日別アーカイブ: 2019年3月12日

昔話の語法勉強会の感想から2😄😄

🙋‍♀️感想
昔話の性別役割分担(おばあさんは川へ洗濯に、などの)や、結末で、お姫さまと結婚することが主人公の幸せになることに、引っかかりを感じることがあって・・・

👨‍🎓そうですよねえ。
社会的に求められる性別役割(ジェンダー)と昔話について、研究されている学者さんは確かにおられますが、まだまだ新しい分野かなと思います。だから、わたしたち、研究の成果を参考にすることはできない。つまり、語り手が自分で考えないといけないってことやね。

たとえばね。
男性は外で働き、女性は家事をするのが当たり前の社会だとして。子どもに「おばあさんは山へ柴刈りに、おじいさんは川へ洗濯に行きました」って語ったら、子どもは間違いなく、「なんで?」「どうして?」って尋ねると思う。特別の事だって感じると思うのね。
でもね、その子の父親が主夫で、母親が外で働いている場合、「おばあさんは山へ柴刈りに、おじいさんは川へ洗濯に行きました」って語ってもぜんぜん疑問に思わないと思う。ね?

つまり、その昔話が語られたときの社会や家族のありかたが、そのまま、そのお話に反映されている。
そして、口承がほとんど途絶えている現代、わたしたちが読むのは、資料に残っているひと昔もふた昔も前の昔話。グリム童話なら200年も昔やね。
そうすると、いまは、それが語られた時とは世の中のありかたがずいぶん変わってきているから、「納得できないなあ」って思うことは当然出て来るよね。特に今、ジェンダーの問題は大きく変わろうとしている、というか、変えていかなければという潮流がある。

問題は、それをどう納得するかよね。

ただ、わたしが思うのはね、役割分担も、お姫さまと結婚して幸せになるのも、それは、そのお話のテーマではないということなの。
そういう舞台設定だけれども、伝えたいテーマは、知恵を出せとか、親切であれとか、誠実であれとか、いつの時代にも普遍的な価値なんよね。そこに性差はない。
だから、女は貞淑であれとか、男だから勇敢に戦えとかというテーマでなければ、わたしは、抵抗なく語れるかな。

けど、おじいさんは山へ行くもので、おばあさんは川で洗たくするものでって、ステレオタイプというか、子どもに繰り返し語って刷り込んでしまうと怖いなとは思う。

うん。この感想を書いてくださったかた、ありがとう。💕
昔話資料を読むとき、ジェンダーがかくされていないか、心にとめておきますね。

お姫さまや王子さまとの結婚については、昔話の語法や聞き手の子どもの表情で納得できる部分があります。
お姫さまや王子さまは極端な存在です。子どもは、たいてい異性に憧れます。その極端な結末が結婚です。
たとえそれがこころの異性であってもです。自分が男になって聞くか、女になって聞くか、聞き手の自由ですからね。

どちらにしても、納得できないから語れないと思わないで、納得できないから解決できるかどうか語ってみようという好奇心も大事かな。子どもはどんなふうに聞くだろう、自分の認識はどんなふうに変化するだろう、ってね。わたしは、よっぽど納得できない場合以外は、そんな感じでチャレンジしています。🏹

むつかしいねえ。
けど、おもしろいねえ🤗