マックス・リュティ『昔話の本質』報告
第十章文学における奇跡
本書の最後の章です。
ここでいう文学は、口承も書承も含めての言葉による芸術としての文学です。
その文学の中で、奇跡がどのように扱われているかということが書かれています。
まずは奇跡の定義です。
超自然的なことが日常的な現実の中に起こること。
文学の原初から、奇跡は大きな役割を演じてきました。
最初は神話。神話は、神による不思議な行いがテーマです。まさに、奇跡を描いています。
叙事詩は、神話をテーマに物語られています。
戯曲ももとは祭式から発達したものです。キリスト教でいえば、復活祭劇やクリスマス劇。
抒情詩は、奇跡の力によって病気を治すための呪文から始まったそうです。
そして、おなじみの伝説、聖者伝、昔話。これらは、彼岸の人物や彼岸の世界と人間との出会いについて物語っていますね。
上記は民衆の口承ですが、創作文学でも奇跡は中心的なテーマでした。
たとえば。
ホメロスの『オデッセイ』、ダンテの『神曲』、ゲーテの『ファウスト』などなど。
18世紀になってようやく、奇跡を描くのではなく、写実的な文学が生まれた。
へ~。それまでは、奇跡の物語ばっかりやったんや~
21世紀を生きる私には驚きです。
レッシングの「賢者ナータン」(1779年)という韻文劇がその初見だそうです。
レッシングは、文学と現実から奇跡を締め出したとリュティさんは言います。
「賢者ナータン」は『レッシング名作集』(白水社/浜川祥枝ほか訳)に入ってるんだけど未見。
18世紀から19世紀の文学では、作家は、ありのままのこの世を畏敬の念を込めて描きます。そして、彼岸とのかかわりという奇跡を讃えるのではなくて、人との出会い、自然との出会い、運命との出会いを奇跡と感じ取る心の働きが描かれるのです。
は~い。今日はここまで。
次回はシェークスピアが登場します。
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今日はむしむし。
秋雨前線のせいらしい。
今週は日本の昔話「わらしべ長者」と絵本のこみちを更新してるから、見てね~o(*^@^*)o