木の葉が色づいてきました。自宅のすぐ近くに緑のドングリがあるのに今朝、気が付きました。
さて、今日のお話
➀レポート付語り「赤ずきん」『語るためのグリム童話2』小峰書店②「三枚のお札」『おはなしのろうそく5』東京子ども図書館③「子うさぎましろのお話」『同名絵本』福音館書店
今日は語りを始める前に、いろいろな話題がでました。最近出た『国際昔話話型カタログ』を見せていただきました。呪的逃走の話も出ました。
➀選ばれたテキストが聞きやすかったです。それでも語法の観点から気になる点をヤンさんが指摘され、みんなも意見を述べました。きちんと語られたので、見えてくることがありました。
語法的に見て、➀、②ともに語りにくいところ、イメージしにくいところは語法にかなっていない場合がある。という気付きもありました。また、語り方のワンポイントもありました。
②以前から引き続きチャレンジです。今日のポイントは、<自分がきちんとイメージできないと、言葉が入りにくい。よく間違える所は一度自分で整理してやり直す>でした。また、語り手のとらえかたで話が変わることもある、ということです。
③創作のお話は、基本は一字一句覚えて語ります。 ヤンさんの今日の説明は、創作についてかなり熱の入ったものでした。・・・正確に表現できない~。ヤンさんが学生時代に学んだことを話してくれました。 『この言葉の次に、この言葉が出てくるのがなっぜかを考えるのが文学。その言葉が美しいと思えるように自分を磨いてゆく』そこには、作者への尊敬の念がある。(中略)きちんと丁寧に読んだ場合に受けた感情は作者の意図に近い。だから創作は言葉を変えてはいけない。あまりにも変えるところがあるなら語りのテキストにはしない。別の方法、ブックトークなどで紹介することもある。
今日は、①グリム、②日本の昔話、③創作とバランスよく、楽しい講座でした(語りがないと、呑気なの~)
昼食をとりながら、「シラミ騒動」の話で大笑いでした。
話にでた本『声の文化と文字の文化』藤原書店 文字を持たない人には抽象的な言葉は存在しにくい。例えば文字を持たない大工さんはカナヅチやカンナという言葉はわかっても、「道具」という言葉はわからない。・・・という話や、吟遊詩人達が長い物語をどのように自分のものにしているか等、声の文化の章は、興味深いことが書かれています。
一回お休みすると、浦島な気分のハルでした。
ハルさん、ご報告ありがとうございます。
こっちも怖いくらいのお勉強だね~笑
創作のことだけれど。
大学1年のとき、文学概論で源氏物語の泰斗玉上琢爾先生から聞いて忘れられない言葉があるんです。
「この言葉の次にこの言葉が来る、その発見の喜びが文学の喜びである」
作者は一語一語身を削って命を懸けて創作するのですね。
読み手は、作者がなぜこの言葉を選んだのかを深く深く考えて、結果、共感できたとき、驚きとともに喜びを感じる、というようなことだと受け止めています。
わたし、子どものころから文学少女だったからね、この先生の言葉に感動したのよ。
宮沢賢治、坪井栄、石井桃子、新美南吉、、、、
そのころのわたしの心の世界はそれらの作品でできていたようなものなので、先生の言葉ががちっと理解できた。
で、三つ子の魂百まで。現在に至ります。
だから、言葉を変えないと語れないなら、語らない。
それだけじゃなくって、作品の世界に対して自分の語りの力が及ばないときは、語らない。
宮沢賢治にしても石井訳ファージョンにしても、私の中にあるその世界を表現するだけの力が私にはない。だから語らない。
語れない。いやいや、語ったら別物になってしまって、自分が情けないというか、汚してしまったっていうか(笑)・・・何度かやってはみたのですよ。
あ、創作がすべてそうだというのではないですよ。
わたしにも語れる創作はあるし、きのうの「こうさぎましろ」はとっても心が温かくなった。
同じ作品でも、語れる人と語れない人があるしね。
創作は人を選ぶ。聞き手も選ぶけど。
あ、どなたか、形式意志のこともコメントしてね~
ヤン
形式意志!
昨日の午後の部は、この「形式意志」のお勉強でしたね。
昔話は主人公の幸せに向かって、ストーリーが一直線に進みます。
語法は、聞き手が一直線に最後の幸せに向かって、より良く聞けるように語るにはどう語ればいいかを、語り手の意志によってつくられてきました。
昔話の形式意志とは、イコール語法であり、文法であり、語り口であり、つまりは語り手の愛情であります!
と、私は理解しましたが、違うところはみなさん、ヤンさん、ご指摘よろしくお願いします。
でもね、自信がない私ではありますが、この形式意志の説明では、語り手として少し自由になった感じと、兜の緒を締めなおす引き締まった気持ちを感じました。
ありがとうございました。
この気持ちとお勉強した内容を忘れないようにしなければ!
こんばんは、ハルです。
ヤンさん、大変楽しい中級講座でしたよ!お勉強は午後からでしょう。
私のしどろもどろの説明をヤンさんが、丁寧に説明してくださったので、このブログ読まれる方は中級講座を受けたも同様です。創作について説明できる人は少ないです。ヤンさん折に触れこぼれ話を小出しにしてくださいね。
再び、ハルです。ジミーさん形式意志ありがとうございました。
午前中の報告で手一杯でした。みんなで学んだことは、みんなに共有ですね。
ヤン様 ハル様 ジミー様
私のために、詳しい説明をありがとうございます。
ハル様、あたたかいお言葉ありがとうございます。(涙)
(皆様の声が聞こえます… 「勝手にいいように解釈するな!」 ごめんなさーい)
くりかえし、くりかえし読んで、精進します!
おらふさま、コメントありごとうございます。
私事で、お返事が滞ってしましました。
創作について、決して特定の話や、語り手についてではないです。
どなたも、ご自分の事と思ってくださるのはかまいませんが、個人へのものではありません。
今回の中級講座の内容から行って、話題になった創作作品は「ファージョン」「宮沢賢治」という
創作の中でも世界を作るのが難しい、自己流のものになりがちなものを取り上げたうえでの話です。
勿論、どんなお話も、基本は大事です。
私は、今、自分が検討中のファージョンが話題になったので、つい熱が入ってしましました。
ファージョンの中でも昔話風のものなので、カット版を作ろうと思っていたのですが、取り合えず、棚上げです。
古典的な創作作品のカットバン、いや、カット版、難しいと思います。
やってみるのはいいと思うけど。勉強になるからね。
昔話は、いわばストーリーのみだから、語り手はストーリーに感動して選ぶわけでしょ。
でも創作は、ストーリーだけでなく、ひとつひとつのことばに共感して感動して選ぶ。
ストーリーだけで選ぶのは間違い。それでは作品の読みが浅い。
もし私がカットバンを作るなら、前半はあらすじを自分の言葉で説明しておいて、後半の大事なところは一語一句そのまま語る、かな。でも、好きな話はぜんぶ語りたいよな。
でも、「なめとこ山の熊」を語る力は、私にはない(涙)
以上は、私の事情、私の考えです。
共感するもよし、反発するもよし、民主的ですからね~(笑)