子どもたちに人気のグリム童話「ヘンゼルとグレーテル」
先日の勉強会のあと、参加者のみなさんから感想をいただきました。
人の数だけ語りがあるわけですが、勉強会で受け取ったことも、おひとりおひとりが違っています。
その違うところが、興味深いし、とっても大事だと思うので、いつもここにご紹介する次第でございます。
では、いってみよー
Uさん
この度も、深い学びの時間をいただきありがとうございました。
結論は「自分を拠り所にする」ということですね!
広く読まれるメルヒェンとして、グリム童話が今も残っているという事は、グリム兄弟の編纂のおかげなんだなとも思われました。その時代の人々に受け入れられることを拒んだら、誰にも好まれず、なくなっていたかもしれません。
エーレンベルク稿が本来の語りのテキストなのですが、それから200年以上の時を経た人類の精神的な在り方が全く違うものになっているので、その限られた言葉の中で、当時の聞き手が受け取っていた同質のものを、今の私たちが受け取ることは不可能なんだと思います。現代人に合った言葉に変えたり、付け加えたりするための再話のヒントが昔話の語法にあるのだという事が、深く納得できたように思います。人類にとって普遍的な大事な事を、再話の力で繋いでいく可能性を見出せるのだと思います。
また、語法の勉強と共に、2版と7版の比較をして頂いたことで、言葉による表現の違いで、受け取るものが大きく変わってくることも感じる事が出来ました。特に人物の心情描写は聞き手の感情を引っ張ります。悲しい、腹立たしい、嬉しい、そういう感情は、聞き手の中で自然と想起されることが、聞き手の自由なんだと言っていただいて、その通りだなと改めて思いました。聞き手の情操を育てる。それに適ったテキスト選びや再話が、とても大事なことだなと思いました。自分の好みを捨てよということではなくて、語法を知ったうえで、自分の感性や直観で選ぶおはなしを大事に語っていこうと思いました。
Sさん
まずは、語法の勉強会、ありがとうございました!
このお話には、あまり多くの語法が入っていないという事もあり、むしろ後半お話に出てきた、2版と7版の違いについての研究発表のように受け止めました。どちらにしても大変興味深く聞かせていただきました。
お話を当たり前のように「聞いて伝える」時代から、お話は「読むもの」として定着していく時代の流れの中、グリム兄弟も読み手の要求に合わせて文章に手を入れて行かざるを得なかったのだろうと推察します。しかしながら、何度も手を入れながらも、昔話そのものが持つ大切な事は決して損なっていないところはさすがと言えると思います。
「聞く事」と「読む事」の違いを改めて考えました。お話を聞く機会のないまま大人になった人が、語り聞かせを体験して「絵が見えた!」と目を輝かせる姿を何度か見せてもらいました。
自分の新たな能力に開眼する瞬間!その聞き手の能力を引き出す、つまりお話の中に聞き手をいざなうには
・語法にのっとったテキスト
・語法を理解した上での、語り手のお話への解釈
・語るに至るまでの積み重ねの時間
が必要なのですね。
人と人が作り出す事ができる、真に豊かな時間と言えますよね!
Eさん
「ヘンゼルとグレーテル」は、いちど3年生に語ったことがあるのですが、そのときは、整理されたテキストテキストを覚えたので、今回『語るためのグリム童話1』には余分な部分、特に登場人物の心理描写が多いと気づかされました。
今までの語法の勉強会と大きく違った点、2版と7版の比較、勉強になりました。(整理されたテキストがあるので、こんなふうに手を入れるんだと分かりました)
以前語ってた時の子どもたちの反応は満足のいくものではありませんでした。グレーテルが自分の力で魔女をやっつけ、そこから成長する姿はもっと元気よく語ればよかったと思いました。
来週、3年生のおはなし会に参加するので、今回の勉強会で学んだ事をふり返りながら、子どもたちといっしょに楽しみたいです。