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語りの森を作った魔女

クリスマスマーケット🎄🌟

ドイツのクリスマスマーケットって、とってもきれいなんだって。
写真とかで見るだけだけど、ゆめのような街の風景ですね~
でも、ドイツもロックダウンで、今年はクリスマスマーケットも自粛が多いそうです。

ドイツ観光の、こんなサイトを見つけました。
これは、日本向けの、ドイツのクリスマスマーケットに行きたいけど行けない人のための日本向けのWEBサイトです。

こちら⇒ABOUT US ドイツクリスマスマーケット

明日から開催なんだけど、お買い物とかのページはもう開いていて、見ているだけで楽しい。
あんなろうそくが欲しいなあ
あんなリースが欲しいなあって、思うだけで楽しい。

で、思わず買ってしまった~
食い気が勝った(笑)
シュトレンとクッキー

明日からは、ドイツ文化の紹介動画が配信されます。(1月3日まで)
無料動画もあるから、めっちゃ楽しみ~

でも、いつか本当に行けたらいいな(❁´◡`❁)

 

 

昔話の解釈ー金の毛が三本ある悪魔6👿

ゆうがた、ウォーキングの帰り道、ふと、冷たいものが顔にかかった。
土の上に、白いものがおちて、消えた。
初雪!

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マックスリュティ『昔話の解釈』をよむ

第3章「金の毛が三本ある悪魔」つづき

前回は、後半で主人公を助ける悪魔のおばあさんの話が出てきましたね。
今回は、主人公自身のことです。

前半では、王さまに川に流されたり、盗賊の家に迷い込んだりと、おどしと救いの連続でした。(インドの類話では、このおどしと救いのモティーフがもっともっと続いているそうです。)
そして、それらの救いは若者自身が知らないうちにもたらされています。
それに対して、後半では、地獄へ行く途中で人に出会って、重大な問題の答えを悪魔からきいてきてほしいとたのまれます。若者は、自分自身の道を行くことによって、同時にほかの人に助けをもたらすことができるのです。
確かに命令されて出かけはするのですが、前半よりはるかに能動的で、目的を意識して行動していますね。

つまり、はじめ全てを運命にゆだねている主人公は、成熟して、他の人に救いをもたらすことができるようになっているのです。

地獄への旅路で出会った人たちは、どうして井戸が干上がったのか、どうして金のりんごがならなくなったのか、どうしていつまでも渡し守でいなくてはならないのかと聞きます。
類話によっていろいろあります。日本の「仙人の教え」では、どうして長者の娘の病気が治らないのか、どうしてみかんの木に実がならないのか、大蛇がどうしていつまでも天にのぼれないのかとききます。
どれも、治療や解放を求めています。
そして、若者は、地獄での冒険を経て、彼らに解決をあたえます。

次回は、地獄での冒険の意味です。
金の毛を抜くとき、ハラハラドキドキなんだけど、同時にめっちゃユーモラスなんですね。語るのも楽しいし、子どもたちが喜ぶ場面です。

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きょう、勉強会でね。ちょっと弱気な発言してしまった。
みんなはとっても熱心なのに、水差したかなあ。
わたし、新しい日常に慣れちゃったので、いま快適なのよ。このまま隠居って考えにひかれてるの。ひょっとしたら、わたし、もともと怠け者なのかもしれんな。
けど、さださんがいうてはる。
(^^♪ 休み疲れたら、また走りたくなる(^^♪
そうかもしれんし、そうでないかもしれん。
まあいまは「金の毛~」の前半の主人公のように生きようか。

 

昔話の解釈ー金の毛が三本ある悪魔5👿

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第3章「金の毛が三本ある悪魔」まだつづく(^∀^●)ノシ

ウリヤの手紙の暗い陰謀が転化されて、お姫さまと結婚した主人公。王さまが黙っているはずがない。
後半戦に突入です。
この話、前後に分かれていて長いけれど、子どもたちはこの切れ目のところで決してダレたりしません。むしろ、いよいよこれからが佳境に入ることを期待して、楽しんで聞きます。

では、後半です。

王さまは、若者に、地獄へ行って悪魔の金髪を三本取ってこいと命じます。そうすれば姫との結婚を認めるって。
主人公はもう一度死の暗闇に送られるんですね。でも、悪魔には金の毛がある。
暗闇には光り輝く宝物が隠されているんです。
前回、苦悩や死との隣りあわせは高度な生への通路って言葉がありましたよね。それがこんなところにも響いているのです。

後半の主人公は、前半に比べて積極的です。
「はい、必ず取ってきます」と、自信を持って出かけて行きます。
類話によっては、途中で援助者に会って、
「これ以上先へは行くな。帰ってきた者はひとりもいない」と、さとされるんだけど、若者は冒険を求めて進みます。

地獄では、悪魔のおばあさんに助けてもらって、目的を達成します。

悪魔は、類話によって、巨人だったり、巨大な鳥、グライフ鳥、フェニクス鳥だったりします。
その怪物は、「人くさいぞ、人くさいぞ」という名高い決まり文句をわめきちらします。
すると、おばあさんは、悪魔を言いくるめて、人間がいることをごまかしてしまう。ちゃんと前もって隠してあるんですね。
悪魔のおばあさんは、怪物の妻だったり、さらわれた娘だったり。

このモティーフって、かしこいモリーとかジャックと豆の木とか、心臓がからだの中にない巨人とか、めっちゃあちこちにありますね(*^-゜)v

こんなふうに、彼岸の存在と一緒に暮らしている女性が、主人公の若者に好意を抱いて手を貸すっていうのは、他の話型でもいくらでもあるのです。これを、リュティさんは、人間はよるべなく悪にゆだねられるものではない、という信頼のあらわれだといいます。

強いアキレスには弱いけんがあり、不死身のジークフリートには肩甲骨のあいだに弱いところがあり、弁慶には泣き所があるように、悪にも、その内部にちょうつがいのはずれるところがある、それは女性の裏切りだ。おっほっほ§(* ̄▽ ̄*)§

ところで、悪魔のおばあさんには先輩がいます。
森の盗賊の家のおばあさんです。
わたしはこの場面、現世でもあの世でも同じことが起こるんやなあ、おもしろいなあと思って語っています。

はい、おしまい。

次回は後半の積極的な主人公についての説明です。

 

12月のおはなし会🎄

先日の幼稚園以外では、今年度、今月たった一度のおはなし会の報告です。
たった一度だけど、とっても濃いおはなし会になりました。
こういう経験があるから、この活動はやめられない(❤´艸`❤)

12月10日(木)
小学3年生 3クラス合同

おはなし「かえるの王さま」『子どもに語るグリムの昔話』こぐま社
おはなし「とりのみじい」『日本の昔話3』小澤俊夫再話/福音館書店
じゃんけん ちーちゃん ぱーちゃん
おはなし「はらぺこピエトリン」『子どもに語るイタリアの昔話』剣持弘子編訳/こぐま社

ホールでソーシャルディスタンスをとってのおはなし会でした。
マイクを使うし、私自身、後ろの子どもたちの目線をとらえることができない状態での語りは、久しぶりでした。
これまで、いろんな場所て語ってきた講演会でのおはなし会をふと思い出しました。
でも、聞き手が子どもだと、やはり心がウキウキします。
おはなしを聞くのは初めての子どもたちですが、まん丸い真剣な目が、物語をひっぱって行ってくれました。

この子たちは、このあと、ひとり一話、昔話を覚えます。
そして、冬休みをはさんで、2か月足らずのち、語りの発表をします。

昔話は大切、子どもたちに次へ伝える大切さを知ってほしいという先生方の熱心な思いに心打たれました。

いろんな所で語っていますが、語り手のわたし自身の思いをピタッと受け止めて、さらにダイナミックな経験をさせてくださる場所はそんなにありません。
わたしにとっては、ここは、幼稚園とおなじく、とっても大切な語りの場です。

来年の発表会、ほんとにほんとに楽しみです。

大阪を通り過ぎて他県まで、ほんとに久しぶりに電車に乗っての楽しい遠出でした~
すてきな山の紅葉をおすそわけ~

 

 

昔話の解釈ー金の毛が三本ある悪魔4👿

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第3章「金の毛が三本ある悪魔」つづきだよ~

殺したつもりが元気に生きていた主人公。倒錯。
この倒錯が、ウリヤの手紙に始まるモティーフに明らかに見られます。

「ウリヤの手紙」のもとになった旧約聖書の文章(サムエル記下第11章)では、手紙を届けたウリヤは本当に殺されてしまいます。
けれども、「三本の金髪をもった悪魔」の主人公は、生き延びますね。
それは、こんな具合になっています。

男の子は、森で道に迷い、強盗の家に行きつきます。
おばあさんがひとりいて、「ここにいたら殺されるよ」といいます。
ほら、また、死の危険です。
それでも男の子は疲れて眠ってしまう。そこへ強盗どもが帰ってくる。
強盗は、手紙を盗み読みするんだけど、「この若者を殺せ」と書いてあるのを見て、「この若者と姫を結婚させよ」と書きかえてしまう。正反対に書きかえるんです。
内なる法則が事物を反対物に転化させるかのようだとリュティさんはいいます。内なる法則、昔話につらぬいている法則ですね。
男の子がほかの人間によって無慈悲におびやかされているのを見るからこそ、強盗に反抗の精神がめざめるのである。
なるほどね、強盗の反抗心なんだ。これ、気づいているのといないのとでは、語りかたが変わるよね。

森の中の強盗に助けられるって、「白雪姫」の類話でもあったよね。追放された白雪姫が行きついたのは、七人の小人の家だったり、強盗の家だったり。人食いの小人の家だったりしたよね。あれとおんなじ。

ここで、リュティさんは、シェークスピアの「ハムレット」を引き合いに出します。
ハムレットは自分の破滅を書いてある手紙を、自分で書きかえます。従者が、「ハムレットを殺せ」と書いた手紙を持っていたんだけど、ハムレットは、それを、「従者を殺せ、そして、ハムレットを姫と結婚させよ」と書きかえるのです。
これって、「金の毛が三本ある悪魔」の主人公が寝ているあいだに書きかえられているのとは、ずいぶん意味が違ってきますね。ハムレットのように自分で手を下すのではなくて、知らないうちに救いがもたらされるのです。
それが重要(っ´Ι`)っ

主人公は道に迷ったからこそ、正しい援助者を見出す。と、リュティさんは言います。そして強盗の血に飢えた心と王さまの殺人のたくらみという、二重の危険を逃れる。

このふたつはピタッと組み合わさってるのです。
王さまの殺人のたくらみが主人公を強盗から守るでしょ。で、主人公は、人殺しの強盗の手に落ちたがために、王さまの殺人計画が水泡に帰すのです。
まるで、知恵の輪みたいにがちっと組み合わさってる。

王さまの書いた殺人の手紙(悪)が、強盗の心を和らげる(善)。
王さまの殺人の命令(悪)が、お姫さまとの結婚の命令(善)に変わる。
「白雪姫」のテーマ倒錯と同じ。

苦悩や死との隣りあわせは高度な生への通路なのである。危険、暗やみ、害悪の役目は人間を光へ押し上げることである、と昔話は信じている。

ううう、なんか、泣きそうや。
コロナではっきりしたけれど、わたしらみんな死と隣り合わせに生きてる運命共同体なんや。
こんな時代、もっとひどい時代を生きてきた昔の人は、今の私らに、こんなメッセージを残してくれたんやね。
うん。ちゃんと生きようね。
そして、次に伝えよう。