ふる~い昔話集を手に入れました。
『津軽むがしこ集』川合勇太郎編著/東奥日報社
昭和5年の発行です。
語りたい話を探していて、偶然見つけました。
著者は青森県のかたで、主に著者のご祖母さまが語られた昔話を集めてあります。
語りの文体は、簡潔で、土地言葉が少し混じっています。
素朴で、いい話が満載です。わくわくします。
序文も感動的です。
ちょっと紹介しますね。
まず、青森の自然。
冬になると海風がことに強く吹きあがってくるところであった。真っ黒いけわしい雪雲が海峡の向こうからあわただしく運ばれてきては、屏風のような八甲田と岩木の山脈にがっきりと支えられて、町の空一面に拡げられると、やがて向こうも見えないような綿雪が、ぼそりぼそりと降りつむのである。
ね、いいでしょ~
人びとの様子。
津軽の人たちが楽しい正月を迎えるころは、ことにはげしい吹雪の日が続いた。子どもたちは、ひょうひょうとするその寂しい吹雪の音を紙窓の外に聞きながら、うす暗い家のいろりばたやこたつの中で、ぽつねんとしたひねもすを送らねばならなかった。
津軽のムガシコは、そうした日に、きっと爺婆の口から語りだされるのであった。
ね、これが昔話(ムガシコ)が語られた背景なのね。
でね、昔話とは何なのかってことが書かれている。
どこかよその土地で語られていた話がはるばる山河を越えて伝わってきた、そんな話もたくさんある。
しかし、それがむきつけな津軽の言葉で『ムガシコああったぢぁね』と語りだされ、吹雪の夜の気分にぴったりとするまでには、子に対する素朴な親々の情けによって、いくども選択され、洗練されて、けっきょくその国土の人々の胸に愛でられ共鳴されたもののみが、語りつがれてきたのもであるに違わない。
ね、「子に対する素朴な親々の情け」が基本にあるのね。大人の子どもへの愛、その思いによって選ばれた話が、多くの人に繰り返し語られていく中で洗練されて、残っていった。
いま、わたしたちが一生懸命やってることとおんなじやね。
でも、今は子どもの生活ががらりと変わってしまって、昔話もあまり語られなくなったから、記録しておこうと思うと書いてあります。
まだ昭和初年ですよ。1930年!いまから90年も昔!!
この6年後に、柳田国男が全国的に昔話を集める研究を始めるんですよね。やっぱり、その頃、昔話が語られなくなってきたからなんですよね。
遠い親々のありがたい心遣いをふりかえって、さらに子や孫へその奇特な心掛けを長く伝えたいのである。霜柱のくずれるように、今はこの国土から消え去ろうとしているなつかしいムガシコのすがたを、ひとつでも多くとどめておきたいのである。
わたしは津軽人ではないけれど、著者の思いを受けとめて、次に伝えたいです。
日本の話も外国の話も、いつもそんな思いで語っているし、再話しています。
みんなで伝えていきましょうね。
ひとりの命は限りがあっても、伝えていけば物語は永遠に生きるのです。
表紙絵 芳賀まさをさん
************
昨日のHP更新は《日本の昔話》
岡山県の「犬神山のおおかみ」
狼の恩返しの話です。
この表紙の絵も、何ともいい感じですね。
寒い国の人々が、口を大きく開けないで、言葉を味わうように話される感じが目に浮かびます(o^―^o)
数年前に伊勢丹で催されていた渡辺貞一さん(大正6年、青森生まれ)の絵画展がとっても魅力的で、いつか青森の風景を見てみたいととずっと思っていました。遠くて簡単には行けない場所ですが(;^_^
なるほど~
おじいさんも子どもたちもおちょぼ口なのは寒いから?
青森は雪の多いところだと聞いています。
独身のころ津軽に旅したことがあったんだけど、夏でした。でも風情はありましたよ~
ねぶたを見て、斜陽館に泊まった。太宰治の生家ですが、そのころは泊まれたんですよ。
雪の津軽も行ってみたい。厳しい寒さなんでしょうね。
私の勝手なイメージですが、暖かい地方の方はしゃべり方も開放的で、寒い地方の方は口をあまり開けないで話されるような印象を持っていました。…歌も、ドイツリートとベルカントでは発声が違いますし(o^―^o)
斜陽館のHPを見てみました。まさに豪邸…地元の名士の家に生まれたとは呼んだことがありましたが、太宰治はこんな家に住んでいたとは。しかも村上先生はお泊りになったとは!忘れがたい思い出ですね。ますます青森に行ってみたくなりました。
どこにも行けないと思うと、あちこち行ってみたくなる~
いま、旅行会社のDMはなんか見るのがつらいよ~
津軽の昔話そのうちアップしますね~