「この世の光」の訂正版アップしました。
昔話は、「むかし、あるところに」と語り始めますね。「むかし、あったずも
な」とか、「あったてんがな。あっとこに」とか、ちょっとおまじないみ たい
な言葉で。
これを「発端句」といいます。
むかし……いつの時代のことかし〜らない。
あるところに……何県の何地方のことかし〜らない。
おじいさんがいました……名前はし〜らない。顔も見たことな〜い。
つまり、発端句っていうのは、これからお話するのは、実際にあったことではな
くて、架空の話ですよ、というしるしです。
ウソ話なんですよ、ファンタジーですよ、本当にあったなんて思ってはいけませ
んよって。
そして、お話の最後は、よく、「とっぴんぱらりのぷう」とか「こんでいちごさ
けた」とか、またおまじないみたいな言葉でしめくくられます。
これを「結末句」といいます。
これで、ウソ話はおしまい、というしるし。
発端句と結末句は、その話を伝えた土地や語り手独特の言葉です。
かつては、語り手はどんな話でもたいてい同じ発端句で語りだし、同じ結末句で
語り終えました。
このおまじないみたいな言葉は、意味が分かるものもあれば、読解不能のものも
あります。
昔話は、発端句と結末句ではさまれている。
現実の世界から、きちっと区切られているのです。
わたしは、日本で暮らしている(というか、日本しか知らない―笑)ので、日本
の昔話は日常のものとして非常に身近に感じられるので、外国の話以上 に日常
的な言葉で語ります。
日本の昔話を語るとき、わたしの発端句は、「むかしな、あるとこに」。
結末句は、「はい、おしまい」です。
わたしが、「むかしな、」というと、子どもたちは、その一言で、さっと集中し
ます。だって、これから面白い話が始まるのが分かるから。
そして、わたしといっしょにもごもごと「あるとこに」と口に出します。幼稚園
なんかでは、大声で合唱(笑)
場合によっては、「おじいさんとおばあさんがすんでたんやて。あるひのこ
と」、までいっしょに言います。めちゃ嬉しそうに。
そして、最後は、子どももいっしょに、「おしまい」といいます。「おはなし終
わった」感があります。満足そうな顔をして、「もう一個して!」
発端句は本の扉を開くときの期待感。
結末句は、本を閉じたときの充実感。
語りを聞くことが直接読書につながる、その一つの証拠でもあると思います。
あ、そうそう。で、訂正のこと。
「この世の光」の結末句をまちがえたのですよ。
結末句の最終行「光のおとぎ話」が欠落していたのです。
これはえらいことです。
結末句は大切です。
ホームページじを見てくださっている方からご指摘いただきました。ありがとう
ございました。
ヤン