「昔話の本質と解釈」カテゴリーアーカイブ

いばら姫~恵みと脅し👸

『昔話の本質ーむかしむかしあるところに』(マックス・リュティ著)報告

第1章いばら姫ー昔話の意味と外形

昔話は、なんだ、おとぎばなしか!ってバカにされたり、わお、おとぎばなしみたい!ってほめられたり、評価が両極端です。
また、いわゆる教養のある大人は、昔話は子どものものって思ってるけど、すぐれた作家は昔話からインスピレーションを得て創作する。
そして、子どもって、昔話年齢(だいたい5歳~10歳くらい)のときは夢中になるけど、それを過ぎると、現実的な話を好むようになって、昔話なんて見向きもしなくなる。

受け入れ方にこういう両極端があるのことは、昔話の本質的な何かと関係があるんだと、リュティ氏はいいます。だから、しっかり考えていかなくてはならないと。

昔話が子どもの生活の中で演じている役割や、本のない時代に何千年ものあいだ演じてきた役割、それを考えると、昔話は、人間そのものにかかわる特別な文学だといいます。

そこで、「いばら姫」を読んで、昔話の根本的な特徴をいくつか取り出してみましょうというのが、この章の目的です。

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「いばら姫」のストーリーは知ってることとして進めますね。
おぼろ~って人は完訳で読んでね。

まずテーマ
おお~、最初から、でましたね!

グリム兄弟は、この話は「古い神話のかけら」で、「人生と世界に対する太古の直感的な見かたが、かわいらしい姿で残ったもの」と考えたそうです。

でね、いばら姫は、素晴らしい才能を授けられるのに、死のような眠りに落とされ、でも目覚めて新たな盛りを迎えて(王子との結婚ね)同時に周囲の世界も栄える・・・これは、死と復活を物語っていると、リュティ氏は言います。
それがテーマなんだ(*^▽^*)

冬、死んだように横たわっている大地も春になると若々しく美しい新たな命に目覚める。そして、盛りの夏~実りの秋~眠りの冬~と、永遠に繰り返される自然。
人間を取り巻く自然界のすがた、それがテーマ。

と同時に、いばら姫は15歳で眠りに落ちますね。つまり、この年頃の少年少女は、精神的な危機に遭遇する。そして、いばらの垣根を自分のまわりにめぐらして閉じこもる。経験ありませんか?ところが、時が来ると目覚めて、新たな生活を始める。
つまり、成長期の人間のすがたが、テーマ。

すごいね、自然界と人間がオーバーラップしてる。
人間も自然の一部だから。

昔話の人物には固有名詞がない。つまり、ある個人じゃなくて、だれにでも起こりうることで、時間も特定されてないから、一度きりとは限らない。
引用
この話は一人の娘が才能を恵まれ、脅かされ、麻痺し、救われるところを描いているばかりでなく、それをあらゆる人間に通ずる問題として描いている。
そして、こんな経験は、人生で何度も起こる。
で、結末なんだけど、実人生では失敗で終わることもあるけれど、昔話は、
死の眠りのあとには一層力強い新たな命がよみがえり、孤独の後には新たな形の接触や連帯がうまれる、という信頼で(聞く人の心を)満たす。

テーマ、はっきりしましたね。

そして、「いばら姫」には「恵みと脅し」が、形を変えて繰り返し出てくる。
*賢い女の贈り物=祝福と呪い。
*王の城=いばら姫を守る天国であり、牢獄でもある。
*100年の眠り=この世からの追放であり、保護でもある。
*いばらの垣根=人(他の王子)を殺すし、すばらしい花も咲かせる。
特に、いばらの垣根はあらゆるものにしみとおっている死と復活の両極性を一番はっきり表していると言います。

はい、今日はこれでおしまい。
次回は、「いばら姫」の含世界性についてです。

 

 

『昔話の本質 むかしむかしあるところに』📗

わたしたち、語りの森では昔話の語法について学んでいますね。
小澤俊夫先生のご本と、昔話大学での学びをもとに復習発展させてるんだけど、そのもとの理論は、スイスの口承文芸学者マックス・リュティ氏の説でしたね。
で、リュティ氏の著書の中に、『昔話の本質-むかしむかしあるところに』『昔話の考察-今でもやっぱり生きている』というのがあって、これは、理論だけではなく、個々の昔話を取り上げて、具体的に、昔話とは何かということが書かれているφ(* ̄0 ̄)

ステイホームしながら、この2冊を読み返したの。
いいことが書いてあるのよO(∩_∩)O
で、みなさんに報告したくなった(笑)
井戸端会議でぼちぼちまとめていきますね。

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【まえがき】

スイスのラジオ公共放送で、リュティ氏の昔話についての連続放送があった。それを元に、本にしてある。だから、専門書じゃなくて、一般向け。
お、わたしたちにぴったりね(*^▽^*)

引用
昔話は独特な世界文学です。
多くの昔話が世界の大半をめぐり、移り変わる時代を通り抜けてきています。
そういう話は何度となく異なった環境に適応して外形を変えてはいますが、構造、様式、モチーフなど、主要な点では元のままです。
この驚くべき不変性は、昔話が時を越え所を越えて人間の心に合致していることを示しています。

わたしたち、よく似た話が世界中にあるって、知ってますよね。それって、昔話は「人の心に合致している」から、なんだっていうこと。

昔話に出てくる人物には、人間は自分自身と外界に対してどんな態度をとることができるか、という重大な人間の可能性が反映しているといいます。

べたにいえば、生きる知恵を示してくれるってことね。

そして、昔話は、今では口から口へと伝えられることはないけれども、人気は衰えない。子どもにとっては心の糧だし、大人にとっては文学の原型だって書いてあります。

ところで。
「かしこい百姓娘」の類話に、こんな謎があるんだって。
「世界じゅうで一番速いものは何か」
答え、わかります?
この写真の後に載せとくね。

答え(^∀^●)
「考え。私たちはここにいても考えはアメリカに着いているから」
昔話には、思考と空想の自由がある。
なおかつ、一定の規則に従っている。
規則をはっきり理解することによって、単純ではあるが奥深い昔話の本質に迫る。
これが、この本の目指すところだそうです。
ふふふ。《昔話の語法》のページを、いちから読みたくなるね~

私の持っているのは、野村泫訳/福音館書店の2冊本。
いまは、『昔話の本質と解釈』として、一冊になっています。やはり野村泫訳/福音館書店。
読んで見てくださいね~(。・∀・)ノ゙