ここ京都府南部もようやく朝夕過ごしやすくなってきました。
昨日はクーラーなしで過ごせたよ。
もう早朝の蝉の声も聞こえない。
夕ぐれのツクツクホーシが人恋しい。
ほんと、今年の夏は、コロナと酷暑のダブルストレスで、まいった。
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マックス・リュティ『昔話の本質』報告
第9章昔話の主人公ー昔話の描く人間像 つづき
伝説と昔話は、数百年間、肩を並べて民衆の間に生きてきました。
両者は、互いに補い合っています。
伝説は、「人間とは何か」「世界とは何か」という不安な問いかけをします。人間は、不気味な解き難い世界、人間を死でおびやかす世界と向き合っているという認識です。(これが事実かもしれないとヤンは思う)
昔話は、伝説の問いかけに、ある種の答えを示します。主人公は、危険な見知らぬ世界を安全に導かれて行きます。(希望、勇気を与えてくれる(*^▽^*))
昔話の主人公に関して、リュティさんは、天の恵みを与えられた者だと言います。
☆彼岸の存在の贈り物が主人公に集まってきて、危機を乗り切るのを助ける!
なぜなのか、理由は簡単。主人公だからです。ただそれだけ。
主人公には怠け者もいるでしょ。彼には「どんな願いでも口に出すだけでかなえられる」という贈り物が与えられるのよ。
どうしてそんな恩恵が与えられるかっていうと、主人公だからなんですよ。
☆主人公は、まさに適切なことをする。正しいキーを押す。
天の恵みですね。理由は、主人公だからです。
お姫さまは蛙が嫌でたまらない。逃げて逃げて、最後は壁にたたきつける。すると蛙は救われて王子となる。ええ~、知らんかった(王女いわく)。
どうしてそんな恩恵が与えられるかっていうと、主人公だからなんですよ。
天の恵みを与えられていない者も昔話には出てきますね。たいていは、となりのじいさんだったり、主人公の兄弟姉妹だったり。その人たちは、いじわるだったり、嫉妬深かったり冷酷だったりします。
でも、聞き手たちは、必ず主人公と自分を同一視します。
前回、主人公は孤立していることを書きましたね。
ひとりで世界中を旅し、ひとりだからこそ本質的な問題と自由にかかわり合うことができる主人公。
そんな主人公と、自分を重ねて聞いているのです。
さてさて。
人間は、人間が作った秩序の中に暮らしています。国とか町とか家族とか。
外面的には共同体の仲間なんだけど、内面では全体の見通せない不可解な威嚇的な世界に投げ捨てられた存在だと感じる。(これって、今のコロナ禍の状況とそっくりだと思わない?自殺とか、鬱なんかも。)
そんな人間を描くのが伝説です。
じゃあ、その答えとしての昔話はどうか?
人間は孤立しているけれども、じつはあらゆるものと結ばれることができるんだ。
この洞察こそが、何百年の間、昔話が聞き手たちに力と信頼を贈ってきたとリュティさんはいいます。聞き手は、この洞察に内面的な真実を感じてきたのです。
引用
人間は世界へ投げ出された者、放棄された者、闇の中を手探りで進む者と思われるとしても、やはり人間は、一生の間、手元に流れ寄ってくる無数の援助を受けて一段また一段と進み、安全に導かれて行くのではなかろうか。
ちょっと感動。
でね、現代は量(マス)がものをいう時代だけれども、いろんな不公平や不安がある不条理の時代だけれど、この時代に、子どもたちがそういう人間像を、昔話から贈られ心の奥に取り入れることが大切。
はい、ここまで。
結局、昔話って、夢?希望?
でも夢や希望がなくてどうやって生きていけるだろうと、思うのです。
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コロナのワクチンまだできそうにないですねえ。
今までの感染症のワクチンは、最速で4年かかったって、新聞に書いてあった。
う~ん。
ワクチンできるまで、寿命が続くかなあ。
豪華客船で世界一周したいのに・・・