「児童文学を読む」カテゴリーアーカイブ

絵本と映画📗🎥

葵祭が中止になり、祇園祭も中止かもしれない。
祭りっていうのはもともと疫病退散の祈りなんだけど・・・

さて、ババはどうするか・・・・

はい、とりあえず今日のお勉強!

『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論上』報告

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第3章書評など
《絵本と映画》

これについてはヤン自身が色々考えがあるんだけど、まず先に瀬田先生の文章をまとめますね。

1、昔話は起承転結がはっきりしている。この特徴は幼年童話の大切な要素だ。
起承転結がはっきりしているものはよい絵本になり、よい映画にもなる。
例)「さんびきのこぶた」様々な画家による美しい絵本。ディズニーの傑作漫画映画。

2、映画と絵本では表現の仕方が違う。
映画のカメラ角度は自由自在で、時を前後させたり場所を変えたりして、変化をつける。これは、絵本にはない特徴。

3、映画から絵本が作られた例
@ディズニーの映画絵本 これはただのスチールの連続で、本格的な絵本ではない。アメリカの一流図書館は歓迎しない。
@フランス映画の「赤い風船」 映画のスチール写真絵本、これは成功例。

4、絵本が映画になった例
ウェストン・ウッズ撮影所による名作絵本の映画化。
『100まんびきのねこ』『がんばれヘラクレス』『せかい一おいしいスープ』『かもさんおとおり』『あひるのピンのぼうけん』『アンディトライオン』『黒ねこジェニーのたんじょうび』『ちいさなあかいとうだい』などなど。
評判がよくテレビ学校図書館で利用されている。

以上です。

ちょっと盾突いていいですかあ?

昨日書いたように、映画は映画、絵本は絵本、昔話は語り、ジャンルが違う。表現方法が違う。それを混ぜるには相当の覚悟と力がいるだろうし、なによりなぜ交雑しないといけないのか、わたしには理由がわからない。

1について。
起承転結がはっきりしていることが幼い子の文学にとって重要、なのは、わかる。
だからといって、昔話を利用していいのかな?
映画も絵本も作者のオリジナルで勝負すればいいし、ほとんどの傑作はそうですよね。
どんな昔話映画も、どんな昔話絵本も、ストーリーテリングには負ける。
テーマが子どもに入っていくときの深みが違う。

「さんびきのこぶた」はババ・ヤガーでもがらがらどんでも、勉強会で取り上げて比較したことがあったよね。
ジェイコブズの「さんびきのこぶた」は秀逸。わたしは石井桃子訳で語るけど。
改ざん絵本のなんと多いこと!資料観てて、怒り心頭だったよ。
瀬田先生は「美しい絵」とおっしゃるが、「さんびきのこぶた」は美しくなくていい~~~!
ディズニー映画の中身のなさ。昔話の持つリズム(三回の繰り返し・同じ場面は同じ言葉で語るetc。)、弱肉強食の現実の教え、弱者が強者をやっつけるスリルと達成感、励ましなどなど、原話の持つ力強い魅力がそぎ落とされていると、私は感じます。なぜあの映画が傑作といえるのかわからない。

2について。
この映画の特徴は、絵本にもないが、語りにもない。つまり、昔話にはない。

3について。
これは賛成。ディズニーの映画絵本は、図書館に置かないでください!

映画「赤い風船」1956年、アルベール・ラモリス監督。アカデミー賞脚本賞、カンヌ映画祭短編パルム・ドール賞。
ヤンは学生時代にリバイバルで観たことがあります。泣きました(笑)
瀬田先生の書かれている写真絵本は見つかりませんでした。だから、良し悪しは言えません。
のちに、いわさきちひろが描いています(1968年、岸田衿子文、偕成社)。でもそれは、ちひろの「あかいふうせん」であって、私が映画から得た「赤い風船」のメッセージではない。

4について。
探しましたが、見つかりませんでした。
たくさんの名作絵本が映画になってるんですね。
確かに、なかなか絵本が手に入らない、読み手が事情で読んでやれない、という家庭事情ならば、テレビで見るのは仕方がないかもしれない。でも、学校や図書館でなぜ需要があるんだろう。

あ~
一番ショックだったのは、ディズニーの「さんびきのこぶた」を傑作だと評価していることでした・・・

映画評「一つのメロディと四人の画家」🎵

『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論 上』報告

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第3章書評など
映画評3「一つのメロディと四人の画家」1957年発表

これも探しまくったけど、見つからなかった。
観ないで書くのも気が引けますが、できるだけ客観的に、評論の要点をまとめます。

映画の内容
四人の画家が、バッハの「ポロネーズ」から得た幻想を絵にする。その制作過程を紹介し、実際に音楽付きで絵を見せるという趣向。
画家は、ジャン・コクトー(フランス)
ジノ・セヴェリーニ(イタリア)
エルンスト・ウィルヘルム・ナイ(ドイツ)
ハンス・エルニ(スイス)

瀬田先生の批評
美術批評は専門でないことを断ったうえで、ポロネーズの絵画による視覚化はさっぱり面白くない、きっと、よそから与えられたテーマだから、画家としてもお粗末な仕事になってしまうんだろうと言います。
ただ、それぞれの画家の制作過程は、個性にあふれていて面白かったとのこと。

結論
引用
素人の見方としては、一つのメロディによる抽象よりも、四人の画家の人間くささのほうに気持ちがかたむくということだ。

戦後の映画の方法、さまざまな試行錯誤があったんだなあと思います。

次回は、絵本と映画についての評論。これはちょっときつい。
というのは、ヤンは、映画は映画、絵本は絵本、昔話は語り、ジャンルが違ものが交雑することに疑問があるのね。

話題が変わるけど、
いまYouTubeで、絵本の読み聞かせの動画がいっぱいアップされてるの、みなさんご存じですか?
絵本は、身近な大人(またはにいちゃんねえちゃん)に読んでもらうように作られてると思う。それを、安易に動画にして配信する意味があると思えない。
作品がよければ、当然観る人は多いだろうけど。
それに、著作権。ちゃんとOKもらってるのかな?

 

映画評「ジャックと豆の木」🎆

『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論上』の報告
なんだけどね、読んだことのない本は、図書館で借りて読んでから、報告してるんですが・・・
映画は観たことがないものはなかなか報告しづらいです。
やめとこかなと思ったんだけど、試みますね。
古い映画を、ネットで探すのも面白いし、わかる範囲で、書きます。

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第3章書評など
映画評3 1957年発表
「ジャックと豆の木」ほか

ありゃりゃ、以前ババの単発勉強会でやりましたね。「ジャックと豆の木」の再話比較。
あのとき、語りと絵本と、アニメも比較しましたね。

今更追加して比較できませんが、瀬田先生は、ロッテ・ライニガーの影絵映画「ジャックと豆の木」を取り上げています。モノクロアニメです。
ネットで探したんだけど、見つからなかった。
失敗作だと思う」って、瀬田先生は書いてるんだけど、何とも言えない。
理由は「子どもをひきつける驚きの要素と展開がない」ってこと。
それと、ストーリーを変えてあること。
ジャックは雲の上でお城にとらわれているお姫様を助けるんだって。
それはだめでしょ。

でもね、瀬田先生は、ディズニーの「ミッキーのジャックと豆の木」はOKなんですよ。
シチュエーションや対比や動きに心配りがあるって。
こちらはYouTubeで見つけた。観た!
ストーリーが全然違う!!!
瀬田先生、これでOKなんですか!?

と、ここで、瀬田先生のいう「ミッキーのジャックと豆の木」とYouTubeで上がっているのが同じかどうか疑問に思った。でも、確かめようがない。
ギヴアップ!

やっぱり報告にならなかった。
ごめんなさい。

参考:ロッテ・ライニガー(1899-1981)
ドイツの映画監督。影絵アニメーションの先駆者。
代表作は、現存する世界最古の長編アニメーション映画『アクメッド王子の冒険(英語版)』(1926年)

お詫びのしるしに、ロッテ・ライニガーの「シンデレラ」を張り付けておきます。
観てごらん、おもしろいよ~! ↓

グリムの「灰かぶり(シンデレラ)」とストーリーがほぼ同じなのは、ロッテがドイツの人だからかもしれませんね。

 

 

 

映画「少女と山猫」📽

『瀬田貞二 子どもの本論文集 児童文学論 上』報告

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第3章書評など
映画評3-三つの短編映画 1957年発表
「少女と山猫」

まずはお断りಥ_ಥ
「少女と山猫」、観たこともなくネットで動画も確認できず、うまく報告できないかもしれません。

「少女と山猫」1956年制作
ハンガリーのアーゴシュトン・コラーニが脚本を書き監督した記録映画。

瀬田先生によると「ハンガリーのおくるすばらしい記録映画だ」そうです。
同じころのドキュメンタリー映画と比較して、
ディズニーの「砂漠は生きている」は、あくどい擬人化的な手法にげんなりするといい、
「緑の魔境」は、例えばピラニアが牛をむさぼり食う場面など、非情な客観性を持つといいます。

どれも観てないです・・・
「砂漠は生きている」というのは、「水鳥の生態」「大自然の片隅」「ビーバーの谷」などの自然の驚異シリーズを長編にきりかえ、自然の冒険シリーズと名づけて発表した第1作だそうです。1953年アカデミー長編記録映画賞受賞。
そういえば、昔、テレビでディズニーの番組があって、ミッキーとかのアニメだけでなくて、自然ドキュメントもあったことをうっすら覚えています。それと関係があるかどうかは不明。
「緑の魔境」は、ジャン・ガスパレ・ナポリターノが製作、南アメリカの東海岸のリオ・デ・ジャネイロから西海岸のリマにいたる12500キロメートルを、特製ジープ2台で6カ月にわたって踏破した記録映画ということです。1953年カンヌ記録映画賞受賞。

こういう、人びとに絶賛された作品を批判して、こちらが良いよという「少女と山猫」観てみたい。

あらすじ(引用)
森林技師の娘カティは、子猫とまちがえて山猫の子を拾って育てる。春、夏、秋、時はゆっくりまわって、冬へ急ぐころ、山猫の子は本能にまざめてカティの手をきずつけてしまった。カティはそっと森へ逃がしてやる。山猫は野性にかえって森のなかでひとり立ちの座をしめていく。

この映画の良さは、
*美しい森の四季と森の様々な生き物の活動
*水の流れるような美しい音楽
*丁寧に叙事詩的に描写される日常

この映画での自然は、擬人化されることもなく、かといって単なる客観描写でもない。
人間と動物が、自然の懐の奥で、境界はありつつ暖かく触れ合っている。それは、東洋的ではないかと瀬田先生は言います。
敵対とか征服とかでない対自然の古い記録」だと。

「少女と山猫」と直接には関係ありませんが、今日は、レイチェル・カーソンの命日だそうです。

自然と人間について考えてみませんか。

大人向けには『沈黙の春』。
子ども向けには『センス・オブ・ワンダー』。

マルシャーク原作「森は生きている」❄🌲❄

『瀬田貞二 子どもの本論文集 児童文学論上』報告

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第3章書評など
《映画評2》
マルシャーク原作「森は生きている」1956年発表

この評論は、マルシャーク原作「森は生きている」の映画化したものに対してなされています。
映画は、1956年に、俳優座=近代映画協会企画によるコニカラー総天然色作品として発表された実写版です。(1980年に東映がアニメ版を出していますが、これではありません)

サムイル・マルシャーク(1887-1964)
ロシアの作家、翻訳家、詩人

「森は生きている」はスラヴ民話をもとにして書かれた児童劇。
日本語では『森は生きているー十二月ー』として、岩波少年文庫から出ています。湯浅芳子訳

児童劇場レパートリーの珠玉篇といわれています。
初演は1954年、俳優座。青山杉作演出、林光作曲。
現在も、いろいろな劇団で上演されています。

私は、映画では見ていませんが、劇場中継をTVで観ました。
歌のフレーズを覚えています。

原作は、すじが単純、構成がすっきりしていて、イメージが豊か、曲折は意表を突き、意向が健康。それをそのまま映画にしてあるのだから、どう転んでも「おもしろい」と、瀬田先生は言います。
つまり、子どもが、この映画を「おもしろい」というのは、原作のよさによるものなのです。

ただ、映画なのに、映画としての特徴を駆使せず、演劇の舞台をそのまま映画化してあるために、むしろイメージが広がらない。
舞台で見るほうがずっといいようです。

引用
これは演劇的な成功作の映画的な失敗作だ。

参考までに、1956年には、ソ連がアニメ版を出していて、DVDで観られるようです。主人公の娘は清水マリが吹き替えています。
1980年の東映アニメ版は主人公に名前(アーニャ)が付けてあって、大竹しのぶがやっています。DVDなし。

ところで、マルシャークがもとにした民話というのは、『12のつきのおくりもの』として福音館書店から出ているので、ご存じのかたは多いと思います。内田莉莎子訳、丸木俊絵です。
東京子ども図書館刊『おはなしのろうそく2』にも入っていて、語る人は多いです。