「日記」カテゴリーアーカイブ

笑いのツボ

子どもが笑いのツボにはまったときって、ほんとにおもしろいねえ。
それを見てこっちが笑いが止まらなくなったりして。

大人も笑いのツボにはまりたい時ってあるよね?
わたしはある(~ ̄▽ ̄)~
そんなとき、落語はいいよ~

きのう、いつもの落語会を聞きに行って来ました。
奈良の東向き通りに、基督教会があってそこの礼拝堂で、年に2回、落語会があるの。桂出丸って、中堅の落語家さんが主催?してる。
今回が第49回ってあったから、もう25年以上つづいているのかなあ。
その最初のころから、家族で通っていました。

キリスト教会なんだけど、奈良の景観にふさわしいように、お寺風の建物にしてあって、とっても珍しい。

噺は3題
「カフェ役者」
「狸の化寺」
「住吉駕籠」

今回は一番若手の創作落語「カフェ役者」でツボにはまってしまった~
「なんべんいうねん」というほど、なんどもなんども、同じ場面は同じ言葉で話す(*^▽^*)
次になんていうか分かってるのに、おかしいねんな。
落語も昔話もおなじやね。


礼拝堂の後方のオルガン


中央の緋毛氈の台が高座


庭の向こうに興福寺のお堂が見える

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きょうのHP更新は、《日本の昔話》「いうなの地蔵」
語ってくださいね~

 

 

母の日の感慨

一年ぶりに娘の家族が帰って来たんですよ。ついでに息子も帰省してね。
ちょうど息子の誕生日が近かったんで、ろうそくつけてケーキ食べたりなんかして。
にぎやかにすごした連休後半でした。

ワイワイしゃべったり、食べ物の用意をしたり、片づけたり。
それがねえ、気づいたら、子どもたちが全部やってくれてるんですよ。
ばあちゃんは、孫と遊んでればいいって感じ。
何もしないで笑ってるうちにやってくれてるんやね。

当たり前かもしれないけれど、いつの間にか立場が逆転してたのよ。
やってもらうってことが、こんなに心地いいとは!

今まで、自分がしっかりしなくてはと頑張ってきたけれど、もういいよって、教えられたような気がする。
これからも何事も自分でやっていこうとは思っているけれど、支えてもらえるっていう安堵感でいっぱいになった。

娘が、わたしが弱ってることに気づいてくれて、病院をさがしたり、リハビリ施設をさがしたり、してくれてね。
現役世代のパワーを見せつけられました。

母の日には、杖代わりにもなるカートをプレゼントしてもらったの。

将来子どもたちに迷惑をかけないために、もっと自分を大事にして生きようと、肝に命じた母の日でした。

わがままにに生きてもいいねん╰(*°▽°*)╯

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きょうのホームページ更新は《外国の昔話》「かがやくお日さまが明るみにだす」
これ、日本では怪談話になるのですよ~

 

巣立ちの季節🐤

きのうのおはなし。

ツピッ、ツピッ、ってかわいい声がしたの。

ふとベランダをのぞくと、シジュウカラのひなが、ぱたぱたしてる。
なんども、外へ飛び出そうとするんだけど、うまくいかないの。
私に気がついて、めっちゃあせって、ぱたぱたしてる。

そうしたら、ツツピッ、ツツピッって、もっと大きな声がした。
見上げると、電線に大人のシジュウカラがとまってた。
ひなを呼んでるんやね。
ひなは、ぱたぱたぱたって飛ぼうとするんだけどうまくいかない。

干してたシーツが風でばたばたなびいてるので、恐いだろうなって思って、そっとはずしてから、窓を閉めた。
カーテンも閉めて、わたしのすがたが見えないようにした。
親鳥が助けに来られるようにね。

しばらく、ツツピッ、ツツピッ。ツピッ、ツピッ、って鳴きかわしてたんだけど、やがてしずかになった。
半時間ほどして、ベランダをのぞいたら、ひなはもういなかった。
うまく逃げられたのかなあと思って、ふと顔をあげたら、目の前の電線にとまっていて、そこからちょっと離れた所に親鳥がとまっていた。

しばらく、かわいい声を聞かせてくれてたけど、いつの間にかいなくなりました。

ああ、よかった。

巣立ちのころは、思わぬ危険がいっぱい。

 

 

お願いだから、テキストを大切に💦

おはなしに対するときは、「自分」を無しにしないといけないのです。
とくに、子どもに語り始めたら。
自分で楽しんでいるだけなら、好きにやってたらいいんですけどね。

選ぶ基準は、自分ではなくて「子ども」
選んでしまったら、自分は「テキスト」の主人になってはいけない。
謙虚に、謙虚に、テキストに対していくのです。
もし、テキストの中で自分に分からないことや矛盾を感じることやらが出てきても、それは、自分が未熟だからだと考えるのです。
そして、勉強する。
それでもなおかつ解決しないときは、先達に教えを乞う。

私自身は、テキストに手を入れます。
「子ども」のために手を入れる。
ただ、どう手を入れるかについては、これまでの語りの経験(同じ話を数えきれない回数語る経験)と、学んできた語法と再話の知識を総動員して手を入れます。

ババヤガーで学んでいるみなさま、どうか、気軽にテキストに手を入れないでください。
そのまえに、もっともっと勉強して、子どもに語る経験を積んでください。
経験というのは、言い換えると、失敗してくださいということです。
テキストに忠実に覚えて、自分にできる精いっぱいのやり方で語って、それなのに失敗する。何度やっても失敗する。その経験をたくさん積み重ねてください。
そこではじめて、テキストの不備が見えてくるのです。
そうしたら、手を入れてもいい。
その手を入れるときに昔話の語法と再話の知識を使うのです。(ババヤガーで語法と再話の勉強もしてるでしょ)
ただし、あまりにも手を入れる箇所が多い場合は、そのテキストは捨てる!

あああ。責任感じて、もう勉強会を本気でやめたくなってるヤンより

 

 

今日は何の日?📚

はい、憲法記念日~

祝祭日が続くと、今日は何で休みやったかなあってわからなくなる(笑)
小学生くらいのときは、学校で先生から教わってたけどね。
「明日は憲法記念日でお休みですよ」とか、「お彼岸ですよ」とか。
学校では今もそうなのかな?
みなさんどうでした?

で、日本国憲法が作られた(発布された)のが11月3日の文化の日で、実際に行われ始めた(施行された)のが5月3日の憲法の日、って先生が説明してくださった。
小学校低学年でも、それを知ってなんだか自分が偉くなったような気持がしてたな。しかもその気持ちは毎年更新されたし。

でも、この歳になったら、もうそんな新鮮味はない(笑)
そのかわり、ああ、長いことこれのおかげで暮らしてこられたなあって、感慨深い。
改めて全文を読むと、人間っていいなあ、こんないいこと考えられるんやなあって、感動する。

憲法で言っているとおりに世の中が動いているわけではないけれど。
むしろ、なんで、ちゃんとやってくれへんのやって、腹が立ったりするけれど。
それでも、こんないいことをちゃんと書いて頭にのっけている国に住んでることは誇り。

このところ、地球のあちこちの戦争の情報が私の日常にバンバン入ってくるので、改めて第九条を声に出して読みます。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

これのおかげで、わたしは戦争で傷ついたり死んだりしなかったし、夫や子どもたちを戦場に送らなくてすんでいます。
ありがたいことです。
え?「わたし」さえよかったらいいのかって?
そう、世界じゅうのすべての「わたし」が戦争の禍から逃れられればいいのです。

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きょうのおはなしひろばは「むかでとなめくじ」
めっちゃ短い笑い話です。