はじまりのひとしずく

 5月4日土曜日の図書館おはなし会の報告です。連休ど真ん中の超晴天ということで、図書館に入ったとたん、「しーん」。あぁやっぱり……。でも長いお休みの時は、意外なことが起きたりします。子どもの時に「おはなしの部屋」に通ってくれていた子がお母さんになって、自分の子どもと来てくれたり!ということもありました。子どもさんには新しいカードを作り、お母さんには子ども時代の時のカードに(ちゃんととってあるんです)シールを張ってもらって……。これって、すごいことですよね!カードを探しなら感動していました。
 今日はおはなし会目指して集まってくれた3家庭7人ではじまりました~

子ども 3人 おとな4人

手あそび ちいちゃんぱあちゃん
おはなし 「カメの笛」『ブラジルのむかしばなし』カメの笛の会 編/東京子ども図書館
絵本 『びくびくビリー』アンソニー・ブラウン/灰島かり 訳/評論社
絵本 『しんかんせんでゴー』視覚デザイン研究所 作/くにすえ たくし 絵/視覚デザイン研究所
絵本 『ぼんやりしてたら』五味太郎/ポプラ社
絵本 『おやさいめしあがれ』視覚デザイン研究所 編/高原美和 絵/視覚デザイン研究所
絵本 『いいないいな』かたやまけん/福音館書店
手あそび さよならあんころもち

 子どもさん3人は年中、年長くらいの幼児と、3年生くらいの女の子。おはなし会が進むにつれて、絵本の前にがぶりつきの幼児と顔色を変えない3年生の反応の差が、見ていてほほえましい😊
 実は来てくれた子どもさんの一人はヤンさんのお孫さん。子どもさん一家が帰省中におはなし会に来てくれました。おはなしはきっとヤンさんの人生そのものと言ってもいいと思うのですが、そのおはなしに費やした時間、経験、知識、感動の源がここにあるんだと思うともうしみじみとしてしまって😢カメの歌がまたいい声で心にしみました😊
 自分のもとに生まれてきてくれた子どものために、自分が何かできることはないかと思い続けていた子育て期に出会ったおはなしの世界。ヤンさんがいてくれたことに深く感謝。静寂の中時間が止まったような30分のおはなし会でした。でも、帰る時には図書館にもう人がいっぱいで、たぶんほんとに時間が止まっていたんだと思います。

よく笑う女の子

 ゴールデンウイークの4連休の、今日は1日目、みなさまいかがお過ごしですか⁉ 
ちょっと遅くなってしまいましが、4月27日土曜日の図書館おはなし会の報告です!
 担当はジミーさんでした😊  

こども11人  おとな9人

手あそび ちいちゃんぱあちゃん
おはなし 「かきねの戸」『語りの森昔話集1』/村上郁 再話/語りの森
絵本 『ぼくのともだちは、あたまにはながさいている』ジャーヴィス/万木森 玲 訳/岩崎書店
絵本 『のせてくださいな』みやけゆま/BL出版
絵本 『もうちょっと もうちょっと』きむらゆういち 文/高畠純 絵/福音館書店
絵本 『どうぶつしりとりえほん』薮内正幸/岩崎書店
手あそび さよならあんころもち

 三連休の初日ということもあり、どうかなーと思っていましたが、まずまずの賑わい😊
「いつものおばぁちゃんは?」と聞く子もいましたが、「また来週おはなししてくれるよ。今日はあのおばちゃんだよ」など、常連さんが来てくれて、和気あいあいはじまりました。ジミーさんの冒頭の「かきねって、わかる?」の投げかけが、「かきねの戸って、わかる?」だったのか?と思えるほどの、完璧なあらすじを答えてくれる常連さん。年長さんくらいの女の子がけらけらとよく笑ってくれるので、その笑い声を聞いているとこっちまで楽しくなって、笑い話ってほんといいなあと思いました。小学生の女の子も2人で来てくれていて、初めて聞くのでしょうか、くすくす笑ったり、驚いたりと楽しそうにしていました。ジミーさんワールドのステキなおはなし会でした😊
 

 

今日は何の日?📚

はい、憲法記念日~

祝祭日が続くと、今日は何で休みやったかなあってわからなくなる(笑)
小学生くらいのときは、学校で先生から教わってたけどね。
「明日は憲法記念日でお休みですよ」とか、「お彼岸ですよ」とか。
学校では今もそうなのかな?
みなさんどうでした?

で、日本国憲法が作られた(発布された)のが11月3日の文化の日で、実際に行われ始めた(施行された)のが5月3日の憲法の日、って先生が説明してくださった。
小学校低学年でも、それを知ってなんだか自分が偉くなったような気持がしてたな。しかもその気持ちは毎年更新されたし。

でも、この歳になったら、もうそんな新鮮味はない(笑)
そのかわり、ああ、長いことこれのおかげで暮らしてこられたなあって、感慨深い。
改めて全文を読むと、人間っていいなあ、こんないいこと考えられるんやなあって、感動する。

憲法で言っているとおりに世の中が動いているわけではないけれど。
むしろ、なんで、ちゃんとやってくれへんのやって、腹が立ったりするけれど。
それでも、こんないいことをちゃんと書いて頭にのっけている国に住んでることは誇り。

このところ、地球のあちこちの戦争の情報が私の日常にバンバン入ってくるので、改めて第九条を声に出して読みます。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

これのおかげで、わたしは戦争で傷ついたり死んだりしなかったし、夫や子どもたちを戦場に送らなくてすんでいます。
ありがたいことです。
え?「わたし」さえよかったらいいのかって?
そう、世界じゅうのすべての「わたし」が戦争の禍から逃れられればいいのです。

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きょうのおはなしひろばは「むかでとなめくじ」
めっちゃ短い笑い話です。

 

 

朗読と音楽と語り

今日の新聞に、詩人の谷川俊太郎さんの言葉が載ってたんだけどね。

詩の朗読は音楽の演奏と同じで、場の雰囲気とかが自然に読み方を決めていくって。
ハチャメチャでもいいって感じで読んだほうが、言葉が生き生きするんだって。

それで思い出すのは、ずいぶん前に谷川さんと元永定正さんの講演会があってね。
講演会といっても壇上で難しく話すスタイルではなくて、お二人を囲んで座談会風の講演だったの。
そこで、お二人がコラボされた絵本を何冊か、谷川さんが読まれたのですが、リズムありメロディーありで、とっても楽しかった。
私も子どもたちに読んだことのある本だったし、ほかの人が読んでいるのを聞いたこともあったんだけど、そのどれとも違う。
それで、ちょっと衝撃だった。あ、こんなふうに読むんだって。私、間違ってたかなって。
そしたら、そのとき、谷川さんが、みなさん、好きなように読んでくださいっておっしゃった。
何の決まりもないし、どんなふうに読んでほしいとも思っていないって。

それがまた衝撃だった(笑)

でも、それ以来、詩の絵本とか、ナンセンス絵本とか、今まで苦手だったジャンルの本を子どもたちと楽しんで読めるようになったのよ。

絵本の言葉を読み手の感性でうけとめたらいいんやね。
それを子どもたちに「どう?」ってさしだして、子どもたちが「こう」「そう」って答えてくれるから、じゃあ、「こう」って、読んでいったらいい。って感じ。

それは、物語絵本にも通用すると思う。

そして、それは、ストーリーテリング、語りそのものでもないかな。
作者のさしだす言葉の力を信じて、自分の読みこむ力をつけていきたいなと思った雨の朝でした
(❁´◡`❁)

 

時間の贈り物🎁 またはメモ2

ゴールデンウィークの中休み(って言うか?)
ちょっと雨が降って、落ち着きます。
といっても、毎日がゴールデンウィークのヤンには、あんまり生活に影響ないんですが。
それでも暇なので、ちょっと真面目に考えたこと、書きますね。

おはなしを語ることは、時間を贈ることだと、以前にここで書いたの、覚えてますか?
忘れた人はこちら⇒時間の贈り物

さてさて。
ヤンはおはなし会のとき(=講師じゃないとき)はメモを取りません。
家に帰ってから、日記に、思い出しながらプログラムを書きます。
でね、ときどき、思い出せない話があるの。

これかなりシビアな話題なんだけど・・・書いていいかな???

たしか、もう1話あったんだけどなあ。
わたし居眠ってたんかなあ。

一生けんめい、参加者の顔を思い浮かべます。
そこでやっと、あ、〇〇さんが語ってはった!って思いだす。

何の話を語らはったかなあ。
やはり思い出せない。
その人が語ってる姿ははっきり覚えてるんだけど、話を思い出せない。

なぜか?

〇〇さんが語っているとき、わたしにその世界が見えてなかったからに違いない。
知っている話だと(この歳になるともうたいていの話は知っています)、あ、あれね、と思って聞きはじめはするんだけど、その世界にいざなってもらえない。語り手がテキストをなぞっているだけなので、語り手の心とわたしの心が共振しないのです。
これって、語りとは言えないです。
おぼえたテキストを右から左へと口に出してるだけだから、世界が見えない。
これで子どもに「聞け!」といっても聞けるはずがない。苦行です(笑)
子どもはえらい迷惑や。いやいや、おはなし嫌いになったら罪悪や。

きついこと言ってごめん。
でも、これ、ほんとのことで、自戒を込めて言ってるのです。

でね、たとえ仲間うちのおはなし会でも、たとえ勉強会でも、目の前に仲間=聞き手がいる限りは、語るということは贈るということです。
じゅうぶんに時間をかけてつくりあげたおはなしを、贈りあいたいんです。
それでこそ、語る意義がある。
語るということは相手がいるということです。
その相手に失礼にならないように、また、自分が恥ずかしくないように、ちゃんと時間をかけたものを手渡したいです。
上手じゃなくても、とちゅうで間違えても、それが贈り物かどうかは、聞く人が聞けばわかります。特に子どもは敏感ですよ。

え?
ヤンが思い出せないのは、歳のせいやって?
そうかもね~
というか、わたしの集中力の問題かも。

おまけ。
ヤンはいつのころからか、講演を聞いているときでも、よほどのとき(引用の書籍名とか)でなければ、メモを取らないでじっと講師の眼を見ています。
よいものを吸収するためにめっちゃ集中しています。
後ほど思い返して思い出せないようなことは、(今の)自分に必要ないことやからです。
この方法は、小澤俊夫先生から学びました。