『昔話の語法』講読会 🐓

先日、『昔話の語法』の4回目の講読会がありました。
リュティ理論、難しいです。
小澤先生はとても分かりやすく書いてくださっているのですが、そのときは納得するんだけど、あらためて孤独に読み返すと、疑問がふつふつと😢
そういう意味で難しい。
でもね、わたしたち、語りをする者にとっては必読書。
聖書みたいなもんです。

で、この日は「孤立性と普遍的結合の可能性」の章の、贈物について、援助者と主人公について学びました。

わたしは、「何の特別な能力も持たないで、自分がどこに向かっているのかもわからないで進んでいく主人公が、かならず本質的に大切なものに出会う」ってところが大好きです。
わたしは、わたしの人生というストーリーの主人公。そして、何の能力もないし、どっち向いて歩いてるのかもわかんない、ぼんくら。それでも一生懸命生きてたら、それで充分。
未来は明るいって信じたい。

うん。来年もがんばるぞ。
みんなもがんばろうね。
今年一年、おつきあいくださって、ほんとうにほんとうにありがとうございました💖

PS:1月16日昔話の語法勉強会、申し込み忘れてませんか~?主人公と贈物について考えます。めっちゃ感動なんよ~

3 thoughts on “『昔話の語法』講読会 🐓

  1. わわわっ、すみません。
    どうまとめようかな~と悩みながら、大掃除と称して大々的な断捨離をしているうちに大晦日。
    今年の講座レポート、今年のうちに。
    そろそろ書かねばなるまいと、『昔話の語法』とパソコンを開いたら、ヤンさんが先に更新してくださってました。
    ありがとうございます。m(__)m
    ヤンさんも書かれていましたし、講座でもお話されていましたが、ここからが語法の大事なところ、本質に触れるところ。でも、ここからがなかなか難解です。

    物語の組み立てとして、登場人物の輪郭をくっきりさせるために社会的な背景や役割を描写しなかったり、エピソードが殻に入っていて影響しないのは、分かりやすいです。リュティさんほど難しいことは考えられないけれど、その方が耳で聞いていて分かりやすいし、面白い。
    援助者が誰もを助けては主人公が誰だったか印象に残らないし、誰もが使える贈り物だったら要領のよい脇役にいいようにされて主人公、そして聞き手もハッピーになれない。
    別のアプローチで捉えていて、今まで何を聞いていたのかとお叱りを受けそうですが、やはり何度も都合よく使える贈り物より、一度だけ、しかも必要なときにだけ必要なぶんだけ、というのがストーリーを面白くしている気がします。そういう観点から語法で習ったことを思い出すと、どれもストーリーを面白く分かりやすくする構成に力を貸しているのだなと気付きました。
    たしかに、具象的な小説でこれをやるとご都合主義過ぎて反対に面白くないのですが(笑)
    昔話はものによっては教訓的であったり、宗教的なものを感じたりします。たしかに人間の生命とか生き方とか存在意義とか歴史なんかを内包しているのかなぁと思うときもあります。
    語り手はひとつの昔話から、この昔話のもつメッセージはなんなのか、深く洞察しながら、それを損なうことのない形で(必要であれば)再話して、伝えていくことが大切なのかなと思いました。
    ヤンさん、今年も大変お世話になりありがとうございました。

  2. もっちゃん、フライングしてごめんね~

    リュティさんの言葉や小澤先生の言葉を使わないで、自分で考えて言葉をつむいでくださってありがとう。同じひとつのことが立体的に見えてきますね。
    語法がストーリーをおもしろくする。
    複雑でなくストレートであるからこそ人生が見えてくる。

    さてさて、次回は最終回、「純化と含世界性」 あちゃあ、なんのこっちゃ!
    もっちゃん、最終回の報告、よろしくね~

  3. は~い(*^^*)

    今度こそ、ヤンさんより早くアップできるようにがんばります。でも純化と含世界性ってなんじゃ~??(笑)

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