エーリヒ・ケストナーの作品で、なぜかこれだけが家になかった。
それで、図書館にリクエストした。
ネット予約だったし、よく確認しないで申し込んだ。
来たのは、ケストナー作/最上一平文/矢島眞澄絵/ポプラ社
え?
読んだ。
これって、ケストナー?
めっちゃがっかりしてあとがきを読んだら、「完訳も読んでほしい」と書いてあった。
つまり、抄訳だったんだ。
もし子どもが、抄訳から読んだら、ケストナーのおもしろさはわからないと思う。
気を付けて。
たしかに高橋健二訳は、今では言葉が古くて、楽しむには読書力が必要です。
それでも、抄訳はあかんやろ。
それに、挿絵はやっぱりヴァルター・トリアーでなくちゃ。
好みで言ってるんじゃないよ。ケストナーにとって、トリアーは相棒だったんだから、言ってるんですよ。ケストナー作品を最も理解した挿絵だってこと。読んでいて、挿絵から学ぶことも多い。
それで、リクエストしなおした。
こんどは、池田香代子訳/岩波少年文庫。
池田さんの文章は、高橋さんより読みやすい。
ごめん、長い前置き~
でも、『飛ぶ教室』にも長い前置きが二つもあるのよ(笑)
『飛ぶ教室』は、1933年刊。
ヒトラーの独裁が進み、ケストナーはじめ反ナチスの作家たちの本が燃やされた直後に書かれました。第二次世界大戦前夜です。
これまで報告してきたように、ケストナーは、子どもを子ども扱いしない大人です。そのケストナーが、この時代に何を書いたか。
直接、戦争やナチズムについて書いていません。
ふつうの生活、ふつうの子どもたちの少年期を切り取っているだけです。
でも、いま、わたしたち、ふつうがどんなに難しいか、わかるでしょ。
登場人物たちも、そうなのです。ふつうが難しい。
そして、そのひとりひとりの生活と感情を丁寧に拾い上げています。
ひとりの感情は、もうひとりの思いにつながり、それはまたもうひとりにと、連鎖していきます。
人と人とが関わることの美しさと哀しさと力強さがあります。
わたし、子どもの時、この本読んでこんなに泣いたかなあ。
井戸端会議で報告しようと付箋つけながら読んだんだけど、付箋、多すぎ(笑)
そのたくさんの付箋の中から一か所だけ、抜粋します。
「まえがき」から。
生きることのきびしさは、お金をかせぐようになると始まるのではない。お金をかせぐことで始まって、それが何とかなれば終わるものでもない。こんなわかりきったことをむきになって言いはるのは、みんなに人生を深刻に考えてほしいと思っているからではない。そんなことは、ぜったいにない!みんなを不安がらせようと思っているのではないんだ。ちがうんだ。みんなには、きでるだけしあわせであってほしい。ちいさなおなかが痛くなるほど、笑ってほしい。
ただ、ごまかさないでほしい、そして、ごまかされないでほしいのだ。不運はしっかり目をひらいて見つめることを、学んでほしい。うまくいかないことがあっても、おたおたしないでほしい。しくじっても、しゅんとならないでほしい。へこたれないでくれ!くじけない心をもってくれ!
(略)
へこたれるな!くじけない心をもて!わかったかい?出だしさえしのげば、もう勝負は半分こっちのもんだ。なぜなら、一発おみまいされてもおちついていられれば、あのふたつの性質、つまり勇気とかしこさを発揮できるからだ。ぼくがこれから言うことを、よくよく心にとめておいてほしい。かしこさをともなわない勇気は乱暴でしかないし、勇気をともなわないかしこさは屁のようなものなんだよ!世界の歴史には、かしこくない人びとが勇気をもち、かしこい人びとが臆病だった時代がいくらもあった。これは正しいことではなかった。
勇気ある人びとがかしこく、かしこい人びとが勇気をもつようになってはじめて、人類も進歩したなと実感されるのだろう。なにを人類の進歩と言うか、これまではともすると誤解されてきたのだ。
うん、確かに、ケストナーは大人に向けても書いている。
あのヒトラーの時代を生き抜いたケストナーからのメッセージやね。
ケストナー作品には素敵な大人が登場するけれど、今回も、まるで主人公たちの未来の姿のような大人が出てきます。その大人たちの生き方や言葉にも感動しました。
うう、何でもいいから、とにかく、読んでおくれ~
***********
いのち。
せいいっぱいのことを。