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語りの森を作った魔女

今年最後の

今年最後のおはなし会は、12月24日、図書館でした。

ここ2年ほど、来てくれる子どもたちの年齢が低くなってきています。
おかあさんが赤ちゃんをつれて参加というのも珍しくなくなりました。

「ここに来ると、子どもの機嫌がよくなるので」と、常連のお母さんはいいます。
赤ちゃんにとって、ほかの子どもたちの言動は刺激になります。
ほかの子たちにとっても、赤ちゃんは刺激的です。
手をのばしてくる赤ちゃんを抱こうとする子、逃げようとする子。

おかあさんの表情を見ていると、おかあさん自身がおはなしを聞きたいんだなと感じます。
それで、小学生がいないときでも、小学生に用意した話を語ります。おかあさんに語ります。
すると、小さい子たちも、ちょっと難しいお話をまじめな顔をして聞きます。
赤ちゃんも、わからないなりに、まん丸な目をして聞きます。

小さな子や赤ちゃんは、気持ちが目まぐるしく変わるので、いつもいつもよく聞いてくれるわけではありません。
だから、とても疲れますが、でもわたしは、このひとときを愛しています。

この日のプログラム
手遊び メリークリスマス
おはなし 笠地蔵 『日本の昔話5』おざわとしお再話/福音館書店
おはなし ホットケーキ 「おはなしのろうそく」東京子ども図書館
絵本 『くろうまブランキ―』 伊東三郎作、堀内誠一絵/福音館書店
絵本 『ぺんぎんたいそう』 齋藤槙/福音館書店
絵本 『へんなかお』 大森裕子/白泉社

笠地蔵は、初級講座の受講者で、これがデビューでした。
なかなか初めてとは思えない落ち着いた語りでした。
少しむつかしい表現があっても、子どもたちはじっと聞き入っていました。

ホットケーキは、ころげまわって笑っていました。
笑い声がおさまるのを待って、つぎの言葉を発する、その間(ま)をとるのが楽しいという躍動感。
幼稚園では当たり前の光景ですが、聞き手同士がほとんど初対面の図書館のおはなし会では、なかなかここまでは打ち解けれくれません。
ほんとに楽しかった。

Aちゃんは『ぺんぎんたいそう』を借りて帰りました。

来年も、こんなおだやかなおはなし会が続けられますように。
よい年になりますように。

歯間ブラシの先

センセも走るこのいそがしいときに、なんなんだ!

お風呂上がりのホカホカのんびりのひとときに、夫が階下で呼んでおる。

わたし「なんや、なにさがしてるの」
夫「歯間ブラシの先や」
わたし「へ?」
夫「折れたんや。見てくれへんか」

懐中電灯で口の中をのぞいては見たが、そんなん、あったら自分でわからへんか?

わたし「ないで」
夫「歯の間にはさまってへんか」
わたし「ない」

以前歯間ブラシが抜けなくなったことがあったがあれは痛かった(涙)
普通、自分でわかると思う。

わたし「服についてへんか」
夫の上着をバタバタたたくが、落ちてこない。
夫「カシャカシャやって、アッと思て出したら先がなかったんやから、外には出てへん」
わたし「ほな、呑んだんやろ」
夫「そんな感じはせえへん」
わたし「ほな溶けたんや」
夫「・・・・」

夫「先がとがってるから、胃にささるかもしれへん」
わたし「ささらへん」
夫「・・(涙)」

そういえば、むかし、赤ん坊が縫い針を呑み込んだ時に、ニラを食べさせたら針に絡まって、無事に出てきたと聞いたことがある。
ニラはないが、夕方畑から収穫した水菜をゆでで山盛りにしたら、黙々と食べておる。
わたし「あんまりかんだら効果ないよ」

翌朝。
わたし「な、ささらへんかったやろ?」
夫「胃腸は鈍感やから、ささってるのに気がつかんのかもしれん」

ああ、どうしようもない人だ。

わたし「お骨上げのときに拾ってあげるわ」
夫「ステントも五つあるで」

新しい語り手の誕生

きのうは、がらがらどんのおはなし入門講座の最終日でした。
9月から始めて、一話選んで語りの発表をする日です。
7人の語り手が誕生しました。

みなさん、思ったようには語れなかったというのが正直なところだと思います。
むしろ、やった~、うまく語れた~というほうが奇跡、というか、わかってないというか(笑)
だから、安心してくださいね~

でもね、わたしから見ると、みなさんあっぱれでしたよ。
生まれて初めて語った話、大事に大事にしてくださいね。
これからも、自分に聞かせたり、お友達に聞かせたりしてください。
もちろん、わが子や孫にも語ってあげてください。
チャンスがあれば、おはなしおばさんになるのもエキサイティングですよ~

さてこれで、今年の大仕事も終わり。
来年、初級講座のメンバーが増えることを期待して、仕事納めとなりました。
みなさん、おつかれさま~

  ヤン

無大? いや、無題!

長いこと生きていると、ほんまにいろいろなことがあります。

自分のしてきたことの結果が、これか? と落胆することもしょっちゅうです。
逆に、何も考えずに歩いてきた先に、思わぬご褒美を貰うこともあります。

どうしようもなく孤独になることもしょっちゅうです。
でも、思わぬ人の笑顔に救われることもあります。

ただ、わたしは、いま、迷わずにこの道を歩いている。
それは確かです。
手をたずさえて歩く仲間がいる。
それも確かです。

心を強く持つのは、苦手ですが、忘れることは、得意です。
だから、終わったつらいことは忘れて、あっけらかんの笑顔でいようと思います。

現実は昔話のようにはいきません。
それなら、なぜ昔話が存在するのでしょう。
昔話を信じていたら、現実を生きやすくなるからにちがいありません。
もちろん宗教ではないのですけれどね(笑)

昔話の主人公のように生きることができると思うと、勇気が出ます。

みなさん、「昔話の語法」を読んでくださいね。
語法は哲学です。
ほぼ毎週更新しています。
はやく、みなさんと、この哲学を共有したいからです。

 

歌えるよろこび 第九

今年は歌えないかと思っていました。
けがのせいで2カ月ほど欠席したので、練習回数が足りないかもしれなかったのです。
11回以上の練習参加と指揮者レッスンに参加するのが、舞台に上がる条件なのです。

なんとかクリア ♪
今年も歌えました。

聴きに来てくださったみなさま、ありがとうございました。

合唱は、ひとりひとりの声をそろえて一つの声にしなくてはなりません。
人間という楽器は、とても繊細でひとりひとり違いがあります。
それをひとつの響きにする。

その奇跡を実現するのは、「聞く」ことです。
隣の人の声を聴き、隣のパートの声を聴き、全体の声を聴く。
聴いて聴いて、まあいうたら我彼(われか)の境地ですね。

おはなしを語るとき、わたしは子どもたちのため息やつぶやきや、時には叫び(笑)をじっと聴いています。
それに心を合わせていく。
合唱してるときと同じモードだと、最近気がつきました。

それは、人間関係すべてに当てはまるたいせつなことかもしれません。
他の人の声に耳を澄ます。
大事なことだと思います。

わたしは、他の人と一体になるよろこびを合唱に求めているような気がします。