生きぬいて、モリー💃

今日は沖縄慰霊の日です。
毎年体験談に接しては、恐怖と悲しみと憤りに胸がいっぱいになります。

今年は、敗戦80年ということで、東京や大阪や日本国じゅうでの空襲や、さまざまな戦争体験がニュースや新聞に、写真とともに載っています。
がりがりにやせて真っ黒な顔の子どもたちの表情。

ひるがえって、現在進行で行われている戦争。
やはり、がりがりにやせて真っ黒な顔の子どもたちの表情。

この責任は、わたしにもある、と自分に言い聞かせても、それなら何ができるのかと、絶望的になります。

今月の語りクラスで話題に出たんだけど、「かしこいモリー」の王さまが「盗む」という言葉を使うのはよくないから、「とる」にしたらいいのではないかという考えについて。わたしの考えを聞いてくださいね。

「大男の刀(財布・指輪)を盗んで来たら」を「大男の刀(財布・指輪)をとってきたら」にする人がるけれど、どうなんだろうっていう意見です。
でもね、たとえ言葉を「とる」に変えても、盗んでくることに違いはありませんよね。
言葉の表面だけ言い換えても実質は変わらない。それって、ごまかしなんじゃないかなと思うんです。それか、わたしは盗まないという自己満足。

モリーは、親に捨てられた子どもです。親は、食べさせることができないから、どうしようもなくて捨てちゃった。捨てたくなかったでしょうね。
捨てられたから、モリーは、ふたりの姉さんといっしょに、まっくらの森の中をひたすら歩いた。
生きるために。
がりがりにやせて、真っ黒な顔をして。

そんな弱い存在が生き抜くためには、どうすればよかったんでしょう。
知恵を使って、大男の娘たちの金の鎖と自分たちのわらなわを取りかえたところで、モリーに何の罪があるでしょう。
そして、絶大な富と力を持つ王さまが、盗んでおいでといったとき、「やってみます」以外の答えはなかったと思います。
自分が幸せになるために。

そして、わたしは、モリーに幸せになってほしいです。

わたしは、モリーに何もしてやれない。
けれども、もし不幸にも、目の前の子どもたちががりがりにやせて真っ黒な顔になったとき、モリーを思い出してくれたらと思います。

目の前にいる子どもだけでなく、その先を生きる子どもたちみんなに、モリーのように生きてほしいと思います。
だから、わたしはモリーを語ります。

豆の木に登っていったジャックも同じです。
人食いの巨人、しかも宝物をいっぱい持っている巨人から、盗んでくることを悪ということはできません。
それでもなんでも生き抜いてほしいと、わたしは思います。

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今日の更新は《日本の昔話》「海行こう、川行こう」です。
悲しいテーマのお話ですが、カラっと語れば心に響きます。
語ってくださいね~

 

 

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