「昔話の本質と解釈」カテゴリーアーカイブ

昔話の解釈ー金の毛が三本ある悪魔8👿

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第3章「金の毛が三本ある悪魔」まだつづくよ~

昔話は高い芸術性をそなえているということでしたね。
きょうは、「金の毛が三本ある悪魔」の枠組みから考えます。
この話の枠をなしているのは、最初の福運の予言と最後の厳しい試練です。

まず、冒頭で主人公の誕生があります。この主人公は幸運の皮をかぶって生まれます。それで、占い師が「王さまの娘と結婚するだろう」と予言しますね。
ところが、予言とは裏腹に、主人公にはつらい苦しい運命が重なって、前半は、かかわった者みんなにとってわけのわからない結婚式で終わる。
後半は、主人公は積極的に課題を引き受けてやり遂げるんだけど、クライマックスの地獄での試練は、冒頭の予言に対する不気味な答えだとリュティさんはいいます。どきどきしますね。

このきちっとした枠組みは、無駄がありません。
文学的に節約することで、緊張感を高めます。

ところで、この話には、ふたつの民間信仰が入り込んでいます。

ひとつは、「幸運の皮をかぶって生まれる」
生まれるとき胎膜の一部をつけたまま出てくる子には、特別な人生が割り当てられている、幸福と富があらかじめ約束されているというのです。
なるほど。

ふたつめは、「髪の毛は力のありかである」
悪魔は髪の毛を三本奪われると力を失って、その力は、新たな毛の所有者に移るんだって。悪魔の知識も、毛を手に入れた者のものになる。その知識っていうのは、悪魔は生命の働きを助けないように気を付けていたんだけど、新たな所有者は、人を助けることに使うんですね。
髪の毛が力のありかだっていうのは、『旧約聖書(またです~!)士師記、16』のサムソンの物語のなかにある。
大力のサムソンから、愛人のデリラが力のありかを聞きでして、髪の毛を7房切り取るんです。で、サムソンは力を失ってとらわれてしまう。

ただし、リュティさんは、このような信仰は、昔話の中では本来の重さを失っているといいます。ストーリー展開のなかでのひとつのモティーフになってしまっているのです。
だから、サムソンの話を知らなくても、「金の毛が三本ある悪魔」は十分に理解できるし楽しめる。

リュティさんは、『ヨーロッパの昔話』の中で次のように言っています。
あらゆるモティーフは、世俗的なものであろうと奇跡的なものであろうと、昔話のなかにとりいれられ、昔話によって昔話的に形成され、昔話流にとりあつかわれると、たちまちにして『昔話モティーフ』となる
これを、純化作用といいます。こちら⇒《昔話の語法》

で、サムソンの物語を知らなくても、この毛を抜く場面おもしろいですよね。
髪の毛に力が隠れているって知らなくても、地下の世界の暗闇の中に神秘的な宝物が光り輝いており、主人公はそれを地下の世界から奪い取ることに成功するのですから。

はい、おしまい。
次回は、類話を少し見ますね。

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きのうは、おはなし入門講座の最終回でした。
ききみみずきんさん、お疲れさまでしたあ。
6人の語り手が生まれた (∩^o^)⊃━☆
みんな続けて勉強会に来てほしいなあ。
また、ここで報告があるのでお楽しみにお待ちください。

 

 

昔話の解釈ー金の毛が三本ある悪魔7👿

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第3章「金の毛が三本ある悪魔」

ここで、リュティさんは、昔話の芸術性について論じます。
昔話には、文学的な節約があるというのです。

それって、なに??

よい類話では、悪魔の三本の金髪を抜くことと、質問を出すことが、巧みに結び合わされている。つまり、三つの質問が三本の毛を抜く理由づけになっています。
両者が無関係に並んでいるのではないということです。
グリムでは、悪魔のおばあさんが、金の毛を抜いて、「夢を見たんだよ」と理由を言いますね。その夢の内容が、若者の課題の内容そのものになっているということです。
ね、無駄がないでしょ。節約です。

さらに。眠りのモティーフについてです。

前半では、若者がぐっすり寝ています。
後半では、悪魔が寝ていて、若者は目を覚まして耳をすましています。
対をなしていますね。
前半は若者が疲れて寝るし、後半は悪魔が疲れて寝ます。

前半は、若者が眠っているあいだに強盗の親切を受けます。
後半は、悪魔は、たたき起こされて、金髪まで抜き取られます。
これも対になっていますね。

おばあさん(女性の援助者)は、立て続けに3回夢を見ます。
夢の内容は、若者が旅の途中(現実)で出会った依頼の内容の正確な繰り返しです。
これも夢のモティーフの変形です。

無駄がありません。節約です。

前半で、若者は3度救われますね。川から、強盗の手から、王さまの手から。
後半では、3度助けをもたらします。
前半では、若者は3度おびやかされ、後半では3度救い主になるのです。

ね、きれいでしょ。
もちろん、実際の口伝えのすべてがこんなふうではないけれど、よい語り手の良いテキストは、こんな美しさがある。
この美しさは、小説のもつ(求める)美しさではなくで、昔話の美しさなんですね。
よい類話は、芸術性が高い、ということです。
その意味で、グリム童話は芸術性が高いなあと愚考します。
だから、世界じゅうで読まれ、受け入れられているんでしょうね。

はい、おしまい。

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きのうは、おはなしひろば更新しましたよ。
ロシアの笑い話「ふくろからふたり出てこい」
おじいさんは、おばあさんを愛してるんですね。
おばあさんも、やっぱりおじいさんを愛しているんです。

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きのうは、昔話の語法勉強会でした。
蜜を避けて感染防止対策をしての勉強会。
ご参加くださったみなさま、おつかれさまでした。
今年度は、さらにオンラインでもやりますね。
《お問合せ・リンク集》からどうぞ(❁´◡`❁)

 

昔話の解釈ー金の毛が三本ある悪魔6👿

ゆうがた、ウォーキングの帰り道、ふと、冷たいものが顔にかかった。
土の上に、白いものがおちて、消えた。
初雪!

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マックスリュティ『昔話の解釈』をよむ

第3章「金の毛が三本ある悪魔」つづき

前回は、後半で主人公を助ける悪魔のおばあさんの話が出てきましたね。
今回は、主人公自身のことです。

前半では、王さまに川に流されたり、盗賊の家に迷い込んだりと、おどしと救いの連続でした。(インドの類話では、このおどしと救いのモティーフがもっともっと続いているそうです。)
そして、それらの救いは若者自身が知らないうちにもたらされています。
それに対して、後半では、地獄へ行く途中で人に出会って、重大な問題の答えを悪魔からきいてきてほしいとたのまれます。若者は、自分自身の道を行くことによって、同時にほかの人に助けをもたらすことができるのです。
確かに命令されて出かけはするのですが、前半よりはるかに能動的で、目的を意識して行動していますね。

つまり、はじめ全てを運命にゆだねている主人公は、成熟して、他の人に救いをもたらすことができるようになっているのです。

地獄への旅路で出会った人たちは、どうして井戸が干上がったのか、どうして金のりんごがならなくなったのか、どうしていつまでも渡し守でいなくてはならないのかと聞きます。
類話によっていろいろあります。日本の「仙人の教え」では、どうして長者の娘の病気が治らないのか、どうしてみかんの木に実がならないのか、大蛇がどうしていつまでも天にのぼれないのかとききます。
どれも、治療や解放を求めています。
そして、若者は、地獄での冒険を経て、彼らに解決をあたえます。

次回は、地獄での冒険の意味です。
金の毛を抜くとき、ハラハラドキドキなんだけど、同時にめっちゃユーモラスなんですね。語るのも楽しいし、子どもたちが喜ぶ場面です。

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きょう、勉強会でね。ちょっと弱気な発言してしまった。
みんなはとっても熱心なのに、水差したかなあ。
わたし、新しい日常に慣れちゃったので、いま快適なのよ。このまま隠居って考えにひかれてるの。ひょっとしたら、わたし、もともと怠け者なのかもしれんな。
けど、さださんがいうてはる。
(^^♪ 休み疲れたら、また走りたくなる(^^♪
そうかもしれんし、そうでないかもしれん。
まあいまは「金の毛~」の前半の主人公のように生きようか。

 

昔話の解釈ー金の毛が三本ある悪魔5👿

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第3章「金の毛が三本ある悪魔」まだつづく(^∀^●)ノシ

ウリヤの手紙の暗い陰謀が転化されて、お姫さまと結婚した主人公。王さまが黙っているはずがない。
後半戦に突入です。
この話、前後に分かれていて長いけれど、子どもたちはこの切れ目のところで決してダレたりしません。むしろ、いよいよこれからが佳境に入ることを期待して、楽しんで聞きます。

では、後半です。

王さまは、若者に、地獄へ行って悪魔の金髪を三本取ってこいと命じます。そうすれば姫との結婚を認めるって。
主人公はもう一度死の暗闇に送られるんですね。でも、悪魔には金の毛がある。
暗闇には光り輝く宝物が隠されているんです。
前回、苦悩や死との隣りあわせは高度な生への通路って言葉がありましたよね。それがこんなところにも響いているのです。

後半の主人公は、前半に比べて積極的です。
「はい、必ず取ってきます」と、自信を持って出かけて行きます。
類話によっては、途中で援助者に会って、
「これ以上先へは行くな。帰ってきた者はひとりもいない」と、さとされるんだけど、若者は冒険を求めて進みます。

地獄では、悪魔のおばあさんに助けてもらって、目的を達成します。

悪魔は、類話によって、巨人だったり、巨大な鳥、グライフ鳥、フェニクス鳥だったりします。
その怪物は、「人くさいぞ、人くさいぞ」という名高い決まり文句をわめきちらします。
すると、おばあさんは、悪魔を言いくるめて、人間がいることをごまかしてしまう。ちゃんと前もって隠してあるんですね。
悪魔のおばあさんは、怪物の妻だったり、さらわれた娘だったり。

このモティーフって、かしこいモリーとかジャックと豆の木とか、心臓がからだの中にない巨人とか、めっちゃあちこちにありますね(*^-゜)v

こんなふうに、彼岸の存在と一緒に暮らしている女性が、主人公の若者に好意を抱いて手を貸すっていうのは、他の話型でもいくらでもあるのです。これを、リュティさんは、人間はよるべなく悪にゆだねられるものではない、という信頼のあらわれだといいます。

強いアキレスには弱いけんがあり、不死身のジークフリートには肩甲骨のあいだに弱いところがあり、弁慶には泣き所があるように、悪にも、その内部にちょうつがいのはずれるところがある、それは女性の裏切りだ。おっほっほ§(* ̄▽ ̄*)§

ところで、悪魔のおばあさんには先輩がいます。
森の盗賊の家のおばあさんです。
わたしはこの場面、現世でもあの世でも同じことが起こるんやなあ、おもしろいなあと思って語っています。

はい、おしまい。

次回は後半の積極的な主人公についての説明です。

 

昔話の解釈ー金の毛が三本ある悪魔4👿

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第3章「金の毛が三本ある悪魔」つづきだよ~

殺したつもりが元気に生きていた主人公。倒錯。
この倒錯が、ウリヤの手紙に始まるモティーフに明らかに見られます。

「ウリヤの手紙」のもとになった旧約聖書の文章(サムエル記下第11章)では、手紙を届けたウリヤは本当に殺されてしまいます。
けれども、「三本の金髪をもった悪魔」の主人公は、生き延びますね。
それは、こんな具合になっています。

男の子は、森で道に迷い、強盗の家に行きつきます。
おばあさんがひとりいて、「ここにいたら殺されるよ」といいます。
ほら、また、死の危険です。
それでも男の子は疲れて眠ってしまう。そこへ強盗どもが帰ってくる。
強盗は、手紙を盗み読みするんだけど、「この若者を殺せ」と書いてあるのを見て、「この若者と姫を結婚させよ」と書きかえてしまう。正反対に書きかえるんです。
内なる法則が事物を反対物に転化させるかのようだとリュティさんはいいます。内なる法則、昔話につらぬいている法則ですね。
男の子がほかの人間によって無慈悲におびやかされているのを見るからこそ、強盗に反抗の精神がめざめるのである。
なるほどね、強盗の反抗心なんだ。これ、気づいているのといないのとでは、語りかたが変わるよね。

森の中の強盗に助けられるって、「白雪姫」の類話でもあったよね。追放された白雪姫が行きついたのは、七人の小人の家だったり、強盗の家だったり。人食いの小人の家だったりしたよね。あれとおんなじ。

ここで、リュティさんは、シェークスピアの「ハムレット」を引き合いに出します。
ハムレットは自分の破滅を書いてある手紙を、自分で書きかえます。従者が、「ハムレットを殺せ」と書いた手紙を持っていたんだけど、ハムレットは、それを、「従者を殺せ、そして、ハムレットを姫と結婚させよ」と書きかえるのです。
これって、「金の毛が三本ある悪魔」の主人公が寝ているあいだに書きかえられているのとは、ずいぶん意味が違ってきますね。ハムレットのように自分で手を下すのではなくて、知らないうちに救いがもたらされるのです。
それが重要(っ´Ι`)っ

主人公は道に迷ったからこそ、正しい援助者を見出す。と、リュティさんは言います。そして強盗の血に飢えた心と王さまの殺人のたくらみという、二重の危険を逃れる。

このふたつはピタッと組み合わさってるのです。
王さまの殺人のたくらみが主人公を強盗から守るでしょ。で、主人公は、人殺しの強盗の手に落ちたがために、王さまの殺人計画が水泡に帰すのです。
まるで、知恵の輪みたいにがちっと組み合わさってる。

王さまの書いた殺人の手紙(悪)が、強盗の心を和らげる(善)。
王さまの殺人の命令(悪)が、お姫さまとの結婚の命令(善)に変わる。
「白雪姫」のテーマ倒錯と同じ。

苦悩や死との隣りあわせは高度な生への通路なのである。危険、暗やみ、害悪の役目は人間を光へ押し上げることである、と昔話は信じている。

ううう、なんか、泣きそうや。
コロナではっきりしたけれど、わたしらみんな死と隣り合わせに生きてる運命共同体なんや。
こんな時代、もっとひどい時代を生きてきた昔の人は、今の私らに、こんなメッセージを残してくれたんやね。
うん。ちゃんと生きようね。
そして、次に伝えよう。