今日は、子どもの日ですね。
最近はこいのぼりをあげるおうちが少ないような…。
いや、十何年お雛様を出していないわたしが言う資格はありませんが(笑)
我が子や公共の場所で昔話を語るとき、語るほう・聞くほうの大人が、昔話の残酷な場面を子どもたちに触れさせたくないという気持ちがあることを耳にします。
残酷な場面のある昔話を聞いた子どもたちが怖がったり、残酷な性格になるのではないかということを大人が心配しているようです。
はたして、その懸念は当たっているのでしょうか?
世界中で延々と語り継がれてきた昔話は、人間の残酷性を育ててきたのでしょうか?
そんなはずはありませんよね。
だって、聞き手は楽しいから昔話を聞いて、語り継いできたんだと思います。
わざわざ怖い気持ちに立ち向かうとか、それはもう修行でしょう(笑)
怖い話を楽しむというのとは全く違います。
でも、語り手としてはそこのところをきちんと理論づけておかないと、自信をもって昔話を語るのは難しいと思いますし、何より語るときに説得力がなくなると思います。
それで、『昔話は残酷か』(野村泫著/東京子ども図書館)をテキストにして勉強会をすることになり、今回はその1回目です。
結論から言いますと、語りの表現方法と聞き手の精神年齢、この二つをクリアすれば昔話の残酷な場面についての問題というか懸念はクリアできます。
そのことを三回に分けて勉強します。
語りの表現方法については、昔話の語法が重要になってきますね。
やっぱり語法は理解していないといけないなあと(いや、他人事みたいだけどそうじゃなくて…)思います。
語るとき、再話するとき、そして今回も語法が大事なんですね。
それと、次回もっと詳しく説明がありますが、世に出ている昔話本や絵本を、大人が残酷だからということでかなり改ざんされている事実!
でも、昔話はストーリーを楽しむ話で、聞き手の〝次はどうなるの?〟という期待に応えながら次々に展開するストーリを楽しみ、最後に主人公が幸せになって〝ああ、面白かった〟と聞き手が満足するものです。
話の最初から最後までのその一連の流れが全部楽しい!
でも、悪者が最後罰せられなかったり、まだ生きている終わり方だと聞き手は不安が残るので〝ああ、面白かった〟とは言えないですよね。
語り手であるわたしたちはしっかり勉強して、理論を背景にして自信を持った語りをしたいと思いました。
そうでないと、殺すとか切るとか殴るというような言葉を使わない昔話しか語れなことになってしまい、となると本格昔話はほぼ全滅でしょう(笑)
わたしは、やっぱり本格昔話が好きですし、語りたい、子どもたちに聞いてほしいと思います。
次回は一か月後、それまでに宿題として次回の講義に出てくる昔話を読んでくることになりました。
ヤンさんがちゃんとリストにしてくれて、しかも手に入りにくい話はコピーしてくれていて、ああ、なんて至れり尽くせりなんでしょか~
次回も楽しみです!(^^)!