月別アーカイブ: 2020年8月

謎かけ姫👸

昨夕、久しぶりに雷雨があって、ちょっと涼しい夜と夜明けを過ごしました。
今朝は、初めてのツクツクホーシを聞きました。
初秋

午後からはやっぱり暑いけど、希望をとりもどしたよ~

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マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第8章謎かけ姫ー策略、諧謔、才智

ヨーロッパの昔話の基本的なテーマに、「戦い」があります。
主人公は、竜とか、怪物、悪い魔法使い、魔女、盗賊をやっつけなければなりません。
そのとき、主人公は、策略を使います。

例えばこんな話。


この戦いで、主人公の王子は一度死にます。
が、生き返った王子は、王女の策略で、怪物ドンタの弱点を知り、やっつけます。
その策略を見てください。

これって、「心臓がからだの中にない巨人」にもあるモティーフですね。
お姫さまがベッドの中で巨人に心臓のありかをたずねる。
「だって、あなたのことをとっても愛しているんですもの」

それから、「魔法使いと弟子」の類話。
あのラストも策略ですね。
魔法使いと弟子が、次から次へといろいろな動物などに変身する。最後に弟子が一握りの穀物の粒に変身すると、魔法使いはにわとりになって、ついばむ。最後の一粒が、とつぜんキツネや鷹に変身して、にわとりを食ってしまう。
《おはなしひろば》に「まほう使いの弟子」を紹介しているので、どうぞ。(こちら⇒)『語りの森昔話集3しんぺいとうざ』にのせてますよ~

「ヘンゼルとグレーテル」
ヘンゼルは、指の代わりに小さな骨を差し出して、まだ太っていないと魔女に思わせる。グレーテルは、パン焼き窯に、どうやって入るかわからないと言って、魔女に入らせる。
策略で、魔女をやっつけます。

ところで、昔話がなぜ戦いをテーマにするのかということについて、リュティさんは、ふたつ書いています。
1、戦いというものは、人間存在一般の基本的な要素だから。確かにそうですね。私たちは、子どもの時から誰かと、または何かと戦っているし、ゲームや遊びも戦いのひとつですね。自分との戦いもある。
昔話は、人間の基本的なテーマを取り上げるものだから、当然戦いもテーマになる。
2、昔話は叙事的文学、つまり外的事件の描写だから。昔話は、心理的なこと、内面は描写しませんが、かわりに事件や目に見える事柄や行動で表します。私たちは、現実には、ある出来事に対して、自分の精神的な部分で対処しようとします。それを主人公と巨人の戦いという出来事で述べる、というわけです。

はい、今日はここまで。
今日は夕立はないのかなあ。

 

 

ラプンツェル類話👸と怖い話😱

ラプンツェル基本形を語りたくって、類話を探したんだけど、なかなか見つからない。
『フランスの民話』岩波文庫
『イタリアの民話』岩波文庫
『ペンタメローネ』大修館書店
の3話だけ。
マルタ島のが欲しいんだけどね。翻訳がない。

『イタリアの民話』に入ってるのは、「プレッツェモリーナ」っておはなし。
イタリア語で、パセリをプレッツェモロっていうそうな。
そう、お母さんは妊娠してチシャじゃなくてパセリをたべたくなって、魔女たちの庭に忍び込むの。忍び込むのはお母さん自身。お父さんは影が薄い。
この話の魔女は、ちょっとまぬけな人食い魔女。昔話によくあるタイプの魔女です。
プレッツェモリーナの援助者は、魔女のいとこのメメっていう少年。
このふたりのやり取りがかわいいの。
ラスト、地下室に小さな炎がいっぱい。それが魔女たちの魂になってるところが神秘的でおもしろい。「死神の名付け親」を思わせます。が、明るい。
いつか覚えて語ろうと思います。学童保育のおはなし会くらいでね。
おっと、今日のおはなしひろばにUPしてますよ~
そのうち、《外国の昔話》にテキストを載せますね。

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4歳の孫が、恐い話が嫌いなんだけど、聴きたいそうで、娘としゃべってるとね、娘が子どもの頃の話になった。

娘「桜の木の下のお化けの話、恐かったなあ」
私「???」
娘「子守歌が出てくるやつ」
私「ああ、いたちの子守歌?え~~~?恐い?ええ話やん」
娘「ようあんな恐い話覚えたねえ」

大人と子どもでは、ずいぶん感覚が違いますね。
お化けの話じゃないのに。怖かったんや(笑)

娘「ほら、教会とか行って、死体がぶら下がってる話は、おもしろかった」
私「・・・恐がることを覚えに旅に出た男の話?」
娘「おもしろかった」
私「あれは長くて覚えられへんから読んでたね。1時間半かかった」
娘「あれ、嬉しかった。ああ、読んでくれてたんか。私は声が続かないから無理やね」「恐がることを覚えに旅に出た男の話」は、グリム。
娘は中2、息子が小5のとき、ある時期、毎晩読んでたなあ。
もう子育てとか、おやすみ前とか、読み聞かせとか、そんな感覚じゃなくて、親子で昔話を楽しむひと時だった。幸せなひと時やった~

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あづい(;´д`)ゞ

ラプンツェル4👱‍♀️👱‍♀️👱‍♀️👱‍♀️

今年は、暑くても図書館やスーパーに逃げ込めないから、たいへん(⊙x⊙;)
家のクーラーって、なんかしんどくなりません?

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マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第7章ラプンツェル-昔話は成熟の過程を描いたものである つづき

ラプンツェルのどの類話も晴れやかな気分で語られているのに、グリムは違う。
特に、結末。
荒野に追放されたラプンツェルは双子を生む。
王子は絶望して塔の窓から飛び降りて失明する。
数年後、二人は再会して、ラプンツェルの涙によって王子の目は開く。
これはグリム独特で、どの類話とも異なっています。

なぜか。

グリム兄弟は、18世紀の小説家フリードリヒ・シュルツの作品の中にこの話を見つけました。小説です。
グリムさんは、この小説は、もともと民衆の間で語られていたのをシュルツが飾り立てて小説にしたのだと思い込んだのです。
そして、これを縮めて純化すれば、もとの昔話を取りもどすことができると信じたのです。
グリムさんは、いろんなところに、ドイツ本来の昔話を求めていたんですね。

ところが。

シュルツの小説は、フランスの仙女物語の翻訳だった。
え!ドイツでない!
グリムさん、知らなかったんです。

しかも、その仙女物語は、ルイ14世に仕える女官ド・ラ・フォルスが、1698年にフランスの昔話をもとにして空想でこしらえたものでした。とくに結末は、完全にフォルスさんが考えたものだったのです。創作。
グリムさん、知らなかったんですよ・・・

リュティさんはいいます。
真の昔話は聞き手の形式感覚、視覚的空想、リズム感に訴え、滑稽を容れる余地もある。ところが、グリムのラプンツェルの話には滑稽が少しも感じられない。

でもね、それでも、グリムのラプンツェルは世界中の多くの人々の心をとらえてきた。それは、グリム兄弟の手腕。
17世紀の仙女物語を昔話の文体へ移し替えたのです。
ラプンツェルはグリム童話集の中でも最も人気のある話のひとつです。

「ラプンツェル、ラプンツェル。おまえの髪をたらしておくれ」
この韻文には、たいそう古風な魔法めいた響きがあります。だから、みんなは、大昔の語りの名残だと思い込み、この昔話がいかに古いかという証拠にしていました。
でも、この韻文は、グリム兄弟が作ったものだったのです。

グリム兄弟のラプンツェルは新しいです。
でも、ここまでリュティさんが紹介してくれた数々の類話は、世紀から世紀へ口頭で伝えられた古い昔話にさかのぼるものであり、その起源は太古の闇に消え、その作者については何も知られていない。

はい、ラプンツェルはこれでおしまい。

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8月も後半。
暑さのがまんも後しばらく。
月末には幼稚園のおはなし会が待ってるし、がんばらなくちゃo((>ω< ))o

みなさまもくれぐれもご自愛のほどをφ(* ̄0 ̄)

 

 

あ~、ややこし!🙄

暑さを避けて午後5時過ぎに買い物に行く。
徒歩15分のセンターへ。
リュックを担ぎ、左手にマスク。これは同調圧力に屈するため。
右手にタオル。と、日傘。

センター入り口で、マスク装着。タオルはポケットへ。日傘をたたんでリュックに入れる。
備え付けのアルコールでシュッと手を消毒。ついでにカートの持ち手も消毒。

なるべくあれこれ触らんようにして欲しいもんをかごに入れる。
他の人に近付かんようにして、狭い通路をぬって進む。
ちゃっちゃと済ませて、レジへ。

おねえさん「きょうはメール会員5%引きの日です」
わたし「お~。ちょと待ってください」
リュックからスマホをとり出して、メールを開...けないよ~~~
わたし「すいません。出ました~。これです」
おねえさん「ご丁寧にありがとうございます」
わたし「いえいえ」
おねえさん「会員証はお持ちですか」
わたし「はいはい」
リュックから財布をとり出して、会員証を渡す。
おねえさん「(ピッとして)はい、ありがとうございます」
会員証を返してもらう。
おねえさん「〇△◎✖円です」
わたし「あ、プレミアム商品券、使います」
おねえさん「2枚です」
リュックから商品券1冊出して2枚ちぎってわたす。
わたし「端数は、カードで払います」
おねえさん「会員証をお願いします」
かたづけた会員証を出す。
わたし「ややこしくてすみません」
おねえさん「みなさんそうですよ」
おねえさんは、にっこりわらって会員証とレシートを返してくれた。偉いなあ、コロナの危険にさらされながら。

重くなったリュックを背負って、出口でアルコールをシュッとして、またまた片手にタオルと日傘、片手にマスクを持って帰途につく。

向こうからランニングしてくる兄ちゃんを発見するや、風上によけてタオルで口を押える。
年寄りの生活道でランニングせんといてやと、心の中でさけぶ。

暑さに耐えて歩く。
背中でスマホがブーブーいうておる。
知らん!
勝手に鳴っとけ≡(▔﹏▔)≡

 

 

ラプンツェル3👱‍♀️👱‍♀️👱‍♀️

ううう、連日最高気温がコロナや~(⊙x⊙;)
老人は熱中症とコロナとどっちに気をつけたらええねん?

リュティさんは、スイスの人やし、京都の暑さはご存じなかったやろなあ( ̄ε(# ̄)

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マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第7章ラプンツェル-昔話は成熟の過程を描いたものである つづき

「ラプンツェル」の地中海諸国の類話は笑いとおかしさにあふれているようです。

イタリアの類話
女が魔女の庭から盗むのはパセリ。
魔女が現場を押さえようと地面の下に隠れて、耳だけ出してみはっている。
女は知らずにやってくる。魔女の耳を見て、
「まあ、なんてすてきなきのこなんでしょ」と、つかむ。
それで、つかまっちゃうのね。

マルタ島の類話。あの指と耳たぶをかみ切られたラプンツェルね。
この子は魔女から魔法を教わっている。
若者が塔を訪れているとき、運悪く魔女がやってくる。娘は若者を足台に変身させる。
魔女「その足台を取っておくれ」
娘「ほかの足台にしたら?」
魔女「いいや。その足台がいい」
魔女は足を乗せてニヤッと笑う。
別の日、娘は若者を縫い針に変身させる。
魔女「その針を取っておくれ。歯をほじくりたいから」
娘「ほかの針にしたら?」
魔女「いいや。その針がいい」
魔女は、哀れな若者を使って黒い歯の間をほじくりまわす。
別の日、娘は若者をずきんに変身させる。
魔女は、そのずきんを何日も禿げ頭にのせて歩き回った。
若者は娘に行った。
「これじゃ、とてもやりきれないから、二人で逃げよう」

魔女は若いふたりをからかっていますね。
だけど、さすが、昔話。言葉でなくて行動で表す。
ほんとうの昔話のおかしさというのは気の利いた言葉ではなく、事件の滑稽(こっけい)な展開にある。

ううむ。たしかに、子どもたちは、昔話を聞いていてよく笑うけれど、しゃれや言葉遊びよりも、ストーリーで笑っているよね。
もちろん、繰り返しの言葉のおもしろさはあるけれど、同じことを繰り返す筋が面白かったりして。

フランスの類話
仙女は、ものいうオウムを見張りにつけている。
オウムは若者が隠れている場所を教える。娘は、オウムがうそをついていると言ってごまかす。
娘はこっそりオウムのいる窓に水をかけておく。
仙女はオウムをテストする。「今日のお天気は?」
オウム「雨が降った」
仙女「この嘘つきめ」
つぎの日娘は窓に粉を振りかけておく。
仙女「今日のお天気は?」
オウム「雪が降った」
仙女「この嘘つきめ」
つぎの日、娘はエンドウ豆をまく。
仙女「今日のお天気は?」
オウム「あられが降った」
仙女「この嘘つきめ」

イタリアの類話
魔女は、しゃべる家具を見張りにつけている。
(娘の名前はヴェルミーリャ)

マカロニだって、いかにもイタリアですね。

つぎは、娘と若者が逃げていく場面をマルタ島の類話でみてみましょう。
娘は、塔から逃げるとき、魔法の糸玉を持ち出します。
魔女が追いかけてきたので、緑の糸玉を投げると、大きな菜園とそこで働いているお百姓が現れます。魔女はお百姓に話しかけます。↓

青い糸玉からは海が現れ、魔女はやっとのことで泳ぎ渡ります。
赤い糸玉からは火が現れ、魔女は死にます。
呪的逃走のモティーフですね。
悪は自分の得意な領域で克服される。

リュティさんは言います。
ラプンツェルの類話を全部眺め渡してみると、それらの話がなんと晴れやかな気分で語られていることか。また、なんと多くの滑稽な思い付きを生み出していることか。

グリムのラプンツェルは、ずいぶん雰囲気が異なりますね。

次回は、グリムのラプンツェルについて。