こんにちは、もっちです。
2月3日は節分👹でしたね。みなさま恵方巻は召し上がられましたか?
恵方を向いて、恵方巻をまるかぶりする風習は、大阪船場の商人が始めたそうで、関西特有かと思われていましたが、コンビニの普及に伴い、このごろは全国で恵方巻を食べるようになってきているそうな。少なくとも関東の知り合いは「普通に売ってるよ?」と言っておりました。
季節の行事食っていいですよね。季節を感じられるし、夕飯のメニュー決めも楽なところが嬉しいところです。
ところで節分は、季節を分けると書きます。実は年に4回あるのはご存知でしたでしょうか。
それぞれ立春、立夏、立秋、立冬の前日が節分になるのですが、一般的に節分というと立春の前日の節分が有名なようですね。
さて、立春も過ぎ、めっきり春めいたとは言いにくい小雪の舞う日に2月の日常語講座がありました。
語りは、
「洪水」『語りの森HP』【リンクはここから】
「海のはて」『日本の昔話4』(福音館書店)
「かたつむり」『語りの森HP』【リンクはここから】
の3話。
テキストは、
「犬と笛」『子どもと家庭のための奈良の民話一』(奈良の民話を語りつぐ会)
「岩くだきと堂せおいと知恵もん」『日本の昔話5』(福音館書店)
「浦島太郎」『日本の昔話4』(福音館書店)
の3話でした。
毎度話題にのぼる擬態語(オノマトペ)
ついつい擬態語も自分の馴染んでいる日常語にしてしまいがちですが、鬼が、大蛇が人をげろりと飲み込む様子など、普段あまり使わないその擬態語も昔話の面白さの一端のように思います。
そこだけは標準語のテキストもそのまま残している部分なので、原話の擬態語を大事にしているということなのでしょう。
ところで、ヨーロッパ・英語圏には擬声語や擬態語が驚くほど少ないのだそうです。その代わり動詞と形容詞が多いのだとか。
反して日本の擬態語は多く、多様化しているそうです。これも文化なのでしょうか。
そう考えると何が何でも日常語というよりは、その作品から受けた自分のもつイメージを大事にしつつ、お話の持つ雰囲気に合った日常語テキスト作りができたらいいなぁと思いました。
また、語りで補える言葉は、テキスト上の書き言葉を省略できる、というのも話題に上がっていました。
これは、鬼が大きい声で怒って言ったとか、お姫様が囁くように小さな声で言ったとかいう部分のことについて討論していたときに出た話題でした。
その様子を語りで表現できるなら、わざわざ大きな声でとか、囁いてとか言わなくていいよってことだったのですが、これも語り手それぞれ。その表現ができる人、似合わない人、語り手が100人いたら語り口も100通りあるのです。
だから日常語テキストにどれが正解なんてことはなく、やはり日常語テキスト作りの道程は、ひたすら自己を顧みるこれに尽きるようです。
昔話の主人公も、語り手も孤立して悩んで進んでこそ、ハッピーエンドが待っているようですよ。