マックス・リュティ『昔話の解釈』をしつこく読む
ほかの話題も書こうかなと思うんですけど。
世間のこと、身近な笑い話とか。
でも、日記を書くのは苦手だし。若い頃は何度も書こうと思ったんだけどね、いつも三日坊主。日記帳を買うのがもったいなくて、大学ノートに書き始めたら、いつのまにか数学のノートに変わってたり。
このブログってツールは、発信って機能があるから、ウソは書かないようにっていう緊張感があるのがいいな。
まあ、気が向けば読んでください。
でも、いいこと書いてると思うのよ。元の書物がいいからね~
で、続けます。
第3章 金の毛が三本ある悪魔
これは、わたしの持ちネタの中でも、高学年にとびきりウケる話です。
語りの森のホームページでも何度も取り上げてるから、この《井戸端会議》《ステップアップ》の「検索」っていうところで、「三本の金髪をもった悪魔」でさがしてみて。子どもたちがどんなふうに聞くかを書いてます。
さて。
ここで問題です(しょっぱなから~笑)
いばら姫、白雪姫、灰かぶり、赤ずきん、ホレばあさん、七羽のからす、ヘンゼルとグレーテル、兄と妹、蛙の王さま
共通するのは何でしょう?
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答え:女性が主人公のグリム童話
リュティさんは、昔話の主人公は、国際的にみれば男性が優勢なのに、ドイツ語圏では女性が圧倒的に多いといいます。
なぜか?
理由その1
グリム兄弟に昔話を伝えたのが主に女性だったからではないか。
語り手というものは話の主人公と自分を同一視するのが好きで、それができる話を選ぶからだって、リュティさんはいいます。
そして、子どもに昔話を語る人にも、女性が多い。母親とか祖母とか、幼稚園や小学校の先生とか保育士とか。
ううむ。みなさんはどうですか?
大きく見ればそんな一面もあるかもしれない。
ただ、わたしは、子どもが喜ぶ話を選ぶことが多いなあ。自分がというより、子どもが主人公と自分を同一視できる話ね。
この理由1は、いったん保留しましょ。
で、つぎ。
ともかくグリム童話のなかで有名な話は、女性が主人公のものが多い。これは事実ね。
そのおかげで、ドイツ語圏以外の国々にも女性主人公の昔話が広がっていった。
『ハンガリアの昔話』の編者アグネス・コヴァチェは、「迫害され、つらい試練に遭う女の主人公がハンガリアの昔話の世界に入ってきたのはドイツの昔話のおかげである」といっています。
理由その2
世界は男性の精神で動いているから、その補償として女性の精神が求められているから。
わたしたちは技術の時代に生きていて、外的生活を支配しているのは、行動主義、多忙、東奔西走。それに対して、文学の領域では、ごく自然に魂を形に表した女性の主人公が求められるって。女性の主人公の静かなねばり強い忍耐が補償しているって。
ううむ。
たしかに、「世界」というより「社会」は、男性の価値観を中心に動いているね。否でも応でも、そういう社会に生きている。(なんとかしなくちゃね!)
でも、だから、文学の世界は、女性中心・・・というわけでもないような気がする。
あ、ちょっとまって。平安時代、摂関政治は男性による支配の社会。紫式部は、その裏の後宮の女性の世界を描いた。
でもやっぱりこれも想像というか、仮説にすぎないね。証明できる客観的事実はない。だから、理由2も保留にしましょ。
でもね、この二つの理由、とっても興味深いので、ちゃんと覚えておこう。
ここで、リュティさんは、男性主人公の話を見ることにしましょうといって、KHM29「金の毛が三本ある悪魔」について考えていくといっていますよ。
これは、生まれたとき、「14歳になったら王さまの娘を妻にする」という予言を受けた男の子のはなしです。
みなさん、読んでおいてくださいね~