マックス・リュティ『昔話の本質』報告
第7章ラプンツェル-昔話は成熟の過程を描いたものである つづき
マルタ島の「ラプンツェル」類話。
グリムでは、娘が12歳になったときに魔女が連れ去りますね。ところが、マルタ島の話では、娘が学校に行くようになって、通学途中に魔女に出会います。
こんなふうにです。↓
マルタ島の別の類話では、おばあさんは、忘れん坊の娘の指と耳をかみ切ります。
ひえ~っ(゚Д゚*)ノ
いかにも昔話。切り紙細工のような語りです。昔話の平面性。
そののち、娘は塔に連れていかれ、そこで魔法を習う。
この塔での生活は幸せで、すばらしく、魔女は娘を大切にしてかわいがります。
あるとき、美しい若者が、娘の髪を伝って登ってくる。
娘は驚くけれども、結局は駆け落ちします。
ふたりは逃げ出し、魔女が追いかける。けれども、娘の魔法で、魔女は死ぬか、娘を連れ帰れずに終わる、もしくは、仲直りする。
これが、本来の「ラプンツェル」の基本形だそうです。
こうして見ると、娘は、「両親の保護のもとにいるとき」「魔女とともに塔で魔法を習っているとき」「恋人を得て魔女から逃げ出すとき」と、3段階を経て成長しています。
そして、それぞれの段階は、「野菜を欲しがった母親が魔女と契約する」という危機から始まり、「通学途中、魔女につかまる」「駆け落ちする」という危機があって、次へと進んでいます。
結末で若者と結ばれます。
リュティさんは、この「ラプンツェル」基本形から、「ラプンツェル」は発展の段階を描いたものであるといえると言っています。
発展は、いくつかの段階を経て行われ、ひとつひとつの移り目に危機と困難と不安が結びついています。けれども、危機は克服されるし、発展は明るい世界へ伸びていきます。
人間は、現に今持っているものをしっかり握りしめていようとするものです。それを手放すには勇気がいる。どんな恐怖が待ち受けているかわからない。それでもあえて前進することで、古いものは後にとり残されて、ますます豊かな充実した生活を手に入れることができる。
すばらしいテーマです(●’◡’●)
ロマンチックなグリムより、ずっと明るく、主人公は力強い。
魔女について、リュティさんは、こう言います。
昔話に出てくる魔女や悪魔や悪漢は、子どもにとっては悪の象徴である。子どもはそれらの姿を通じて悪の危険を体験する。それからまた、悪は負かされること、それどころかひょっとすると悪は変えられるかもしれないことを体験する。
これって、大事ですね。
子どもが怖い話が好きっていうのは、空想の中で危険な力との対決を求めているのであって、それは真実で正当な欲求だと言います。
赤ずきんの狼然り、ヘンゼルとグレーテルの魔女然り。
昔話は写実的でなく様式化されて描かれているから、魔女は「現実にいる悪い人」ではなくて「悪の象徴」として、子どもは感じ取ることができる。
赤ずきんもヘンゼルも、悪そのものに打ち勝つわけです。
そう考えると、魔女や悪者の話を語ることは、決して避けてはいけないとわかりますね。
はい、次回は、滑稽(こっけい)な「ラプンツェル」です。
***********
ラプンツェル基本形、再話したいなあ。
ねえ、語りたいと思わない?