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第18回オンライン昔話の語法勉強会「お月お星」

2月というとバレンタインデーですね。
でもコロナのせいでしょうか、いつもよりバレンタイン特設売り場の規模が小さくなっていて、いろんなチョコレートを見るのが好きだったので(買えよ!)ちょっと寂しいです。

先月に引き続いて、日本の昔話「お月お星」の語法勉強会がオンラインで行われました。
講義を聞いて思ったのは、この話は、耳で聞くことで聞き手が感情的にならずにいながら十分に主人公や登場人物の気持ちを味わえるように、長い年月の中で必要な言葉だけに削られてスリムになって来たんだなということです。
基幹動詞だけで話が進むということがこんなにも力強い話の筋を作り、ショッキングな内容もある程度はスルーして、なおかつ筋は押さえて次の展開に進むというみごとな形になっています。

継子いじめの話はたくさんあります。
それを現在、公共の場で語ることについてためらうこともあるかと思います。
最後の質問コーナーの時にヤンさんがお話しされたことでひとつとても印象に残ることがありました。
母親が娘を殺そうとする話は、昔話の中にはたくさん出てきます。
「白雪姫」のタイプは最後に母親は罰せられ、「お月お星」は罰せられません。
昔話の中には両方の母親が語られています。
子どもの立場で考えてみると、また見方が変わると思います。
例えば、自分が小さかった時、何で怒られたのかは覚えていないけれども(笑)、とにかくひどく怒られてしまってその時に自分は愛されていないのではないかと思ったことはないでしょうか?
あるいは、悲しいことですが親に疎まれている子どもがいたとしたら、継子いじめの話を聞いたときにエネルギーがわいてきたり、新しい発見があるかもしれません。
べったりだった親から離れられるとか、元気をもらえるとか、自分のせいではないということが分かるとか、許しを得たり与えたりできる、そんな可能性がたくさん詰まっているのではないかと思います。
そう考えると、継子話について自分が最初に持っていた印象がずいぶん変わりました。
最後に母親が罰せられる話も、罰せられない話も、どちらも意義がありますし、出来たら両方のタイプを子どもたちに聞いてもらいたいと思いました。
語り手が、こういうことを考え、納得した上で語るのならば、聞き手の子どもたちにもきっと伝わると思いました。
昔話の語法を学ぶのはやっぱり大切ですね。
次の語法勉強会は夏になります。
今こんなに寒いのに夏といわれてもピンとこないと思いますが、対面とオンラインの両方でやる予定ですので是非ご参加くださいね。
では、また(^o^)/

1月のプライベートレッスン

早いもので、今年ももう一か月が過ぎました。
今日から2月です!
通常の勉強会はお休み中ですが、コロナ感染の心配のないオンラインのプライベートレッスンは、1月・2月も行います。
1月のレッスンの内容を報告します(^o^)

1日目
語り「魚がくれた子ども」 語りの森HP外国の昔話 → こちら
さらっと語らないで、しっかり語る箇所の指摘がありました。
それと、感情を示している台詞なのでそのように感情をこめて語ってしまいそうだけれども、この台詞の意味は聞き手が「誤解が解けたんだ!」と分かるところなので、感情を込める台詞ではないという指摘がありました。
教えてもらって、なるほどなと納得しました。
語り「六ぴきのうさぎ」『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』語りの森
ひとりで続けて2話語られました。
すごい~!
1年生に、「三びきの子ぶた」と組み合わせて語るそうです。

2日目
日常語のテキストに変える
「佐渡の白つばき」『語りの森昔話集5ももたろう』語りの森
この話は「夢のはち」の類話で、「夢のはち」は全国に類話が分布しているそうです。
テキストを日常語に変えるときには、いろんな場面で主語のいらないことが多いです。
〝ふたり〟や〝みんな〟も消せることが多いです。
しかし、だからといってそれらが出てきたら消したらいいのかというとそうではないので、言葉では限定できないそうです。

3日目
語り「首の短い男の話」 語りの森HP日本の昔話 → こちら
アイヌの昔話です。
中学生に語られるそうです。
アイヌの昔話は独特ですし、風習も違いますから聞き手に分かってもらうように語るのは難しいです。
一度中級クラスで発表され、プライベートレッスンで再チャレンジされました。
語る前に、「アイヌの昔話は主人公の一人称ですすめる」と、さらっと言っておいたらいいということでした。
アイヌの昔話は、ちょうど昨日アップされていますのであわせて読んでみてくださいね。 → 「さきぼそがらすの神」
日常語の語り「きつねの茶釜」『日本の昔話2したきりすずめ』福音館書店
おもしろかったです~~
笑い話なのでおもしろくて当たり前なんですが、台詞が身近な普段使っている言葉になるとなんでこんなに面白く感じるんでしょうかね?
でも、語るほうとしては、やっぱり語尾が定まらないという難しさがあったようです。
オンライン日常語の語り入門講座でも同じでしたね。
これは、根気よく何べんも何べんも繰り返して練習し、自分の声を自分の耳で聞いて確かめる。
言いやすい方に流れるのではなく、自分の感性でもって、心地よい着地点を探し当てる。
こうやって言葉を決める・固めるしかないということですね。

コロナのために学校のお話会も中止の所が多いようです。
お話会も勉強会もなしという状況でも、残っているお話会を大事にして、そして勉強の機会をのがさずにプライベートレッスンを受けてくださるかたたちの姿を見せてもらって、元気をいただきました。
ありがとうございました<(_ _)>(^o^)/

日常語の語り入門講座

オンラインで開催された2021年度の日常語の語り入門講座の最終回の報告をします!(^^)!
最終回は、いよいよみなさんが覚えた話を発表する日です。
時間の関係で2回に分けて行われました。
今年度の受講者さんは5人。
お一人お一人が違った言葉を持っておられるわけですから、それぞれ味のある日常語の語りが5話できました。

「だんだん飲み」『日本の昔話5ねずみのもちつき』福音館書店
「千人力」 語りの森HP日本の昔話 → こちら
「ねずみのすもう」『日本の昔話5ねずみのもちつき』福音館書店
「しんぺいとうざ」『語りの森昔話集3しんぺいとうざ』語りの森
「仙人のおしえ」『日本の昔話5ネズミのもちつき』福音館書店

みなさん、しっかり覚えておられ、聞いているわたしとしてはとっても楽しかったし面白かったです。
しかしながら、語った側のみなさんにとってはいろいろ苦労があったようです。
日常語にしたテキストを覚える段階で「やはりこっちじゃないかな」と思って修正し、その修正がしっくりこずにまた修正する。
修正に修正を繰り返していくと、いったいどれが自分の言葉なのか分からなくなります。
そして、ひとつの言葉を言うときに、自分は複数の言い方をする。
両方使うときにどっちにするの?問題が浮上してきます。
練習しながら、覚えながら、これらの疑問が同時に頭を駆け巡り、いろいろ苦しまれたようです。
ヤンさんのアドヴァイスは、大事なのは自分の耳で聞くこと。
この場合は、録音して聞くのではなくて、語っている自分の言葉を耳で聞いて確かめる。
助詞をどうするか迷っているときには、耳で確認していたら分かる。
あとは、これは日常語による語りに限らないけれども、聞き手からどんな反応が返って来てもぶれないように、すぐ元に戻れるように寝ていても語れるようにひたすら練習すること。
子どもの反応があれば、その間に合わせること。
これは、その場にならないと分からないことなので、そのためにもしっかり覚えてどんな風にも(早いとか遅いとか、間の取り方の長短とか)語れるようにしておく必要がある。
それと、日常語のテキストを作るときに再話力も必要になってきますので、そのためには昔話の語法の勉強が重要だということです。
語法の勉強は、おはなしを語るときにはすべてにおいて関係してくると思いますが、日常語の語りを勉強するときにはぴったりとくっついてくる感じですね。

みなさんの感想を聞いて、わたしも同じだったので、戸惑いや迷いが分かります。
とにかくテキストが定まらない。
どこに定めたらいいのか分からない。
わたしは、だいたい定着点を決めるのに、語ってから2~3年かかったかなあと思います。
だからね、みなさん大丈夫!
語っていくうちに何回か蛇行していきながらも、「この辺かなぁ~」というところが見つかります。
マイルールや、あきらめも加わって、「ここでいい!」というところが見つかると思います。
だから、記念すべき第1話を大事にしながらも話数を増やして行って、語ってみて子どもたちの反応を見て修正するを繰り返し、これからも日常語の語りを続けていってほしいと思います(^o^)

第17回昔話の語法勉強会「お月お星」

コロナの感染者が多くなり、みんな恐怖を感じている日々ですが、感染予防を徹底しつつ予定通り語法勉強会が行われました。

「お月お星」
出典『日本の昔話2したきりすずめ』おざわとしお再話/福音館書店
あらすじ
むかしあるところにお月とお星という仲の良い姉妹がいました。
お月は前妻の娘で、お星は今の母の娘でした。
あるとき母親は、お月を亡き者にしようと思いました。
母親はお星に、毒まんじゅうを食べさせて殺すから、お月の饅頭は食べてはいけないといいました。
お星はそのことをお月に伝えて、お月は難を逃れました。
母親は、こんどはお月の寝ている部屋の梁に登って、槍でお月を突こうと思いました。
母親はお星にお月の近くで寝るなと言い、お星はお月に伝えてまたお月を助けました。
母親は、お月を箱に入れて遠くの山に捨てることにしました。
お星はお月の入れられる箱の底に小さな穴を開けてもらい、お月にけしの種を渡して穴から落とすようにいいました。
一年後、お星がお月をさがしに山に登って行くとけしの花が咲いていて、けしの花を道しるべにお月の居場所を突き止めました。
お月とお星は山を下りて大きな家のおかみさんに助けてもらい、その家に住ませてもらいました。
あるとき旅の六部がその家の前にやって来ました。
その六部は、お月とお星をさがしている二人の父親でした。
父親は悲しみのあまり目が見えなくなっていましたが、泣きながら抱きついたお月とお星の涙が父親の目に入ると目が見えるようになりました。
三人が家に帰ると、母親は後悔のあまり目が見えなくなっていました。
お月の涙が母親の目に入り、母親の目が見えるようになりました。
それから四人で幸せに暮らしました。

最初に中級クラスと日常語クラスで勉強されているYさんが語りを聞かせてくださいました。
そのあと、ヤンさんの講義です。
話型は「お銀小銀」で、妹が姉を助けるタイプです。
反対に、妹が母親といっしょに姉をいじめるタイプの話型があり、それは「糠福米福」です。
「糠福米福」の類話はグリム童話の「灰かぶり」です。
「灰かぶり」は世界中に類話がたくさん分布していて有名ですが、日本では「お銀小銀」の話型の話もこうして伝わっているんですね。
この話は継母の殺害方法の描写が何ともショッキングですから、語るのを躊躇したり敬遠したりする語り手さんがいるそうです。
その気持ちも分からないでもないですが、昔話は基幹動詞を使ってストーリーを進めていきます。
基幹動詞というのは、人間の行動の基本的な動きをあらわす動詞です。
「お月お星」のテキストを見ていきますと、起きる、入る、見る、思う、食べる、呼ぶ、知らせるなどが使われていて、その動詞を補足したり詳しく様子を説明したりしません。
動詞だけでストーリーが先に先にと進んでいきます。
無駄なものがないのでイメージしやすく、鮮明です。
ヤンさんはこれを、「お月お星」は感情を追わず出来事だけを述べていく〝叙事(詩)〟としての迫力ある物語になっていると言われました。
Yさんの語りを聞いているとそれがよく分かりました。
お星がけしの花がぽつぽつと咲いているのを辿っていく場面が鮮やかに浮かびました。
語法については、2月のオンライン語法勉強会のブログで書かせていただこうと思います。
お待ちください<(_ _)>

わたしは「お月お星」が大好きで、原話となった鈴木サツさんの語りもずっと音声資料で聞いていました。
(『鈴木サツ全昔話集と語り』小澤俊夫・他編集/福音館書店)
鈴木サツさんの語りを聞いたあとに『日本の昔話2』のテキストを見ると、伝承の語りの何かが失われているように思い、日常語による語りを勉強し始めていたので、日常語のテキストにして語ろうと思いました。
何か月か格闘しましたが結局挫折しました_| ̄|○
最終的にヤンさんの指導は、『日本の昔話2』のテキストを忠実に覚えて語るのがいいということでした。
その後、「お月お星」を語る場がなかったので覚えないままでしたが、Yさんの語りを聞かせてもらって、ヤンさんの言葉がよく理解できました。
わたしの「この話が好き」という気持ちは邪魔だったし、日常語テキストに変えるのもまだ慣れていなかったし、抒情に流れてしまっていたのでしょう。
この機会に気づけて嬉しかったです。

オンライン語法勉強会「お月お星」は、2月8日(火)の10時からです。
まだ申し込めます。
このページの〝オンライン講座昔話の語法勉強会〟のバナーからどうぞ(^o^)

12月のプライベートレッスン

寒波が来ておりますね。
日本海側は大雪だそうで、心配ですね。
遠くのほうに京都の北の方の山々が見えるんですけど、まっ白になってます。
今年最後のプライベートレッスンの報告です。

1日目
「ぽったりもち」語りの森ホームページ → こちら
日常語で語るためのテキストにされました。
元の共通語テキストと格闘していますと、使われている動詞とか登場人物の気持ちとかの細かいところにまで気になってきたりします。
それで、自分的にはこうじゃないかなと思って少し心情表現を足したくなる場合もあろうかと思いますが、今回はそれについて話題になりました。
昔話はできるだけ基本の動詞(食べる、笑う、行く、寝る等)を使い、心情表現はあまり使わない。
使うとしたら、泣く、淋しいなどに限定して用いられています。
これは昔話の語法に則っていて、昔話は行動で表して話が先に進んでいくからです。
そして、それを聞き手はそれぞれの心の中にそれぞれの心情を思い描くのです。
もし語り手が、例えば、あきれて、がっかりして、等の心情表現を入れてしまうと聞き手はそれだけに限定されてしまいます。
そのほかにもあるかもしれない登場人物の気持ち、いろんな気持ちが混ざっているかもしれない複雑な心の中を聞き手がイメージすることを奪ってしまいます。
こういうことを考えていくと、日常語テキストを作るということは再話することにもつながりますので、語りの勉強というのは同時進行でやることがいっぱいなんですね。
おはなしと格闘されているのがすごいなあと思いました。

2日目
「プレッツェモリーナ」語りの森ホームページ → こちら
5年生に語られるそうです。
これはイタリアのフィレンツェの昔話です。
グリム童話ですと「ラプンツェル」ですね。
類話ですが、おはなしの姿としてはかなり違います。
明るくて楽しいおはなしです。
「ぼくにキスしてくれたら、元通りにしてあげよう」なんて、こんなきざなセリフどの口が言うねん!って思いますが(わたしだけ?)、イタリアと聞いたらそれも納得ですね。
語りのアドヴァイスです。
語り手が、疑問を持ちながら語っていたり、細部のイメージをスルーして語っていた場合、聞き手もその箇所はイメージし辛いようです。
語り手が納得して語る、細部までイメージして語ることで、聞き手もイメージできるということを心にとどめて練習しましょう。
今回、語り手さんは主人公やその他の登場人物の人物像がしっかり設定されていて、聞き手はイメージしやすかったです。

いよいよ今日は仕事納めですね。
わたしは仕事してないんで関係ないんですけど、気持ちは年の瀬だと実感してきました。
スーパーでは、少し前から正月用品がどんどん増えてますし、特に何もしないと決めているのですが気持ちだけが追いつめられるような(笑)
今年はババ・ヤガーの勉強会も再開してうれしい事でした。
でも、まだまだソーシャルディスタンスを保たないといけないので以前通りということでは開催できません。
来年は、元通りになりますよう祈っています。
ではみなさま、どうぞよいお年をお迎えくださいませ。