「昔話の本質と解釈」カテゴリーアーカイブ

謎かけ姫3👸👸👸

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第8章謎かけ姫ー策略、諧謔、才智 つづき

昔話は、人物の感情や気分、内面の葛藤、思考の経過を述べないで、すべて行為で表します。
例えば、「親切」という性質は、「大変思いやり深いやさしい親切な性格でした」と言葉で説明するのではなくて、「貧しいおじいさんにパンを分けてやる」という行為で表すとか。
昔話は、出来事を心理化しないで、純粋明瞭に事件として描くので、他のジャンルにはない透明性と明るい輝きがあると、リュティさんは言います。

謎をかける、謎を解く、というモティーフも、頭脳の激しい争いを出来事として表していると言えます。

シラーは、「トーランドット」の中で、なぜ謎をかけるのかということをトーランドット姫に語らせています。
こんな具合です。

アジヤ全体を通じて女性は卑しめられ、奴隷のくびきをかけられています。私は侮辱された同性の恨みを、威張っている男性に向かって晴らしたい。男性がやさしい女性にまさっている点といえば粗暴な力だけではありませんか。私の自由を守るために自然は武器として私に独創的な頭の働きと鋭い知力を与えてくれました。私は男のことなど知りたくもありません。男を憎み、男の高慢とうぬぼれを軽蔑します。

すごいな。なんだか、とっても現代的ですね~
シラー(1759-1805)っていったら、第九の歌詞「歓喜の歌」の元を作った人ですよ~
ああ、今年は第九は歌えないな。コロナやもんな。哀しいな〒▽〒
はっ!
気を取り直して!
そう、フリードリッヒ・シラー。あの時代にこんなことを言う女性を描いた。

リュティさんは、それはすごいんだけど、シラーのは昔話ではない、といいます。
シラーのトーランドット姫は、ひとりの個性ある人間、特殊な問題と才能を背負った一個の人間だと言うのです。その意味で、この人物の本来意味しうる範囲を狭めてしまっていると。

じゃあ、本来の昔話ならどうなのか。
昔話ではトーランドット姫は単なる役柄に過ぎない。もちろん、姫は内面的な必然性に促されて行動するんだけど、その行動の理由をこんなふうに説明することはないのが昔話です。
トーランドット姫とは、人間ととることもできるし世界の象徴ととることもできる。世界は人間に難題を課し、人間が解決しそこなえば、人間を滅ぼしにかかるものだと考えることもできる。
それが昔話。
どの時代にもどんな思想の人々にも、性別も関係なく、普遍なのね。

わたしは、そういう昔話が好き。
今危機があるとして、ああ、これはあの話のあれだなと、ふと悟る。それが救いになる。
この普遍性がないと、どうして200年も昔にドイツやロシアで書き留められたストーリーに癒されることができるでしょう。

はい、きょうはここまでですよ\( ̄︶ ̄*\))

 

謎かけ姫2👸👸

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第8章謎かけ姫ー策略、諧謔、才智 つづき

前回は、才智がストーリーに関りを持っているだけだったけど、今回は、才智が中心になっている話を取り上げます。もろに、「謎話」です。
謎をかけたり謎を解いたりする賢い人の話ね。
人気があるのは、謎かけ姫とか、謎解き姫。
みなさん、どこかで聞いたことあると思います。

代表的なのは「トーランドット」。
プッチーニのオペラで有名ですね。
もとは昔話です。
いちばん古い記録は、ペルシャの詩人ニザーミーの叙事詩『ハフト・ペイカル(七王妃物語)』1197年。古いねえ。
それをヨーロッパに紹介したのが、1710-1712『千一日物語』フランス。
それを戯曲風の昔話にしたのが、1762年、イタリアのカルロ・ゴッチィ。
それを戯曲にしたのが、ドイツの1801年、フリードリッヒ・シラー。
それをオペラにしたのが、1926年、イタリアのプッチーニ。

それほど作家や作曲家の興味を掻き立ててきた謎かけ姫「トーランドット」。
その昔話のあらすじを紹介します。オペラじゃなくってね。

ペルシャのトーランドット姫は、結婚したくないので、求婚者たちに謎を出す。謎が解けないものは首を切られる。
しまいに、カーラフ王子がやってきて、謎を三つとも説いてしまう。
謎1、あらゆる国に住んでいて、あらゆる人の友達で、自分と同等の者を我慢できないものは何か?
答え、太陽。
謎2、子どもたちを生んで、その子が大きくなると、飲み込んでしまうものは何か?
答え、海。なぜなら、川は海へ流れ込むが、もとは海から生まれたものだから。
謎3、全部の葉が一方は白くて、もう一方が黒い木は何か?
答え、年。一年は、夜と昼から成り立っている。

みなさんは、この謎解けましたかあ?

次回はどうして謎話が人気があるのか探っていきますね。

********

昨日は、月曜更新の日。
《日本の昔話》「ねこの口ひげ」
《外国の昔話》「プレッツェモリーナ」
語ってくださいね~ヽ(✿゚▽゚)ノ

今日は旧暦のたなばたですよ~
晴れるかな~
中国の昔話「牛飼いとおり姫」はこちら⇒

 

 

 

謎かけ姫👸

昨夕、久しぶりに雷雨があって、ちょっと涼しい夜と夜明けを過ごしました。
今朝は、初めてのツクツクホーシを聞きました。
初秋

午後からはやっぱり暑いけど、希望をとりもどしたよ~

**********

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第8章謎かけ姫ー策略、諧謔、才智

ヨーロッパの昔話の基本的なテーマに、「戦い」があります。
主人公は、竜とか、怪物、悪い魔法使い、魔女、盗賊をやっつけなければなりません。
そのとき、主人公は、策略を使います。

例えばこんな話。


この戦いで、主人公の王子は一度死にます。
が、生き返った王子は、王女の策略で、怪物ドンタの弱点を知り、やっつけます。
その策略を見てください。

これって、「心臓がからだの中にない巨人」にもあるモティーフですね。
お姫さまがベッドの中で巨人に心臓のありかをたずねる。
「だって、あなたのことをとっても愛しているんですもの」

それから、「魔法使いと弟子」の類話。
あのラストも策略ですね。
魔法使いと弟子が、次から次へといろいろな動物などに変身する。最後に弟子が一握りの穀物の粒に変身すると、魔法使いはにわとりになって、ついばむ。最後の一粒が、とつぜんキツネや鷹に変身して、にわとりを食ってしまう。
《おはなしひろば》に「まほう使いの弟子」を紹介しているので、どうぞ。(こちら⇒)『語りの森昔話集3しんぺいとうざ』にのせてますよ~

「ヘンゼルとグレーテル」
ヘンゼルは、指の代わりに小さな骨を差し出して、まだ太っていないと魔女に思わせる。グレーテルは、パン焼き窯に、どうやって入るかわからないと言って、魔女に入らせる。
策略で、魔女をやっつけます。

ところで、昔話がなぜ戦いをテーマにするのかということについて、リュティさんは、ふたつ書いています。
1、戦いというものは、人間存在一般の基本的な要素だから。確かにそうですね。私たちは、子どもの時から誰かと、または何かと戦っているし、ゲームや遊びも戦いのひとつですね。自分との戦いもある。
昔話は、人間の基本的なテーマを取り上げるものだから、当然戦いもテーマになる。
2、昔話は叙事的文学、つまり外的事件の描写だから。昔話は、心理的なこと、内面は描写しませんが、かわりに事件や目に見える事柄や行動で表します。私たちは、現実には、ある出来事に対して、自分の精神的な部分で対処しようとします。それを主人公と巨人の戦いという出来事で述べる、というわけです。

はい、今日はここまで。
今日は夕立はないのかなあ。

 

 

ラプンツェル4👱‍♀️👱‍♀️👱‍♀️👱‍♀️

今年は、暑くても図書館やスーパーに逃げ込めないから、たいへん(⊙x⊙;)
家のクーラーって、なんかしんどくなりません?

**********

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第7章ラプンツェル-昔話は成熟の過程を描いたものである つづき

ラプンツェルのどの類話も晴れやかな気分で語られているのに、グリムは違う。
特に、結末。
荒野に追放されたラプンツェルは双子を生む。
王子は絶望して塔の窓から飛び降りて失明する。
数年後、二人は再会して、ラプンツェルの涙によって王子の目は開く。
これはグリム独特で、どの類話とも異なっています。

なぜか。

グリム兄弟は、18世紀の小説家フリードリヒ・シュルツの作品の中にこの話を見つけました。小説です。
グリムさんは、この小説は、もともと民衆の間で語られていたのをシュルツが飾り立てて小説にしたのだと思い込んだのです。
そして、これを縮めて純化すれば、もとの昔話を取りもどすことができると信じたのです。
グリムさんは、いろんなところに、ドイツ本来の昔話を求めていたんですね。

ところが。

シュルツの小説は、フランスの仙女物語の翻訳だった。
え!ドイツでない!
グリムさん、知らなかったんです。

しかも、その仙女物語は、ルイ14世に仕える女官ド・ラ・フォルスが、1698年にフランスの昔話をもとにして空想でこしらえたものでした。とくに結末は、完全にフォルスさんが考えたものだったのです。創作。
グリムさん、知らなかったんですよ・・・

リュティさんはいいます。
真の昔話は聞き手の形式感覚、視覚的空想、リズム感に訴え、滑稽を容れる余地もある。ところが、グリムのラプンツェルの話には滑稽が少しも感じられない。

でもね、それでも、グリムのラプンツェルは世界中の多くの人々の心をとらえてきた。それは、グリム兄弟の手腕。
17世紀の仙女物語を昔話の文体へ移し替えたのです。
ラプンツェルはグリム童話集の中でも最も人気のある話のひとつです。

「ラプンツェル、ラプンツェル。おまえの髪をたらしておくれ」
この韻文には、たいそう古風な魔法めいた響きがあります。だから、みんなは、大昔の語りの名残だと思い込み、この昔話がいかに古いかという証拠にしていました。
でも、この韻文は、グリム兄弟が作ったものだったのです。

グリム兄弟のラプンツェルは新しいです。
でも、ここまでリュティさんが紹介してくれた数々の類話は、世紀から世紀へ口頭で伝えられた古い昔話にさかのぼるものであり、その起源は太古の闇に消え、その作者については何も知られていない。

はい、ラプンツェルはこれでおしまい。

*********

8月も後半。
暑さのがまんも後しばらく。
月末には幼稚園のおはなし会が待ってるし、がんばらなくちゃo((>ω< ))o

みなさまもくれぐれもご自愛のほどをφ(* ̄0 ̄)

 

 

ラプンツェル3👱‍♀️👱‍♀️👱‍♀️

ううう、連日最高気温がコロナや~(⊙x⊙;)
老人は熱中症とコロナとどっちに気をつけたらええねん?

リュティさんは、スイスの人やし、京都の暑さはご存じなかったやろなあ( ̄ε(# ̄)

*************

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第7章ラプンツェル-昔話は成熟の過程を描いたものである つづき

「ラプンツェル」の地中海諸国の類話は笑いとおかしさにあふれているようです。

イタリアの類話
女が魔女の庭から盗むのはパセリ。
魔女が現場を押さえようと地面の下に隠れて、耳だけ出してみはっている。
女は知らずにやってくる。魔女の耳を見て、
「まあ、なんてすてきなきのこなんでしょ」と、つかむ。
それで、つかまっちゃうのね。

マルタ島の類話。あの指と耳たぶをかみ切られたラプンツェルね。
この子は魔女から魔法を教わっている。
若者が塔を訪れているとき、運悪く魔女がやってくる。娘は若者を足台に変身させる。
魔女「その足台を取っておくれ」
娘「ほかの足台にしたら?」
魔女「いいや。その足台がいい」
魔女は足を乗せてニヤッと笑う。
別の日、娘は若者を縫い針に変身させる。
魔女「その針を取っておくれ。歯をほじくりたいから」
娘「ほかの針にしたら?」
魔女「いいや。その針がいい」
魔女は、哀れな若者を使って黒い歯の間をほじくりまわす。
別の日、娘は若者をずきんに変身させる。
魔女は、そのずきんを何日も禿げ頭にのせて歩き回った。
若者は娘に行った。
「これじゃ、とてもやりきれないから、二人で逃げよう」

魔女は若いふたりをからかっていますね。
だけど、さすが、昔話。言葉でなくて行動で表す。
ほんとうの昔話のおかしさというのは気の利いた言葉ではなく、事件の滑稽(こっけい)な展開にある。

ううむ。たしかに、子どもたちは、昔話を聞いていてよく笑うけれど、しゃれや言葉遊びよりも、ストーリーで笑っているよね。
もちろん、繰り返しの言葉のおもしろさはあるけれど、同じことを繰り返す筋が面白かったりして。

フランスの類話
仙女は、ものいうオウムを見張りにつけている。
オウムは若者が隠れている場所を教える。娘は、オウムがうそをついていると言ってごまかす。
娘はこっそりオウムのいる窓に水をかけておく。
仙女はオウムをテストする。「今日のお天気は?」
オウム「雨が降った」
仙女「この嘘つきめ」
つぎの日娘は窓に粉を振りかけておく。
仙女「今日のお天気は?」
オウム「雪が降った」
仙女「この嘘つきめ」
つぎの日、娘はエンドウ豆をまく。
仙女「今日のお天気は?」
オウム「あられが降った」
仙女「この嘘つきめ」

イタリアの類話
魔女は、しゃべる家具を見張りにつけている。
(娘の名前はヴェルミーリャ)

マカロニだって、いかにもイタリアですね。

つぎは、娘と若者が逃げていく場面をマルタ島の類話でみてみましょう。
娘は、塔から逃げるとき、魔法の糸玉を持ち出します。
魔女が追いかけてきたので、緑の糸玉を投げると、大きな菜園とそこで働いているお百姓が現れます。魔女はお百姓に話しかけます。↓

青い糸玉からは海が現れ、魔女はやっとのことで泳ぎ渡ります。
赤い糸玉からは火が現れ、魔女は死にます。
呪的逃走のモティーフですね。
悪は自分の得意な領域で克服される。

リュティさんは言います。
ラプンツェルの類話を全部眺め渡してみると、それらの話がなんと晴れやかな気分で語られていることか。また、なんと多くの滑稽な思い付きを生み出していることか。

グリムのラプンツェルは、ずいぶん雰囲気が異なりますね。

次回は、グリムのラプンツェルについて。