首に巻いた保冷剤がすぐに溶けてしまう今日この頃。
今日も暑いです”(-“”-)”
昨日、オンラインで昔話の語法勉強会「仙人の教え」がありました。
第19回と内容は同じなんですが、今回は〝昔話の平面性〟を中心に講義が進んでいることに注目してわたしは聞きました。
昔話の平面性は → こちら
2回目の講義を受けて思ったことは、昔話の平面性も抽象性も、すべてが聞き手が耳で聞いて分かりやすいように考えてあるんだなということです。
内面がなく、奥行きもない、切り紙細工のような表現ということは、それだけ内容を瞬時に理解できるということで、文学作品の表現と違うことの意味がここにあるんだということが、いまやっと本当に分かったように思いました。
耳で聞いて分かりやすいためであるのは分かっていたけれども、そして速いテンポで進むためであるということは分かっていたけれども、すべては聞き手に分かりやすく語りたいという語り手の聞き手への愛が長い伝承の歴史の中でこういう形式を作って来たんだということが、ホントにやっとわかったような気がします。
昔話の語法というものを、マックス・リュティ先生が昔話の文法のように確立されて、それを今わたしは語りや再話に生かすために勉強しているわけです。
理解するためにいろいろな用語とパターンを覚えていかなければならないので難しいけれども、要は、伝承の語り手さんたちがしていた語りに近づける作業なんですよね。
それが、こんなふうに勉強しないとできないということなんだろうなと思いました。
地域や学校で子どもたちにおはなしを語るとき、いろんな考えの人がいると思いますが、わたしはこの伝承の語り手に近づけるというのは、子どもたちにとって一番いいんだろうなと思います。
わたしは、〝この時間は、勉強じゃないんだよ。楽しんで聞く時間なんだよ〟と思って語っているんで、やさしいふんわりした雰囲気を語りでかもし出したいんですよね。
今回分かったと思ったことはほんの一部なんで、まだまだこれからも勉強つづけますけど、少しでも前に進めたようで嬉しかったです(^^♪
理論と実際を結びつけるのが大事ですよね。
語り手が、幸せだと感じるときは、聞き手が深くおはなしの世界で遊んでくれた時ですね。そういう実際的な事の裏に、ちゃんと理論的なしっかりした哲学というか、そういうものを持ってるのと持ってないのとでは、聞き手のおはなしへの入っていき方が違うと思うのですよ~
みなさま、またいっしょに頑張りましょうね~
ヤンさん、コメントありがとうございます。
質問と感想コーナーで、聞き手の反応の話題がありましたが、反応は無くても〝聞き手が深くおはなしの世界で遊んでくれ〟ていたら、表情や目の輝きで聞き手の満足感が分かりますよね?!
特に反応の薄い高学年は、判断材料が少ないから気を付けて見ないといけないと思っています。
で、満足してくれるかどうかの分かれ目は、〝理論的なしっかりした哲学というか、そういうもの〟を勉強して持って、話に説得力を付けることなんだろうなと改めて思いました(*^▽^*)