語るためのテキスト

ストーリーテリングの勉強会で、気になること。
みんな、語りたい話をコピーして(手書きも含め)それをテキストにして覚えていきますよね。
そのテキストなんだけど、わりに簡単に言葉を変えてもいいと思ってるふしがある。
あ、一部の人ですけどね。

たしかにわたしはわたしが語るためのテキストに手を入れます。
でも、それはわたしのテキストであって、あなたはわたしではない。

勉強会で、どうしても困っている人には、手助けします。
また、自分でも変えられるように力をつけてほしいとも思う。
わたしは、一字一句変えてはいけないとは思っていない。
けど、なんでもかんでも変えるといいとは思わないでほしい。

どうしても困ってからにしましょうよ。

2 thoughts on “語るためのテキスト

  1. 勉強会の様子や、このブログを読んで、小澤先生の昔ばなし大学を思いだしました。
    語りの初心者の時に昔ばなし大学を受講できたのはラッキーだったと思います。
    昔ばなし大学では、昔話のメッセージを変えてはいけない、昔話の語り手に敬意をはらわなくてはいけないということをまず叩き込まれました。
    そのうえで、小澤先生は昔話の語法を学び、最終的には各自が再話できる力をつけてほしいとおっしゃっていました。
    あれから、15年以上たちますがわたしは今だひとりで再話することはできません。
    昔話の語法も再話もまだまだ未熟ですが、小澤先生に教えてもらった基本はおろそかにしていないつもりです。
    何が言いたいんや!
    つまり、昔話のメッセージを変えないためには、基本を守りながら、メッセージをつかむ努力を地道にするしかないと、わたしは思っています。

  2. ジミーさん、コメントをありがとうございます。
    そうなんです。地道に努力すること、それに尽きると思います。
    でも、だれもが地道に努力できるわけではない。それは、能力、というのではなく、姿勢・態度によると思うのです。
    自分が、目の前のテキストよりも、聞き手の子どもよりも上位にいると思い上がっているから、容易にテキストを変更してしまうんじゃないかなと、今回感じたんですよ。
    でもなあ、なかなか分かってもらえないんよなあ。
    わたしだって、そんなに気楽にテキストに手を入れてないんだけどなあ。

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