「児童文学を読む」カテゴリーアーカイブ

『少年時代』三部作📚

『瀬田貞二子どもの本評論集児童文学論上』報告

お久しぶりです(笑)
マルセル・パニョルの自伝『少年時代』を読みました。
今から100年近く昔のフランス。町の様子や田舎の様子、自然にあふれた山の様子。まざまざと思い描きながら、みずみずしい感受性に、ワクワクしながら、読みました。

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第3章書評など
「少年時代」三部作 1976年

マルセル・パニョル(1895-1974)
フランスの劇作家。
最初に戯曲を書いたのは15歳のとき。
33歳で「トパーズ」が上演され、そののち、「マリウス」「ファニー」「セザール」の三部作で世界的な名声を得る。
その後、映画の製作も多く、51歳でアカデミー・フランセーズの会員になる。
『少年時代』が書かれたのは、60代になってから。1957~59年。

この書評が書かれたころの、日本の児童文学の世界では、子どもから大人への移行期の子どもたちに向けて書かれた文学がない時代でした。
瀬田先生は、第二次世界大戦後、世界では、中高生図書の意義が再検討され、この時期の子どもに向けた本を「橋」ととらえるようになったと書いています。
そして、このマルセル・パニョルの『少年時代』には、「橋」の資格があると。

この三部作は、マルセル・パニョルの初めての散文です。
作者はこう言います。
今はもうすぎさってしまったある時代についての思い出であり、親を偲ぶ子の心のささやかな歌であるにすぎない
それに対して、瀬田先生はこう言います。
引用
日常の細部を淡々とつづっているにすぎない。しかし、抑制のきいた描写は、かえっておしかくした感情の波を私たちの胸底にかきたてずにはおかない。

第一巻『父の大手柄』
第二巻『母のお屋敷』
第三巻『秘めごとの季節』

ネタばれになるので、あらすじは書きませんね。

引用
巻の構成もまた、父(社会)、母(家族)、自己へ、一種の形成への漸層が意図されているだろう。しかし教訓は一切筆にとらない。そのためにここでも、かえって読者は胸にひびくうったえをきくことができる。

マルセルの感受性に共感する部分が随所にあります。
その中で、私が特にあげるなら、山の別荘で友達になった土地の少年リリとの友情が描かれている所。
町に戻って日々を過ごしているマルセルのもとに、ある日、リリから手紙が届きます。初めての手紙。
小学生用のノートを破いた三枚の紙に、字の大きさは不ぞろい、つづりの間違いもいっぱいあって、インクの染みもある手紙です。
マルセルは、何度も読み返し、宝物としてしまっておきます。
そして、町へ行って美しい便箋を買ってきて、下書きをして二度読み返し、清書します。優等生の完璧な手紙です。
その手紙を出そうとして、考えます。それから、ノートの紙をびりびりと引きちぎり、字の大きさを不ぞろいに、つづりの間違いをあちこちにちりばめて、手紙を書き直し、インクの染みまでつけて、投函するのです。

忘れていたことを思い出させてくれる小説でした。
大人にも、もちろんこれから大人になる人たちにも是非読んでもらいたいと思います。

『うみをわたったしろうさぎ』🐇

『瀬田貞二子どもの本評論集児童文学論上』報告

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4章昔話
昔話ノート
『うみをわたったしろうさぎ』余談 1968年

『うみをわたったしろうさぎ』瀬田貞二再話/瀬川康夫画/福音館書店/1968年 こどものとも142号

瀬田先生がもとにした『古事記』ですが、語釈・補注の扱いからみて、主に、岩波の古典文学大系『古事記・祝詞』倉野憲司・武田祐吉校註/1958年(以下、大系本とする)と思われます。ヤンが再話に使っているのもこれです。

瀬田先生は、『古事記』をかなり忠実に翻訳したがところどころ改変しているので、「再話」と呼ぶのがいいと書いています。
改変したのは、うさぎが、因幡の国の竹の林に住んでいたけれど津波で流され、おきの島に流された(それで、因幡の国に帰るためにわにをだました)という部分。
これは、大系本の補注にある『因幡の国風土記』の逸文(『塵袋』鎌倉時代成立の事典)をもとにしています。
『古事記』には、なぜうさぎがおきの島にいたのかが書いていないから改変したそうです。
この部分、ヤンは『古事記』に忠実に再話しているので(笑)、確認してください。こちら⇒《日本の昔話》「いなばの白うさぎ」

さて、戦後しばらく、日本では、神話の復活を拒んだ時代が続いたので、当時は子ども向けのよい神話本がなかったそうです。そのなかで、次の本が挙げられています。
『古事記物語』鈴木三重吉/1920年
『古事記物語』福永武彦/岩波少年文庫/1957年
『カミサマノオハナシ』藤田美津子著/1943年・1966年再刊
ほんとに少ないですね。

この評論が書かれたころ、文部省が、歴史教科書で神話を扱おうと考えました。けれども、戦前回帰を憂う声が上がり、反対を受けていました。瀬田先生は、2つの理由で、歴史の中で神話を知ろうというのは無理だと言います。
1、古代における神話の意味を子どもに知らせるのは困難。
2、神話と史実についての学問的な研究が未発達。

その頃、学問的に『古事記』を見直すものとして、『古事記の世界』西郷信綱/岩波新書/1967年 が、出版されました。
原意識を掘り起こそうという、いわば古代人の肉声発掘作業が」おこなわれていると、瀬田先生は評価しています。
『うみをわたったしろうさぎ』執筆の参考になったとあります。

さて、この物語のテーマを瀬田先生はこうとらえています。
引用
兄神たち、つまり八十神(やそがみ)のでたらめな教え、むしろ残酷ないじわるに対して、大国主がちゃんとした心のこもった治療法を教えているところに、その文化神的性格がうかがえます。

蒲(がま)の花粉には血止めと痛み止めの薬効があるそうです。
大系本注:『和名抄十』(平安時代成立の事典)より

「おきの島」については、沖の島なのか隠岐の島なのか、昔から議論があります。瀬田先生は、「遠くの島」ということでいいではないかと書いています。

「ワニ」については、ワニなのかワニザメなのか議論があると、瀬田先生は書いています。大系本の注にはこうあります。
引用
鰐(わに)、海蛇、鰐鮫(わにざめ)などの諸説があるが、海のワニとあることと、出雲や隠岐の島の方言に鱶(ふか)や鮫をワニと言っていることを考え合わせて、鮫と解するのが穏やかであろう。
なぜ瀬田先生は大系本の「サメ説」を取らなかったのか。それは、マレーシアのカンチル話では、サメではなく、ワニだからだそうです。
みなさん、《外国の昔話》「カンチルとワニ」見てくださいよ~。こちら⇒
瀬田先生が読んだ『南洋文学』宮武正道/弘文堂/1939年 の話とはちょっと違うけど、大筋は同じね。
ヤンは、日本神話ではサメ、現代の東南アジアの昔話ではワニ、それでいいと思っています。昔話を学んでいる私たちは、地域によって、民族によって、同じ話でも人物や小道具が異なるってこと、知ってますよね。

報告はおしまい。
つぎは蛇足。

2011年実施の学習指導要領国語で、戦後初めて「神話」が教材として扱われることになりました。
それで、いま、神話や古事記関係の児童書が、ずいぶんたくさん出ていますね。
教科書に載っているのは、「いなばの白うさぎ」「やまたのおろち」「うみさちやまさち」(ほかにもあるかもしれない)。
読み物、絵本、漫画、事典(図鑑?)。
どれを子どもに手渡せばいいのか、読み比べがたいへんです。
わたしは、元のストーリーが面白いから、できるだけ平易な言葉で正確に訳した本がいいと思っています。
語りの森HPでも、少しずつ増やしていこうと思っています。
『古事記』はもともと口承なんだから、できれば語りの形で子どもたちに手渡したいです。

あ、蛇足の蛇足
古典だから、古典らしい文体でなくてはならないとは思いません。
もしそうなら、『古事記』をそのまま朗読すればいいのです。1300年前の発音で(笑)

『あずきまんまの歌』🎵

『瀬田貞二子どもの本評論集児童文学論上』報告

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第3章書評など
「子どもの館」書評欄から1977年
『あずきまんまの歌』

『あずきまんまの歌』沼田曜一文と絵/平凡社/1976年
今回読んでみて、これ、以前に読んだことがあるって気づきました。
一回目は子どものとき、2回目はお話を始めてからで、20年以上は前。

昔話や伝説をもとにした創作が24話。
子ども心に深く感動したので、ストーリーと情景が記憶に残った。
それで、いま、なぜか多くのマイナーな昔話を知ってるのは、これが原因だとわかった次第。

子どもの頃は、当然もとの資料の存在は知らないし、これがどこまで作者の創作かもわからないわけですね。
民話をもとに創作または再話する場合は、良いも悪いも、すごく責任があると実感しました。
「あずきまんまの歌」は、「長良の人柱」伝説が元になっています。今読んでも涙が出ます。情緒的なのです。
伝説や昔話化された話は、もっとクールです。グサッと刺さっても、涙は出ないで、じゃあどう生きていくんだと考えさせられる。

沼田曜一(1924-2006)
俳優
テレビや映画に多数出演しているようです。
1968年から全国行脚に出て、芝居や紙芝居をしつつ、途中で出会った人たちから聞いた昔話や伝説を脚色して発表したのが本書であると、あとがきに書いてあります。

瀬田貞二先生の書評に入ります。
本書を「けれんなく腰のすわった、民話系のよい物語集」としています。
一話ごとに表現が様々でおもしろく、でも一貫しているのが「言葉のリズムの平明さと底流にひそむ人情のかなしさ」であると。

そして、先生のおすすめは以下の話。
「あずきまんまの歌」
「山んばのはなし、その二」(これも、涙の出る話でね、ヤンは大人のためのお話会で語ったことがある)
「天の庭」スケールの大きなロマンスの香り。(これ、原話を知ってるので、再話しようかと思ってる話)
「にわか侍」ほら話の満足すべきナンセンスの息吹がある。
「葬頭河(しょじか=三途の川)のうばへむこ入りのはなし」口うつしに聞く語りの感じが生きている。
「さるの聟どん」同上

欠点は以下の話。
1、構成の必然にいたらないもの。
「ささぎつね」太平が再度狐を撃つわけが甘い。
「庄助さんのしか」鹿の死が唐突。
2、叙述のちぐはぐなもの。
「天人の嫁」修飾語が多すぎる。
3、むだのあること。
「月見草の嫁」「めしいの太鼓」「山んばのはなしその一」ラストが蛇足である。
4、ストーリー不足。
「じいさまと、ばあさまのはなしを三つ」の1と3、「姫が淵」ストーリーの起点で終わる。

おしまい。
原話を確認したいと思ったことでした。

『バビロンまではなんマイル』🚴‍♀️

久々の『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論 上』報告です。
リクエストしていた本が手に入ったので(^∀^●)

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第3章書評など
「子どもの館」書評欄から 1976年
『バビロンまではなんマイル』
ポーラ・フォックス作/掛川恭子訳/冨山房/1976年
日本で出版された年に書かれた書評ですね。

作者(『世界児童文学百科』から)
ポーラ・フォックス(1923-2017)
アメリカの小説家。ニューヨーク生まれ。
彼女の作品に一貫するテーマ
引用
他人との交わりに困難を感じている孤独な子どもたち(たいていは男の子)が、非日常的な体験をへて、ほかの人々と真に触れ合うことができるまでを書いている。

この『バビロン~』は、10歳の黒人の少年ジェームズが主人公です。
父親は蒸発、母親は病気で入院。マンハッタンのボロ貸アパートで、三人のおばたちと暮らしています。
ジェームズは、世話をしてくれるおばたちのことが嫌いではないけれど、何でも話せるほどではない。学校に行っても友達もいないし、先生にも心を開かない。ある日、三人の不良少年に誘拐されて、イヌ泥棒の手先にされて、夜のニューヨークを自転車で連れまわされます。その24時間のうちに、彼の心に何が起きたのかが描かれていきます。
ニューヨークのダウンタウンの景色が目に見えるようだし、事件にハラハラドキドキしっぱなしだし、ジェームズの気持ちに寄り添ってしまって、ラストは涙が止まらなかったヾ(•ω•`)o

では瀬田先生の書評に入りますね。

引用
この本は、しなやかで、したたかな作品である。十歳になるブルックリン地区の黒人の男の子の、外部世界と内面の世界とを、その子独自の感情のフィルターを濾して定着させた小説である。

主人公の環境を考えると、社会問題が表面化しそうだけれど(現在も黒人差別反対のデモが広がってますね)、作者は、政治的な主義主張は一言も発していません。そして、主人公の内面を描いて「したたかに重く、また深い余韻を残」すことによって、社会的な課題が読者の心を打つのです。

アメリカでは読者を10歳以上としているけれど、日本は社会事情が違うから、中学生以上対象になるだろうと書いてあります。でも、情報のグローバル化の現代、この書評が書かれた時代とは、日本の子どもたちの置かれている状況も変わってきています。これくらいの本は読んでほしいと思います。
たとえ背景がよく理解できなくても、孤独感、疎外感をもって生きている子どもはたくさんいますから。

瀬田先生自身、こう言っています。
引用
ジェームズは不安な心理の持ち主だ。愛されていても、ひとりぼっちの感じで、根性はあっても、いろいろなものにおびえる。そういう少年そのものがここに、はっきりつかまれている。
ね、小学生中高学年に読んでもらいたいでしょ。

作者の言葉の引用
私はお話というものが、人生そのものと思ってはいない。お話は隠喩(メタファ)だ。
お話は手袋みたいなもので、だれかそれに合った手がはめてくれるのを待っている。手そのものではない。

文章表現については、訳者の「現実と幻がたえずまじりあっているような」描き方という言葉を引用して、それが成功しているのは、作者が主人公の独自な内面世界に潜り込むことができているからだと、瀬田先生は言います。
わたしは、後半、主人公が初めて海を見たときの、海の描き方に特にそれを感じました(本書p122~127)。

ところで、この書名は、マザーグースから来ています。
バビロンまではなんマイル
60マイルと10マイル
夕ぐれまでにはつけるでしょうか
いってかえってこられます
日本のとおりゃんせとよく似た遊びの歌だそうです。

ポーラ・フォックスの他の作品(翻訳されているもの)をあげておきます。
『モリスのたからもの』世界のどうわ、清水真砂子訳、大日本図書、1982年
『どれい船にのって』Best choice、ホゥゴー政子訳、福武書店、1989年
『きのうのぼくにさようなら』あかね世界の文学シリーズ、掛川恭子訳、あかね書房、1989年
『片目のねこ』心の児童文学館シリーズ、坂崎麻子訳、ぬぷん児童図書出版、1990年
『西風がふくとき ― おばあちゃんとの日々』文研じゅべにーる、清水奈緒子訳、文研出版、1999年
『フグは海に住む ― ベンの旅立ち』森恵子訳、さ・え・ら書房、2000年
『イーグルカイト ― ぼくの父は、エイズとたたかった』翼をひろげて<6>、村田薫訳、文渓堂、2000年
『光の子がおりてきた』平野卿子訳、葉祥明絵、金の星社、2000年

木下順二の『日本民話選』🐵🦀

『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論 上』報告つづき

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第4章昔話《昔話の再話について》
「木下順二の『日本民話選』」

今回は、戦後の昔話の再話が、戦前に比べて様変わりしたとして、木下順二をとりあげています。

木下順二〈きのした じゅんじ〉(1914-2006)

木下順二は、巖谷小波や楠山正雄と根本的に違っていると、瀬田先生は言います。
1、語りということを非常に大切にしていること。
これは、木下順二が劇作家であることからきています。
2、昔話の精神を心得ていて、定着させようとしていること。

『日本民話選』(木下順二 岩波少年文庫1958年)
作者あとがきから、木下順二の再話についての考えがわかります。
民話は口承であるが、書き留める方法としては、学問として正確に記録する方法と、文学として再話する方法がある。自分は、前者を利用して、文学として再話する。
そして、ジェイコブズについてこう書いています。
農民特有の魅力的な語り口を生かし、内容は、教訓など解釈をつけず、文学的密度の高い作品だと。
そのうえで、再話と再創造の違いをこう書きます。
再創造とは、民話を素材としてはいるが、解釈にも表現にも、作者自身のものを自由に駆使した作品。戯曲「夕鶴」など。

瀬田先生は、先にまとめたように、木下順二の仕事を認めてはいますが、『日本民話選』の昔話は、再話ではなくで、再創造だと反論しています。

「ツブむすこ」
・・・
とうとうむすめはあきらめて、もうこのうえは、むこうの田の中にひとところだけある、底の知れない深いどろぬまの中へ、身をしずめて死んでしまおうと心をきめた。・・・
むすめがいきなりふりむいてそのりっぱな若者の顔を見ると、それがあの、今までさがしにさがしておったツブむすこの姿だということが、さあっと水がみちてくるようにむすめにはわかった。
・・・

これを瀬田先生はこう言います。
根本からいって、これは小説だ。昔話の素材と技法を借りた別のものだ。
ね、よくわかるでしょう。

そして、
オリジナルを意識して加える限り、再話ではなく再創造だ。それはそれでいい。年長の子ども向けの小説(文学)として認めよう。
だが、再話はきっと別の方法で果たされねばならない。
というのです。

では、瀬田先生の再話観。
ある特定の再話者の顔や声や身ぶりが物語のなかにはいりこまないもの・・・
話す者と聞く者とのあいだで受け渡される昔話の、徹底的に非個人的な性質。それはひるがえって再話する立場から見れば、表現の刻印は鮮明におさなければならないが、話者の自己の刻印をおしてはならないこと、その無名性に通ずると思います。

そして、再話に何より肝心なことは、よい原話をさがすこと。それには文学の鑑識眼を基本に持たねばならないことだと言います。

最後に、木下順二の文体について、「どこの方言でもないひとつの方言主義」といい、これを批判するでもなく賛同するでもなく、話し言葉と書き言葉の合成は難しいと言っています。どっちやねん。
小澤先生は、木下順二のこの方法を、痛烈に批判されています。
どこの方言でもない方言など存在しないと。
そう考えると、この文体も木下順二の再創造ということになりますね。

はい、ここまで。

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『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論』の上巻もそろそろ終わりに近づきました。
取り上げられている文献を確認しながらの報告を続けてきましたが、図書館が休館しているので、限界に達しました。
できることなら、大阪国際児童文学館か国際子ども図書館に入りびたってリポートしたいものです。
それまで、この報告は、いったん終わります。

もう毎日書くことがないなんて、さびしいなあ。

児童文学か昔話関連で報告してほしいこと、なにかあればリクエストしてください。

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今日のレパートリー解凍は「さんびきのくま」ジェイコブズ

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みなさん、アンケートお待ちしてますo(^▽^)o