅をしたと書かれています。民話の雑誌は足でかせいで作らねばならないとも。
その旅で見つけた語り手は、その土地でおそらく一生を終える人たち。その語りは、その土地の言葉で、その土地独自の物語。

生成AIで動画まで作れる時代に、このような雑誌が保存され市民の目に提供されるとは、ほんに、図書館は宝箱だと思う。

この雑誌に掲載されている話のいくつかは、これから再話して語ってみようと思いますが、今回は、松戸市にある幼稚園の先生のエッセイについて書きます。
「おむすびとパンツ」という題の文章です。

先生はいつも園の子どもたちに昔話を語っているようです。
あるとき、「おむすびころりん」を語りました。
「むかし、あるところにおじいさんとおばあさんが・・・」と語り始めると、子どもが、「知ってる!桃太郎だ」といいました。
これって、今でもよく経験しますね。ヤンなんかしょっちゅうです(笑)
そのとき、先生は、なにくわぬ顔で先を続けました。すると、子どもが首をかしげます。先生は、「始まりは桃太郎と似ているけれど、違う話だよ」と説明を入れます。

ね、説明を入れるんですよ!

おじいさんは、おむすびをひとつずつねずみの穴に入れていきます。ぜんぶ入れ終わったとき、先生は子どもたちに相談するんですって!
「もう何もいれるものがなくなった」って。すると子どもが、
「まだあるよ、パンツが残っている」
先生は、
「パンツもころりんすっとんとん」と語る。そして、「あーあ、もうなんにもない」というと、子どもが、
「あるよ、おじいさん入っちゃいな」
先生は、
「それじゃあ、目をつむって、えい!おじいさんは、穴の中に飛びこみました」

そうやってストーリーは、あるべき道を進んで行くのです。

この先生は、子どもの反応を見ながら、手ぬぐいや着物などを穴の中に投げこんでいくそうです。子どもと語り手とが一体となって話をつくりあげていく。
この場面が、子どもたちがいちばん熱中して聞き入って来るそうです。

うーん、まいった!

子どもと一体になる語りは、ヤンも目指しているけれど、その方法はとっても難しくて、いつも試行錯誤。
まずはテキストに書かれた言葉にとらわれずに、話の魂を理解して自分の心に取り込むこと。そこではじめて言葉は自在に働くし、聞き手の気持ちと一体になれる、と思う。

先生は、子どもにとって民話だけがすべてではないとしながらも、こういいます。

「わたしが話している昔話を子どもたちが大きくなったその日に、自分の子どもたちに語って聞かせてやれる日があればと思いつつ、ひとつでも多くの昔話を自分のものとして知り、子どもに面白く語れる人になりたいと願っています」

がんばります。
すてきな先達に会えました!


子どもの柴刈りの写真(季刊民話)

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昨日はおはなしひろばを更新。
「おおかみサラマル」聞いてくださいね~

さてさて、毎日バタバタしていて既読スルーしていた井戸端会議のみなさんの記事をじっくり読み返さなくては~

 

こんな本📖

 

ジミーさんに紹介していただいて読んでみた。
『ひどい民話を語る会』
京極夏彦・多田克己・村上健司・黒史郎
角川書店 2022年

妖怪好きの上記の四人がひどい民話について語ってる対談(?)です。

ヤンは、日本昔話集成や日本昔話通観を毎日読んでいる身としては、知っている話がバンバン出て来ておもしろかったです。

「ひどい」民話といっているのは、いわゆる話型を持った昔話とはズレた話で、昔話が、きちんとした構造を持っているのに対して、ゆる~い、ある意味不完全な構造の話(これを民話と、この本では呼んでいます)。そのなかでも、下ネタの話が次々出て来ます。

ここで紹介されている話は、ヤンはほぼ再話に使っていませんね(笑)
「くさかった」くらいかな?
わざわざ次に伝えたいと思わなかったので。

京極夏彦さんは、「おわりに」で、これらのひどい民話は、ただのウケ狙いで、いろり端の一夜限りのその場しのぎの、アドリブだらけの、口がすべっちゃっただけの、適当な与太話だったのかもしれないといいます。
そして、そんなどうでもいいものが後世に伝えられるなんて素晴らしいと。

ヤンは、それらを再話はしていないけれど、資料として読むことで、かつてのいろり端の濃厚な空気を感じることができて楽しいと思っています。
おはなしってそうやよな~って思うのです。

昔話資料を読まなくても、この本を読めば、どんな「ひどい民話」があるか分かりますので、ぜひ読んでみてください。そして、興味があれば、1冊でも2冊でも原資料を手に取ってみてください。
語りの現場の臨場感に浸ることができます。

ヤンは、そんな語りの場をゆる~く追求したいなと思っています。

ツクツクホーシの声が、涙が出るほどうれしい今日この頃。
早く秋になれ~~~~