日別アーカイブ: 2022年8月27日

問題と答え

関西では、小中学校で2学期が始まりました。
夏休みが終わるの、早いねえ(⊙o⊙)
ヤンが子どものころは、夏休みって7月24日から8月31日って決まってたけど。
9月1日から2学期、秋!って、季節感がなくなっちゃったねえ。

ところでね、学校のお勉強っていったら、問題が出てそれに答えるってパターンがほとんどやね。先生が質問して、はい!はい!って手を挙げて。ドリルとかテストとかも。
で、どこまでできたかで点数がついて、成績が出て、評価される。
体育とか音楽とか美術とかでも、課題があってそれを解決っていうかやり遂げるっていうか。ほら、逆上がりなんかね。あれは、できるかできないかの課題やね。努力したかどうかではなくて。心の葛藤も問題じゃなくてね。

いかに効率よく早く正答にたどり着くか。
それで成績が出て、その成績が、進学を決めて、その学歴が就職を決めて、人生が決まる。って、ちょっと極端ないいかただけどね。それがレールに乗るってことですよね。
国の成長ってことを考えたら、このパターンはとっても効率的かもしれない。

ところで、わたしたちが節目節目に受けてきたテストの問題には、必ず正解があった。だって、テスト作成する先生が、問題と答えを作るんだから。答えのない問題は作らないよ。まるとぺけ、つけられないもん。

でもね、今まで生きてきて思うのは、実人生で出会った課題に正解はあったかなってこと。

いろんなことに出会って、苦しいときとか難しい局面とかもあった。その目の前のことに、その時できる精いっぱいの対処をしてきたけど、それが正解だったのかな?
いや、正解ってあったのかな?
正解のない課題を解きながら歩いていくのが、人生じゃないのかな?

若い人たちが、感受性の強いその時期に、正解を求める方法ばかりを身につけて、それでいいのかなあと思う。それって、将来自分の人生をひらいていくのに、ほんとうに役に立つ努力なんだろうか。

正解のない問いを、宙ぶらりんの状態で、ずっと心に持ち続けることの大切さ、面白さを、子どもたちに経験させたいなと思う。それはひとつの能力だから。
学校で無理なら、学校の外や家庭で。
音楽や絵画、文学には正答がない。それが芸術のいいところ。

そして、カリキュラムが詰まってても、学校で、子どもたちがお話を聞く機会をねじこみたい。
お話のおばちゃんは、物語の媒体となって、つまり答えを自分の中に持たないで、子どもたちに宙ぶらりんの楽しさを伝えよう。
って思った学期初めでした~(^///^)