町中でハナミズキがきれいに咲いておりますね。
他の草木もたくさんきれいに咲いているのですが、うちの近くではハナミズキが多いのでよく目に入ります。
白い花やピンクの縁取りの花、大きさも微妙に大小がありますし、どれも美しいです。
今月のプライベートレッスンは、日本の昔話を日常語のテキストに直すというものでした。
「宝下駄」『語りの森昔話集5ももたろう』語りの森
一本歯の下駄が重要なアイテムとして出てきますが、参加者さんはつい最近電車で一本歯の下駄をはいている方を見たそうです。
なんという、状況の一致でしょうか(笑)
でもなんで街中で一本下駄をはいているのかと不思議でしたのでネットで検索してみたら、最近ではトレーニングのために一本下駄を使うと出てきました。
なるほどね、体幹が鍛えられるんでしょうかね?
話の中で何度も〝転ぶ〟という言葉が出てくるんですが、わたしは〝こける〟じゃないかなと思ったんです。
参加者さん・ヤンさん・わたしの三人ともに関西弁ですが、参加者さんとヤンさんが、転ぶとこけるを併用していて、わたしだけがこけるの一択だというのがわかりました。
つまりわたしの日常語には転ぶはなくて、道でべちゃっと倒れるのも、転がるように倒れるのも、全部こけるなんです。
ヤンさんが大阪弁の辞書を調べてくれて、こけるだけを使用するのはより典型的な大阪(関西)の言葉だとわかりました。
育つ環境にもよるんでしょうが、結構近い地域に生まれ育ってもこんな風に突き詰める機会があると、言葉ってそれぞれ違うんだなと実感しました。
再話もそうですけど、日常語テキストに直すときも、自分の言葉の感覚を敏感にしておかないといけないですね。
いろんな発見があり、今回も楽しい時間でした(^O^)/
ジミーさん、報告ありがとうございます。
転んだにくらべて、こけたは、ちょっと笑える状況かな。そんなニュアンスがあるな。
地域性があると思うけど、親の言葉にもすごい影響があると思う。
日常語になおすとき、これってどういうかなあって記憶をたどってたら、親とかおばあちゃんの顔が浮かんだりするよ。
ことばって、時間軸にも奥行きがあるねんね。
ヤンさん、コメントありがとうございます。
親の言葉ってすごく影響がありますよね。
日常語のテキストに直すときにたしかに、親の日常語がどんどん思いだされてきます。
うちの父と母は、隣町同士の出身ですが、言葉が全然違います。
言葉の違いに男女の違いが足されていて、母からは父の言葉遣いは使用禁止みたいに言われてましたが、両親の言葉がミックスされて今の自分の言葉になってますね。
日常語の語りを聞いたり、テキストを自分で直したりするときにほっこりする気持ちがわいてくるのは、懐かしい思い出がよみがえってくるからですかね。