ううう、連日最高気温がコロナや~(⊙x⊙;)
老人は熱中症とコロナとどっちに気をつけたらええねん?
リュティさんは、スイスの人やし、京都の暑さはご存じなかったやろなあ( ̄ε(# ̄)
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マックス・リュティ『昔話の本質』報告
第7章ラプンツェル-昔話は成熟の過程を描いたものである つづき
「ラプンツェル」の地中海諸国の類話は笑いとおかしさにあふれているようです。
イタリアの類話
女が魔女の庭から盗むのはパセリ。
魔女が現場を押さえようと地面の下に隠れて、耳だけ出してみはっている。
女は知らずにやってくる。魔女の耳を見て、
「まあ、なんてすてきなきのこなんでしょ」と、つかむ。
それで、つかまっちゃうのね。
マルタ島の類話。あの指と耳たぶをかみ切られたラプンツェルね。
この子は魔女から魔法を教わっている。
若者が塔を訪れているとき、運悪く魔女がやってくる。娘は若者を足台に変身させる。
魔女「その足台を取っておくれ」
娘「ほかの足台にしたら?」
魔女「いいや。その足台がいい」
魔女は足を乗せてニヤッと笑う。
別の日、娘は若者を縫い針に変身させる。
魔女「その針を取っておくれ。歯をほじくりたいから」
娘「ほかの針にしたら?」
魔女「いいや。その針がいい」
魔女は、哀れな若者を使って黒い歯の間をほじくりまわす。
別の日、娘は若者をずきんに変身させる。
魔女は、そのずきんを何日も禿げ頭にのせて歩き回った。
若者は娘に行った。
「これじゃ、とてもやりきれないから、二人で逃げよう」
魔女は若いふたりをからかっていますね。
だけど、さすが、昔話。言葉でなくて行動で表す。
ほんとうの昔話のおかしさというのは気の利いた言葉ではなく、事件の滑稽(こっけい)な展開にある。
ううむ。たしかに、子どもたちは、昔話を聞いていてよく笑うけれど、しゃれや言葉遊びよりも、ストーリーで笑っているよね。
もちろん、繰り返しの言葉のおもしろさはあるけれど、同じことを繰り返す筋が面白かったりして。
フランスの類話
仙女は、ものいうオウムを見張りにつけている。
オウムは若者が隠れている場所を教える。娘は、オウムがうそをついていると言ってごまかす。
娘はこっそりオウムのいる窓に水をかけておく。
仙女はオウムをテストする。「今日のお天気は?」
オウム「雨が降った」
仙女「この嘘つきめ」
つぎの日娘は窓に粉を振りかけておく。
仙女「今日のお天気は?」
オウム「雪が降った」
仙女「この嘘つきめ」
つぎの日、娘はエンドウ豆をまく。
仙女「今日のお天気は?」
オウム「あられが降った」
仙女「この嘘つきめ」
イタリアの類話
魔女は、しゃべる家具を見張りにつけている。
(娘の名前はヴェルミーリャ)
↓
マカロニだって、いかにもイタリアですね。
つぎは、娘と若者が逃げていく場面をマルタ島の類話でみてみましょう。
娘は、塔から逃げるとき、魔法の糸玉を持ち出します。
魔女が追いかけてきたので、緑の糸玉を投げると、大きな菜園とそこで働いているお百姓が現れます。魔女はお百姓に話しかけます。↓
青い糸玉からは海が現れ、魔女はやっとのことで泳ぎ渡ります。
赤い糸玉からは火が現れ、魔女は死にます。
呪的逃走のモティーフですね。
悪は自分の得意な領域で克服される。
リュティさんは言います。
ラプンツェルの類話を全部眺め渡してみると、それらの話がなんと晴れやかな気分で語られていることか。また、なんと多くの滑稽な思い付きを生み出していることか。
グリムのラプンツェルは、ずいぶん雰囲気が異なりますね。
次回は、グリムのラプンツェルについて。