いよいよ8月。
このあたりもすっかり梅雨が明けたみたいです。
がんがんの暑さに耐えなければ。
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マックス・リュティ『昔話の本質』報告
第5章生きている人形ー伝説と昔話
きのうのアルプスの伝説「ゲッシュネンの牧場の洗礼を施された阿呆」、恐かったですね~
夜は読みたくないですね~
でも、今日は大丈夫。
お姫さまが、お菓子の男性を作る昔話。
ギリシャの昔話「シミグダリ氏または麦粉の殿」
ちょっと珍しい話なんだけど、抜粋を写真で載せますね。
「人形を作って命を与える」っていうのが、昨日の伝説と同じですね。
でも、ずいぶん雰囲気が違います。
伝説は暗くおどろおどろしく、昔話は明るい。
この違いはなぜなのか、ということをリュティさんは論じています。
まず、伝説では「人形を作って命を与える」ことは中心的テーマですが、昔話では、モティーフに過ぎない、ここから広い世界に向かってストーリーが始まるのですね。
伝説の出来事は現場から離れず、まるでうずくまっているかのように地域に結びついています。
作られた人形は、昔話では完璧な美しさをそなえていて、神様の恩寵によって命を吹き込まれています。
けれど、伝説では、人形は一種の不格好な固まりで、人を脅かすようにふくれあがっていきます。きゃあ~~~
人形を作る目的は、お姫さまの場合、明確です。理想の夫を作ることです。
昔話では、人が行動するときは、動機がはっきりしています。そして、その動機・目的に向かってまっすぐストーリーが進みます。
人里離れた牧夫たちには目的はなく、たまたま命が宿ります。自分たちの行為がどんな結果を生むのか少しも考えていません。どんな不気味な力が命を与えたのかもわかりません。きゃあ~~~
昔話の軽やかさ、自由さ、明るさは、内部をすべて外部に見せるところにあるのです。
伝説は、なんだかもやもやとしてるでしょ、だからいろいろ、気持ち悪く想像するでしょ。
昔話では、感情や努力は行為や身振りであらわされる。お姫さまの理想の夫を求める感情は神に祈るという行為であらわされていますね。そのための努力はアーモンドと砂糖と小麦粉で人形を作るという行為であらわされる。
神さまとの関係は、人形に命を与えるという贈り物で表されるし、月との関係はアーモンドという贈り物で表される。
行く道が遠くてお姫さまが苦労するということは、三足の鉄のくつをはきつぶすという行為で表されるのね。
きょうはここまで。
シミグダリさんとお姫さまがどうなったかは、次回、お楽しみに~
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午後から、おはなしひろばを更新します。