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語りの森を作った魔女

昔話の解釈ー賢いグレーテル8👩‍🍳

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む。

第5章賢いグレーテル
今日でおしまい(笑)

「かしこいグレーテル」は、度を越した食欲にもごまかし方にも笑えます。
「しあわせハンス」も笑えるし、アンデルセンなら最後は幸せな気分になれます。
それに対して、「賢いエルゼ」の、特に後半はどうでしょう?

畑に着くと、エルゼはまずお弁当を食べて、昼寝をします。
おいしい食べ物、快い眠り。これは聞き手の共感を呼び、微笑みを引き出します。
けれども、それが度を越すと裏返しになります。

たとえば、トランシルヴァニアの類話では、鉛のかたまりのように怠け者の主人公カトリンは、夫に髪を切られます。するとカトリンは髪の短い自分を見て「あたしかな?あたしじゃないのかな?」と自問します。そして、「あたしを探しに行こう」といって、自分を探しに広い世界へ出かけて行きます。それから今までずっと歩いているけれど、まだ自分を見つけることができないんだとさ。

エルゼも、同じです。
自己への確信を失い、人格が崩壊する。
本人であるという感じの喪失です。

なんだかこわいですねw(゚Д゚)w

リュティさんは言います。
笑い話は、その主人公が気ままにやり、うまいものを飲んだり食ったりし、大いに怠けるとき、しばらくの間はいっしょになって楽しむが、そういう動物的な領域にはまり込むことは人間にふさわしいことではない、ということも知っている。

人間だれしもそういうことってあるよなあ。
けど、行き過ぎたら身の破滅やなあ。
ハハハハハ(≧∇≦)ノ
ってことでしょうかね。

「賢いエルゼ」の後半を読むと、笑い話というのは、どんなに陽気にはしゃいでも、それなりに人間の本質を問うているのが分かります。リュティさんは、笑い話は聞き手を物思う気分にさせることがまれではないと言います。

笑い話は、語るのが難しいです。
リュティさんの言葉を、語る時の参考にしたいと思います。
総合的に、今の私は「かしこいグレーテル」は語れても、「かしこいエルゼ」は語れないなあと思います。

昨日中級クラスの勉強会でイスラエルの昔話「ハエうちの勇者」を初めて語ってみました。
極端に憶病であることと、食欲につられる主人公が出てきます。笑い話の条件は整っています。
時間の一致、場所の一致、状況の一致が重なることで、何もかもうまくいって、幸せになります。
わたしにはまだまだハッピーエンドから抜け出す勇気はありません。

次回から第6章偽の花嫁と本当の花嫁・けもの息子とけもの婿に突入~
グリム童話「がちょう番の娘」を読んでおいてくださいね~

 

 

 

断捨離はじめました🚮

ほんまかいな(笑)

コロナ休暇もいたについてきた今日この頃。
そろそろ人生の片づけをと思い立って、今日から、断捨離を始めた。

毎日小一時間なら続くだろう。

小一時間やった。
まずはカバン類から。
なんでカバン?
しらんがな。カバンや。

上の子が幼稚園に入る時に作った手提げ袋!
阪神淡路大震災の後に買ったお出かけリュックの初代。
あの経験から、お出かけは必ず、両手が空くリュックだ。
けど、四つもいらんやろ。背中はひとつや。
まだパンプスをはいていたころのショルダーバッグ。
まだヒールをはいていたころのハンドバッグ。
ブックトーク用の本をはこぶ袋。
どんだけ本を運ぶねん。もう仕事は終わった。

小一時間でカバンは片付いた。
カバンは三分の一に減った。
もう絶対に増やさへんぞと決心する。

明日は何を片付けよっかな~
けっこう気分がさっぱりしたo(*^@^*)o

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今日は更新の日だよん。
《昔話雑学》はアイヌの語りについて。
《日本の昔話》は「天道さま金のくさり」。けっこう気に入ってるの。語ってくださいね~φ(゜▽゜*)♪

 

 

 

昔話の解釈ー賢いグレーテル7👩‍🍳

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む。

第5章賢いグレーテル

食べることしか考えないグレーテル、楽なほうしかとらないハンス。
では、「賢いエルゼ」のエルゼは???
リュティさんは、「賢いエルぜ」はずっと暗いと言います。

笑い話ではあるんだけど、暗い。
おはなしひろばにあげてあるので聞いてみてください。こちら⇒
これ、たしかに、実際に子どもたちに語ったことはないのね。
嫌いな話ではないんだけど、大勢で聞いて笑えるという楽しさは感じられなくって、子どもに語りたい気持ちにならなかった。
リュティさんの解説で、その理由の一端が分かったように思う。以下、まとめますね。

「賢いエルゼ」は大きく二つに分かれます。
前半は、エルゼが結婚するまで。
後半は、エルゼが結婚してから。

前半。
エルゼが本当に賢かったら結婚したいと言って、男がやってくる。
エルゼはまだ起きてもいない事故を心配して、つまり来るべき不幸を思って泣くんですね。そのエルゼを見て、父親も母親も、なんて賢いんだろうと感心して、いっしょに泣きます。それを見た男が、感激して、エルゼと結婚する。

未来の災いを思って無益なわずらいをする人々を種にした笑い話は世界中どこにでもあります。
エルゼの類話では、男があきれて、逃げ出します。そのとき、「もっと馬鹿な人間に出会ったら、その時には帰ってくる」と言って出ていくんですね。そして、もっと馬鹿な人にあうんですよ。だから、もどってきて主人公と結婚する。

アラビアの話では、賢くて心の正しい兄弟がいて、ふたりとも大臣になる。独身なんだけど、あるとき、ふたりは、こんな相談をします。
もしも結婚して、一方に娘、一方に息子が生まれたらお互いに結婚させようと、一方がいう。すると、もう一方が、いや、結婚させたくないと断る。そのことで二人は激しい言い争いになり、抜刀!
それを見た王さまが、いったいこのケンカは何のためなのかとあきれる話。

人間が未来のことに頭を労し、計画を立て、前もってそなえるのは、人間の優れた長所です。賢い人は用意周到に徹底して準備します。
そういう意味で、エルゼは本当に賢いのです。
けれども、それが行き過ぎると、害になる。
人間の部分的な力が人間全体を覆うに至れば、知恵は愚かさに変わるとリュティさんは言います。
そして、さらに、人間の美徳や悪徳、力や好みは、それが正当な権利のうちにとどまっている限り、望ましいものであるか、少なくとも無害なものであるが、それを極端化して意味を無意味に変ぜしめるのが、笑い話の特徴なのだと言うのです。

このことは、ハンスにもグレーテルにもいえますね。

はい、今日はここまで。
次回は「賢いエルゼ」の後半を読み解きます。
聞くなり読むなりしておいてくださいね~

 

 

ねえねえ、おはなしってね💖

ねえねえ、おはなしってね、語ってほしがってるんだって~

インドの昔話を読んでるとね、こんな昔話があったのよ。

ある男が使用人を連れて遠くの村に出かけて行った。
とちゅうで、小屋に泊まって、晩ご飯を食べてから、使用人が男に、「ひとつ、お話をしてくだせえ」っていった。
けれども、男は疲れてたので、そのまま寝てしまった。
男がぐっすり寝てしまうと、四つの話が男のお腹の中から出てきて、話し合いを始めた。
「この男は幼い時からおれたちを知っていたくせに、だれにも話してくれない。こいつの腹の中で無駄に暮らすことはない。こいつを殺して誰かほかの人と暮らそう」
「おれは、こいつがご飯を食べようとしたら、最初のひと口を針に変えよう。そいつを飲みこんだらこいつは死ぬだろう」と、一つ目の話が行った。
「それでも死ななかったら、おれは、道端の大木になって、こいつの上に倒れてやろう」と、二番目の話が言った。
「それでも死ななかったら、おれは、蛇になってかみついてやろう」と、三番目の話が言った。
「それでも死ななかったら、こいつが川をわたるとき、大波を起こしてさらってやろう」と、四番目の話が言った。
使用人は目を覚ましてこの話し合いを聞いていた。
つぎの日、四つの話のいった通りのことが起こるんだけど、使用人が、先手を打って男を助けてやる。
男が使用人になぜ知っていたんだと聞くと、使用人は、それは話せない、もし話したら石になってしまうからといった。けれども、石になった自分を、男の孫に投げつけたら、自分は生き返るのだと。
使用人は一部始終を話して石になり、男の息子の妻が子どもを投げつけたので、使用人は生き返った。  「話されない話」

ざっと、あらすじだけだけどね、強烈におもしろいでしょ。
お話に意思があって、強い感情も持っているのよ。人間に復讐するくらいだからね。
で、お話にしてみれば、人間が自分を話すことで、自分は生きているのね。

だからね、みなさん、知ってるお話は、だれかに語らないとだめなんですよ。
復讐されちゃうよ(笑)

この昔話は、『インドの民話』A・K・ラーマ―ヌジャン編/中島健訳/青土社 に載っています。
この本の序論に、物語は、解釈という行為においてのみ繰り返し存在することが可能になると書いています。「解釈」っていうのは、話を聞くときに起こるし、それを語る時にも起こりますね。ほら、同じ話でも、聞く人によってとらえ方が変わるし、語り手によっても違う話に聞こえる時ってありますよね。つまり、ひとりひとり解釈が違うということなのね。そういう意味では、「再話」も「解釈」ですよね。ある資料を読んで私が解釈したのが、わたしの再話。ね。

そこで、はたと気が付いた。
同じ話型の話でも類話がいっぱいある理由に!
だって、地球上に今生きている、そして、今まで生きてきた人たちが、ひとりひとり解釈したら、同じ構造の話でも細部のみならずテーマまで変わって当然だって。
究極の多様性!!!

ラーマ―ヌジャンさんは、ある物語を知っていたら、それを語ることは、他の人々(聞き手)に対してだけでなく、物語そのものに対する義務なんだっていいます。
伝承は手入れが行き届いた状態に、伝達される状態に保たねばならない。さもないと、やっかいなことが起こるよと、「話されない話」はいっているのです。

はい、語りの森のテーマですね。
気に入ったお話を、あなたの愛する人に語ってください。

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今日は午後におはなしひろばを更新します。
エチオピアのかわいいおはなし「うさぎ」
すぐ覚えられるから、聴いて、伝えてくださいね~

 

 

昔話の解釈―賢いグレーテル6👩‍🍳

マックスリュティ『昔話の解釈』を読む

第5章賢いグレーテル

まだつづきますよ~
グリムの笑い話の中でも「幸せハンス」はピカイチなんですが、類話を調べると興味深いことが見えてきます。

ロシアの類話「とりかえっこ」(『ロシアの民話下』岩波文庫)では、お百姓の夫婦の話になっていて、夫がハンス同様、値打ちのないものと次々取りかえっこして、最後はただの棒きれを持って帰るんですね。すると、おかみさんが、腹を立てて、その棒きれで夫を殴るという結末です。
ハンスは結末で精神的な幸せを手に入れますけど、この主人公は痛い目にあうだけです。

さて、このロシアの「とりかえっこ」のように、「幸せハンス」の類話は、多くが夫婦の話になっています。そして、つぎつぎに価値のないものと取りかえていくというモティーフが核になっていますが、結末が異なる。というか、くっきり二つに分かれます。

前回の終わりに、つぎはアンデルセンの「父さんのすることはいつもよし」ですよって、書きましたけど、読みましたか?
では、報告です。

愉快な交換の話には類話がたくさんあるけれども、「幸せハンス」とは違って、主人公が最後に文無しにならずに、また上へ押し上げられるような話もあります。アンデルセンによる再話「父さんのすることはいつもよし」がそれです。

連鎖はこうです。
馬→牛→ひつじ→がちょう→にわとり→一袋の腐ったリンゴ
で、お百姓が居酒屋でにわとりを腐ったリンゴと取りかえているときに、それを見ていたふたりのイギリス人が、お百姓に、
「おまえさん、家に帰ったら、おかみさんにとっちめられるぞ」と忠告します。すると、お百姓は、こういったのです。
「とんでもない、キスしてもらえるよ。ひどい目になんかあうものかね」
そこで、イギリス人は、賭けをもちかけます。
おかみさんがキスをしたら大枡いっぱいの金貨をやるというのです。

さて家に帰ると、お百姓は、連鎖を繰り返して話します。おかみさんは、値打がなくなるたびに、喜びます。そして、最後は、腐ったリンゴをケチな校長先生の奥さんにやれると言って喜びます。ちょうどその直前に、おかみさんが、ねぎを貸してもらいに行ったら、奥さんが、「うちの庭には腐ったリンゴだってありゃしません」と断っていたのです。
腐ったリンゴがちょうど間に合う。これ、昔話のパロディです。
昔話では主人公は、まさに必要とするものを手に入れるでしょ
そして、おかみさんは、お百姓にキスをします。
賭けに勝ちました。

イギリス人は、
「どんどん落ち目になっていくのに、ちっとも朗らかさを失わない。これは確かにそれだけの金の値打ちがある」といって、笑って金を支払います。
このことを、リュティさんは、イギリス人は「仕合わせハンス」をちょっぴり自分の中に取り入れているといいます。

ところで、類話を調べてみると、先述のロシアの「とりかえっこ」には賭けのモティーフはありません。けれども、アンデルセンのように、賭けのモティーフのあるものが比較的多いようです。
たとえば。
スウェーデン「夫婦は一体」(『世界の民話・北欧』ぎょうせい)
アイスランド「いい女房を持ってるな」(『世界の民話・アイスランド』ぎょうせい)
アルバニア「やつのすること大当たり」(『世界の民話・アルバニア他』ぎょうせい)
ウクライナ「仲むつまじい夫婦生活」(『世界の民話・ウクライナ』ぎょうせい)
興味のあるかたは読んでみて下さい。
もう一話、インドの「水牛が雄鳥になる話」(『インドの民話』青土社)が、結末が少し違っていて、なんだかほっとする話なので、近々再話して《外国の昔話》で紹介しますね。語りたいです。

ここから寄り道ですが、いまインドの昔話を読んでてね、めっちゃ面白いの。
なんでインドかっていったらね、昔話の起源がインドにあるっていう仮説があるでしょ。グリムもそのことを考えてるのね。で、ほんまかどうか真偽のほどは定かでないらしいけど、じゃあ、インドにはどんな昔話が残ってるんだろうって、そこはかとなく思ったの。ヴェーダとかパンチャタントラとかの古典じゃなくて、現代の口承に興味を持った。
インドはイギリスの植民地だったし、ヨーロッパからの影響は強い。でも、え、こんな話聞いたことないぞというような珍しい話もある。
それに、同じ話の類話でも、他の民族に比べて哲学的な色合いが濃いように思います。
「水牛が雄鳥になる話」の結末も、他のインドの昔話に通底するものがあるようです。

で、戻ります(笑)
ブータンの「ヘレーじいさん」はグリム「幸せハンス」と同じ結末ですが、楽しい心のうちを歌いながら帰って行くところは、ハンスよりもっと幸せ感がありますね。
「ヘレーじいさん」は、『語りの森昔話集3しんぺいとうざ』に入れています。おすすめのおはなし、読んでくださいね~

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昨日の更新は《日本の昔話》
笑い話で、「一把のわら」
語ってくださいね~