「日記」カテゴリーアーカイブ

あたらしい春🌷

暑さ寒さも彼岸まで。
気がつくと、街も野もすっかり春の装いです。
セーターもダウンコートも洗濯の季節になりました。
花粉はつらいけど、それでも、春はいい。
別れも、悲しい記憶もあるけれどね、それでも、春はいい。
ひとあし、そっと歩きだそうと、春は背中を押してくれます。

あと、何度、桜を見られるのか、わからないから、今年も桜を見に行こう。
街や山には、ソメイヨシノではない古い種類の桜が、たまにあって、それを見つけるのが楽しいです。
上の写真は、近くの緑地にある大島桜です。
ソメイヨシノより、ちょっと早く咲きます。

母がよく話してくれた桜は、富士山のふもとの八重桜です。
一本だけ孤立していて、とても大きな木で、遠くからでもよく見える。
祖父の実家の目印になる桜だそうです。
母は、子どものころ、疎開で富士山のふもとのその家に半年間暮らしたそうです。
学校の帰り道は、富士山に向かう道。
毎日、富士山を背負ってでかけ、富士山に向かって帰っていったと聞きました。

母はもういませんが、母の話の中の桜は、わたしの中で、今でも咲いています。

あたらしい春。
今しかできないことを、どんよくに、やっていこうと思います。

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今月の月曜日の更新は《ステップアップ》です。
「テキストを整える」ことについて書いてます。3回ぐらいで終わると思ったけど、ちょっと無理かも。

弥生3月🎎

厳しかった冬ももう終わりになるのでしょうか。
京都府南部、きょうは、暖かでよい天気です。
梅もずいぶん花を開いています。

わたしは、指を切る やくそくする
わたしのおはなしは もう長くはない
はっぱはひろく 道はせまい
死んでいなければ 生きているでしょう
・・・「美しいテレジーナ」イタリアの昔話

新しく覚えたおはなしの結末句です。
結末句って、ナンセンスで、意味がよくわからないヾ(≧▽≦*)o
でも、なんども練習しているうちに、見えてくるものがあって、いま、この結末句がわたしの心境をぴったり表してるなあって思います。

コロナの3年で、あたらしいおはなしを覚える必要がなくなって、けっこうのんびりやってきたんだけどね。
年齢を考えると、体力的にいろいろ衰えてきてる実感があります。
それで、脳力も体力の一部かもと不安になって、昨年末から新しいおはなしを集中的に覚え始めました。
「うるわしの王女マリア」⇒こちらが覚えられたから、ほっと安心。
安心したら、もっと覚えたいってうずうずしだして、語りの場もないのに、覚えています(って、前に書いたかも~笑)

思い返せば、人生の時間の半分以上を語りに費やしてきました。
子どもに語ることを中心に、おはなしおばさんたちに向けても、おはなしなんて全く興味のない人たちに向けても、語りの回数は数えきれません。
どうしてそんな道を歩いてきたのか、よくわからないけれど、聞き手が喜ぶ顔が見たくて、それだけが歩き続けるモチベーションでした。

そんなこんなで、レパートリーは250話を超えました。
そして、もしかしたらこれがわたしの最後の話かもしれないと覚悟する歳になったのです<(_ _)>

わたしのおはなしは もう長くはない

たいしたことは何もしなかったけれど、それでも、語りという世界を見つけることができたのは、幸せです。
この世界は、過去から未来へ、町内から地球の果てに永遠に広がっています。
永遠を感じながら、ひとり、道を歩いています。

はっぱはひろく 道はせまい

わたしはそのうち無に帰すわけですが、語りの世界は永遠であってほしいと祈ります。

死んでいなければ 生きているでしょう

これまでずっと、選話の基準は「わたしの聞き手たち」だったけど、いまは、「これを最後の話にしていいのか?」です(≧∀≦)ゞ

いま、つぎのおはなしを覚えています。
イスラエルの「幸運の種まき」という話。
機会があれば聞いてくださいね~

 

たまには食べたい🍔

広告が入ってたんですよ╰(*°▽°*)╯
ケ〇タッキーのが1枚と、マ〇ドナルドのが3枚(同じのね)。
今週は町に出るしなあ、ぺーちかの帰りに買って帰ろ。
どれにしよっかな~

めったに食べないから、ほぼお祭り気分。

いつも広告をちぎって財布に入れるんだけど、めったに町に出ないから、買おうと思ってチケットを出した時には、たいてい期限切れ。
おねえさんが、「あ、これ、〇×までで、もう使えないんですよ、すみません」って、マニュアルにない対応をしてくれるのです。

ぜったい忘れんとこうと強く念じて、財布に入れた!

で、安心して、コーヒー飲みながら本を読み始めたのね。
思わず噴き出した。
こんなことが書いてあったのよ。
「糖分と脂肪たっぷりのジャンクフードの魅力に勝てないのは、狩猟採集民の先祖から受け継いだ遺伝のせい」

やった!
ジャンクフードを食べる時って、なんとなく罪の意識ない?
体に悪いもん食べてるって。
でも、これって、わたしのせいじゃなくて、遺伝のせいなんや~

ホモ・サピエンスは、1万年前はほとんど農耕か牧畜を仕事にしていて、その前は何万年も狩猟採集民だったんだって。人類の脳は、その狩猟採集生活に適応したままだそうです。

ほんまかウソか知らんけど。
おもしろいなあ。

え?その本?
ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』の漫画版。河出書房新社
『サピエンス全史』自体は、珍しく購入して少しずつ読んでるんだけどね、漫画版が出たのを知って図書館で借りた。めっちゃ分かりやすい。

ふふ、おけんたいで、チキンとポテトたべよ~

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今日の《日本の昔話》更新は「からすとたにし」
春になって暖かくなったら、ぼんやり語ってください(^///^)

おには~そと👹

ああ、節分やったなあと、のんきばあさん、巻きずしをまきました。
自分で作ると自分の好きな味にできるので、食べすぎるo(*°▽°*)o

のりはお正月の残りがあるし。
高野豆腐も、お正月の残りがあるし。
干しシイタケとかんぴょうと三つ葉を買ってきて。
あとは卵を焼いて。
よしよし、これだけあればオッケーや。
と、ところが、や。
お米が五分づきやった!
もち米でもあれば少し混ぜて、もっちりするんやけど。
ぱさぱさのご飯で巻くのはけっこう難しいよ。やってごらん。
って、だれもやらんわな。

自分と夫が食べるだけやし、目つぶってたべたら、具が真ん中に入ってなくてもわたらへんし。

ああおいしかった。食べすぎた。

子どもたちに、写真を送ったら、ふたりとも、「わー」とだけ返信してきた。
ええねん、母の味を忘れたか、恩知らずめq(≧▽≦q)

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今日のおはなしひろばは「おにのめん おふくのめん」
大好きな話です。

 

 

昔話は愛😊😊😊

あ、そうそう、語法は愛だっていつも言ってるけど、昔話自体が愛なんですよねO(∩_∩)O

え?いきなり、なんでって?

今気に入ってる話があるんだけどね。
イタリアの話でね、おばあさんと孫娘がふたりで暮らしてるの。
よくあるパターン。
で、その娘に王子さまがちょっかいかけてくるのよ(^///^)
娘はどうしていいかわからない。
そしたら、おばあさんが、教えてやるの。
連鎖譚だから、なんどもなんども、王子さまはちょっかいかけてくるし、たんびにおばあさんが教えてやるの。

そのときのおばあさんのセリフがいいのよ~
「ばあさんというのは、半分魔女みたいなもんだからね、なんでも知ってるんだよ」

おばあさんに教えられながら、娘は(王子さまも)成長して、結ばれる。
そのおばあさんのまなざしが、愛以外のなにものでもない。

だから、主人公は娘なんだけど、ヤンは主人公ではなくておばあさんの側で語ってるわけ。

でね、本来昔話は、聞き手がいて語るでしょ。聞き手がいないと語りにならないし、もちろん伝承されない。
そこが小説と違うところね。
小説家だって読み手の存在は大きいけれど、たぶん小説家は、まず自分の心の中に下りていってそこからみずから物語をつむぐと思うのね。
でも昔話の語り手は、自分の記憶の中に下りていって、それを聞き手に差しだす。
だから、そこには自分ってのはなくて、つまり自意識がなくて、まるっぽ聞き手への思いなのね。しかも、語ってくれた人の愛に裏打ちされてる。

わかるかな~
うまいこと言えへんで、ごめん。

おばあさんは、孫娘がかわいくてたまらない。
だからこの話を語った。
語り手と聞き手の関係が、物語の登場人物の関係に重なってるな、と気がついて、愛やな、と思って、この話が気に入ってるの。
まだ題をつけていないんだけど、そのうち、《外国の昔話》で紹介するね。

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明日から2月。
2月は、たまってる再話を放出するね。
週1回の更新では、なかなかはけなくって、たまるばかり。
毎日更新する予定(*^▽^*)

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ヤンの読書日記、更新しました。
アメリカの奴隷制度について知りたいなあ。