昔話の主人公4👱‍♀️👱‍♂️

ここ京都府南部もようやく朝夕過ごしやすくなってきました。
昨日はクーラーなしで過ごせたよ。

もう早朝の蝉の声も聞こえない。
夕ぐれのツクツクホーシが人恋しい。

ほんと、今年の夏は、コロナと酷暑のダブルストレスで、まいった。

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マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第9章昔話の主人公ー昔話の描く人間像 つづき

伝説と昔話は、数百年間、肩を並べて民衆の間に生きてきました。
両者は、互いに補い合っています。

伝説は、「人間とは何か」「世界とは何か」という不安な問いかけをします。人間は、不気味な解き難い世界、人間を死でおびやかす世界と向き合っているという認識です。(これが事実かもしれないとヤンは思う)
昔話は、伝説の問いかけに、ある種の答えを示します。主人公は、危険な見知らぬ世界を安全に導かれて行きます。(希望、勇気を与えてくれる(*^▽^*))

昔話の主人公に関して、リュティさんは、天の恵みを与えられた者だと言います。

☆彼岸の存在の贈り物が主人公に集まってきて、危機を乗り切るのを助ける!
なぜなのか、理由は簡単。主人公だからです。ただそれだけ。
主人公には怠け者もいるでしょ。彼には「どんな願いでも口に出すだけでかなえられる」という贈り物が与えられるのよ。
どうしてそんな恩恵が与えられるかっていうと、主人公だからなんですよ。

☆主人公は、まさに適切なことをする。正しいキーを押す。
天の恵みですね。理由は、主人公だからです。
お姫さまは蛙が嫌でたまらない。逃げて逃げて、最後は壁にたたきつける。すると蛙は救われて王子となる。ええ~、知らんかった(王女いわく)。
どうしてそんな恩恵が与えられるかっていうと、主人公だからなんですよ。

天の恵みを与えられていない者も昔話には出てきますね。たいていは、となりのじいさんだったり、主人公の兄弟姉妹だったり。その人たちは、いじわるだったり、嫉妬深かったり冷酷だったりします。
でも、聞き手たちは、必ず主人公と自分を同一視します。
前回、主人公は孤立していることを書きましたね。
ひとりで世界中を旅し、ひとりだからこそ本質的な問題と自由にかかわり合うことができる主人公。
そんな主人公と、自分を重ねて聞いているのです。

さてさて。

人間は、人間が作った秩序の中に暮らしています。国とか町とか家族とか。
外面的には共同体の仲間なんだけど、内面では全体の見通せない不可解な威嚇的な世界に投げ捨てられた存在だと感じる。(これって、今のコロナ禍の状況とそっくりだと思わない?自殺とか、鬱なんかも。)
そんな人間を描くのが伝説です。

じゃあ、その答えとしての昔話はどうか?

人間は孤立しているけれども、じつはあらゆるものと結ばれることができるんだ。
この洞察こそが、何百年の間、昔話が聞き手たちに力と信頼を贈ってきたとリュティさんはいいます。聞き手は、この洞察に内面的な真実を感じてきたのです。

引用
人間は世界へ投げ出された者、放棄された者、闇の中を手探りで進む者と思われるとしても、やはり人間は、一生の間、手元に流れ寄ってくる無数の援助を受けて一段また一段と進み、安全に導かれて行くのではなかろうか。

ちょっと感動。

でね、現代は量(マス)がものをいう時代だけれども、いろんな不公平や不安がある不条理の時代だけれど、この時代に、子どもたちがそういう人間像を、昔話から贈られ心の奥に取り入れることが大切。

はい、ここまで。

結局、昔話って、夢?希望?
でも夢や希望がなくてどうやって生きていけるだろうと、思うのです。

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コロナのワクチンまだできそうにないですねえ。
今までの感染症のワクチンは、最速で4年かかったって、新聞に書いてあった。
う~ん。
ワクチンできるまで、寿命が続くかなあ。
豪華客船で世界一周したいのに・・・

昔話の主人公3👱‍♀️👱‍♂️

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第9章昔話の主人公-昔話の描く人間像 つづき

昔話に描かれるもうひとつの人間像。
主人公は本来旅人である。

なんか、かっこいいですね~

伝説では、事件は故郷の村やその周辺で起きる。でも、昔話は、主人公を広い世界へ送り出す。といいます。なるほど。

まず旅立ちの理由。
親が貧しくて家に置けない。
仕事や競争で、むりやり。
単純に、冒険しよ~
悪者や動物にさらわれる。
さまざま(笑)まあ、何でもいいわけです。
大事なのは、主人公はたいして考え込まないで、さっさと出かけるということです。太陽の東、月の西、海底、地下、世界のはて・・・とにかく遠くまで行くんだけど、深く考えないでいくものだから、印象がとても軽やかで自由です。気持ちをのびのびとさせます。

他に旅の特徴としては、こんなことが書かれています。
主人公は、たいてい一人で旅します。兄弟二人で出かけるときでも、十字路で別れます。孤立しているんですね。
故郷に帰ってこないことが多い。故郷から孤立している。伝説が故郷に密着しているのに対して、昔話の主人公は、新たなレベルに向かって成長するのですね。
目的のある旅でも、どうやって成し遂げたらいいのか知らないまま歩いていく。それでも、彼岸者と出会って道が開ける。

途中で出会う彼岸者との関係について、リュティさんはこう言います。
昔話の主人公は孤立した人間として異郷へ出かけ、そこで決定的な出会いを持つ。
その出会い、つまり人を助ける動物や彼岸の存在も、主人公と同じように孤立しています。孤立した者同士だから結合が可能なんですね。(普遍的結合の可能性 こちら⇒
具体的には、主人公は、
彼岸の存在に驚かない(一次元性こちら⇒)。狐が人間の言葉で話しかけてもびっくりしませんね。
贈り物を当然のようにもらう。
危機一髪のところで贈り物を使い、その後はもう思い出しもしない。
援助者の素性に興味がない。
彼岸の不思議な力についてあれこれと思い煩わない。

はい、ここまで。
次回は伝説と比較しての昔話の描く人間像の説明です。

 

 

昔話の主人公2👱‍♀️👱‍♂️

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第9章昔話の主人公ー昔話の描く人間像つづき

昔話は人間像を描き、それがどんな人間像なのか理解したうえで、子どもに語る必要がある、というのが前回のお話。
では、昔話にはどんな人間が主人公として登場するでしょう。

陽気で向こう見ずな男、じっとこらえる女、怠け者、狡猾で抜け目のない者、正直で開けっ放しな者、悪賢い者、何があってもびくともしない者、愚か者、やさしい親切な者、無慈悲で信用のおけない者、困難に出会うたびに座り込んで泣き出す者。
王女もいれば灰かぶりもいる。王子もいれば豚飼いもいる。
あまりにも多種多様。昔話は多様性の世界ですね( •̀ ω •́ )✧

さてここから人間像をどうやってとりだすことができるでしょう。

リュティさんによると、じつは、この人間たちは象徴に過ぎないというのです。
こういう人間たちがストーリーを紡ぐ。たとえば、一文無しが金持ちになる、女中が王妃になる、できものだらけの頭をした男が金髪の若者になる、ヒキガエルやクマや猿や犬が美しい娘や輝くばかりの若者に変わる。
それらは、人間を非本来的な在り方から本来的な在り方へ救い出すことを象徴しているというのです。

このストーリーを聞くとき、聞き手は、人間は変化することができるのだということを感じ取る。

「主人公は竜をやっつけて王女と結婚して王さまになりました」と語るとき、語り手も聞き手も、外面的な出来事だけを追っているのではありません。ストーリーに象徴されるものを感じ取っています。
人間は誰でも内なる王国を持っています。こうありたいという目標となるイメージです。王さまになるということは、それを実現することです。
王になるということは、全き自己の実現を象徴するものであるとリュティさんは言います。

だから、本格的な昔話を聞き終わったときの子どもの目が輝いているんだ。
言葉にするのは難しい「こうありたい」自分が、たくさんの課題や困難を乗り越えて目的に達する。大人だって嬉しいのに、子どもはどんなに幸せだろう。
たった20分や30分の話の中で、なんて充実した心の旅路なんだろう。
いままで、語り手として、わが子やたくさんの子どもたちと昔話を共有できたこと、幸せに思います。

みんな、がんばろうね(*^▽^*)

おっとっと。戻ります。

昔話では、王冠とか美しい衣装とかは、心の中で遂げられた高い完成からほとばしる光輝を、目に見える物で表したものなのです。それが昔話の表現方法。
「ホレばあさん」の娘が浴びる金は、娘の美しい魂の象徴。
娘が髪をとかすとダイヤモンドがこぼれるのも、象徴。
そんなん非科学的やということ自体が、昔話ではナンセンスなのです。

そう考えたとき、昔話が表す人間像が見えてきます。

引用
人間は自己を超えて成長しうる存在であり、最高のものへ至る芽をうちに孕(はら)み、その最高のものに到達することすらある存在である、というのが昔話に描かれている人間像である。

子どもは、そんなこと、頭では理解していないけれど、心では感じ取っているって。うん。賛成!
でね、美は心で感じる方が頭で理解するよりずっと大事なのだってo(*^@^*)o

はい、ここまで。
次回はもうひとつの人間像について。

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大きな台風、みなさまの被害が最小で済んでいればいいのですが・・・

昨日はホームページ更新の日。
《外国の昔話》と、ひさしぶりに《昔話雑学》を更新しました♪(´▽`)

 

 

昔話の主人公👱‍♀️👱‍♂️

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第9章昔話の主人公ー昔話の描く人間像

『昔話の本質』で取り上げてきた昔話、主人公は圧倒的に女性が多いのね。
いばら姫、お菓子で夫を作ったお姫さま、地の雌牛の女の子、ラプンツェル、謎解き姫、賢い百姓娘。ね?
リュティさんは、どうして女性が多いんだろうと考えこんではります(笑)

昔話全体を通じても、有名な主人公はほとんど女ではないかって。
いばら姫、灰かぶり、白雪姫、赤ずきん、ラプンツェル、千枚皮、ホレばあさん。
「ヘンゼルとグレーテル」「兄と妹」にしても、主役は女の子だって。
何とか思いつくのは「鉄のハンス」「親指太郎」。「勇ましい仕立て屋」「幸せハンス」なんかは笑い話だし。

でも、「金の鳥」「三本の金髪をもった悪魔」「三枚の鳥の羽」「命の水」「ハンスはりねずみぼうや」はどうだい?
ぱっと思いつく限りでも男いるよ、リュティさん~

ま、私の愚考はおいといてφ(* ̄0 ̄)

女の主人公が多い理由をリュティさんはこう考えています。
〇例えば代表的なグリム童話で、グリム兄弟に昔話を伝えたのはおおむね女性だった。今、子どもたちは主として母親、祖母、幼稚園や小学校の先生(女性が多い)を通じて昔話を聞く。つまり、語り手が圧倒的に女性が多いから。子どもにとっても、幼いころは母親や女性的なものを身近に感じる。
〇世界は男性によって規定されている。男性によって作り出された、世界を支配する技術や経済と均衡を取るために、より自然に近い女性が重要な役割を果たしている。

ううむ。そうかなあ(´・ω・`)?
たしかに今身近なところでは男性の語り手は少ないけど。日本の場合、伝承の語り手には男の人たくさんいたよねえ。
第一、日本の昔話だったら、男の主人公のほうが多いような気がする。
桃太郎、一寸法師、力太郎、浦島太郎。
それに、おじいさんのほうがおばあさんより多いよ?

ま、私の愚考はおいといてφ(* ̄0 ̄)

リュティさんも、時代によって差があると認めています。
時代や民族によるんでしょうね。
おもしろい課題です。

ただ、ひとつだけはっきりしているのは、昔話の中心には人間がいるっていうこと。動物昔話は別にしてね。

昔話は人間像を描く。
人間を世界との出会いにおいて示す。

うん、たしかに。
だから、子どもがどんな人間像を昔話から受け取っているかということをかんがえなくっちゃ

は~い。今日はここまでですよ~

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台風10号が日本に接近しています。
備えを十分に!!!

 

 

 

ナズナもアリも・・・🌼🐜

暑いけど、コロナ期間、時間はあるので、気になっていた本を少し読んでる。

中村桂子さんの『中村桂子ナズナもアリも人間も』
平凡社の語りおろし自伝シリーズで、のこす言葉ブックレット。2018年発行。

中村桂子さんといえば、福音館書店から『いのちのひろがり』という絵本が出てて、4年生以上で科学関係のブックトークの時に使います。まだ最近の本ですが。松岡達英絵。

そうです。バリバリの理系のかたです。生命誌の研究をされています。1936年生まれ。
日常の生活をてらいなく丁寧にしかも軽やかに過ごしてられる様子が、めっちゃかっこいい。

いま、人と人が接触するのを避け、体温を感じない関係が普通になっていきそうな気配に、とっても不安を感じてるのね。
このままではいけない。
でも、おはなしおばちゃんとして、何ができるだろうって。

この本はコロナ禍より前に出されているんだけど、こんなことが書いてあった。
現代社会は、AIに振り回されて、人間が自分で考えることを止める恐い世界に入りつつある。この方向に行ったら、人間はおしまい。機械にふり回されず幸せに生きる道を自分たちでさがそうって。
勇気が出た。

中村さんが設立に関わった生命誌研究館(ー科学のコンサートホール)っていうところが大阪府高槻市にあるんだって。
落ち着いたら行ってみたいな。
ホームページだけでも面白いから、見てね。
こちら⇒